オトニッチ

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Sexy Zoneがライブで女装したことについて想うこと

スカートを男性が履くのはおかしいし、メイクをするのも変。男性の長髪もよくない。

 

そんなイメージや価値観が2022年でも存在する。男性が女装をすると気味悪がられたり笑われたりするのだ。例えば芸人がコントで女装をした時、ボケていないとしても、女装を理由に笑いが生まれることがある。

 

そういえばドラァグクイーンが主役のミュージカル『キンキーブーツ』の会見で、主演の三浦春馬に芸能記者が質問していた言葉が、悪い意味で忘れられない。記者は彼に対して「女装にハマりませんか?それで街を歩きたくなりません?」と笑いながら聞いたのだ。

 

それがテレビの芸能ニュースで報道されていた。まるで「三浦春馬が女装という変なことをする舞台」と言いたげな感じで。

 

作品内では『Just be』というタイトルの楽曲が歌われている。日本語訳で「ありのままで」という意味だ。作品全体で伝えたいメッセージが込められたタイトルだろうし、この作品の意味を示した曲名に思う。

 

決して「男性俳優が女装していて面白い舞台」という意図で製作された舞台ではない。そんな作品の意味や意図や想いが、記者には伝わっていなかったようだ。おそらく作品を観ずに芸能ニュースだけを見た世間の人にも、きちんと理解されなかっただろう。

 

これはたった数年前の出来事だ。少しずつ価値観は変化しているが、それでも現状の日本ではこのような価値観がまだ残っている。2022年になっても女装は笑いのネタになるし、変な行動として扱われている。

 

トランスジェンダーや性の多様性についての啓発活動が進んではいるが、まだ好奇の目を向ける人は多い。理解がある人も必要以上に気を使ってしまうことが少なくないとも感じる。ものすごくデリケートな問題なのだ。だから男性の女装を笑いのネタとして消費することは間違っている。舞台などのエンタメで必要だとしても、慎重に行わなければならない。

 

だから先日自分が行ったSexy Zoneのライブツアーの演出でメンバーが女装した映像が流れた時、少しだけ不安に思った。彼らも笑いのネタとして消費し、消費されてしまわないかと思ってしまったからだ。

 

 

しかし彼らの女装は笑いのネタにするためではなかった。女装を面白いことだとは思ってなさそうだったし、むしろライブのコンセプトとして彼らが女装をすることへの必然性を感じた。

 

このライブツアーは80年代リバイバルがコンセプトのひとつになっているアルバム『ザ・ハイライト』のレコ発である。そのためライブも80年代リバイバルを感じる演出が取り入れられていた。

 

開演前の客入れBGMも80年代の名曲だったし、衣装やステージセットも80年代の匂いを感じる。途中の転換映像は『ザ・ベストテン』など80年代のテレビで放送されたオマージュが取り入れられている。

 

Sexy Zoneの女装も80年代のオマージュのひとつだった。かつてテレビで行われていた女性アイドルの寝起きドッキリを真似したコント映像が流れた時に、メンバーはネグリジェを着て80年代アイドル風の髪型で女装していたのだ。

 

だがそれは“女装によって”笑わせようとしたわけではない。メンバーがこの設定で当時を再現しオマージュするならば「女装しなければ成立しない」という内容である。女装は映像やライブのクオリティを高めるために必要だったのだ。

 

メンバーも女装を面白いものとして扱ってはおらず、80年代女性アイドルをリアルに演じる手段と考えているように見える。女装したことを理由とする茶化し方も、それを理由とするギャグもなかった。「可愛らしい80年代のアイドル」を演じることに努めていた。

 

メンバーの表情や喋り方は、80年代アイドルが当時していたであろうものを意識しているようだった。コントというコンテンツの性質上、ふざけたり大袈裟なアクションで笑わせてはいたものの、それはあくまでもコントの内容や設定から生まれる笑いだ。

 

そんな映像の後に再登場したメンバーも女装をしていた。今度は80年代の女性アイドルが着ていたような華やかで可愛らしいワンピース衣装を着ている。そのまま『Lady ダイヤモンド』『Ringa Ringa Ring』をパフォーマンスした。楽曲は音源とは違う80年代女性アイドル風の懐かしさを感じる音色でポップでキラキラした編曲になっている。

 

メンバーのダンスはゆるやかな動きの可愛らしいものになっていた。表情も普段とは違う女性的な可愛らしさを意識したものになっている。彼らの中に女性アイドルが憑依したかと思うほどだ。コントからの流れで始まったパフォーマンスなので、コント内のキャラを引きずって佐藤勝利が叫んだりするユーモアもあったが、基本は「真剣に女性アイドルを演じている」と言える内容だったと思う。

 

繰り返すが今回のライブツアーは「80年代リバイバル」をコンセプトのひとつとしたアルバムのレコ発である。

 

80年代のエンタメシーンや音楽シーンは多くの女性アイドルが活躍していた。それが現代にも大きな影響を与えている。だからこのコンセプトでライブをやるならば、当時の女性アイドルの存在を無視するわけにはいかない。だからこそリスペクトを込めた上で女性アイドルを演じたのだろう。

 

きっと彼らが女装した姿を見て、女装していること自体を面白いと思った観客はいなかったと思う。

 

純粋にコントの内容を面白いと思って笑い、「綺麗」「かわいい」と思って彼らが女装してパフォーマンスする姿に魅了されたはずだ。このパフォーマンスによって自然と「男性が女装しても変なことではない」ということを遠回しに伝えることに成功している。

 

そもそもSezy Zoneはジェンダーについての価値観をアップデートさせ続けていて、「男らしさ」や「女らしさ」を求める古い価値観に、アイドルとして丁寧に言葉や行動を選びながら反発し発信しているグループだ。この記事では佐藤勝利とマリウス葉の発言が取り上げられていた。(セクゾ佐藤勝利「性別は関係ない」、マリウス葉「女子力なんて古い」 Sexy Zoneメンバーがポップカルチャーから切り込むジェンダー )

 

中島健人も京成スカイライナーのCM発表会で「おじ様も男性もお姫様抱っこ、ハグできるようなアイドルがいないとダメだと思います」「男女共々お姫様だっこする、それが現代のアイドルだと思います」と語っていた。アイドルとしてのキャラクターを崩さずに、多様性の大切さをファンや世間に発信し続けているのだ。(中島健人、"神対応"評価で京成新CM! 「男性もお姫様だっこする」現代アイドル論展開 )

 

ライブ制作には本人たちの意思やアイデアも反映されている。だからライブ演出にも様々なことに気を遣いながら制作しているはずだ。

 

きっと彼らも女装をすることを面白いものとして扱いたくはないだろう。だから女装自体を笑いのネタにしないよう気を遣い「80年代女性アイドルをオマージュしたコント映像が面白い」「80年代女性アイドルをオマージュしたパフォーマンスして純粋に魅了する」ということを、かなり意識して考えたのだと思う。

 

この記事では説明の便宜上「女装」という言葉を使ったが、この言葉も本来は間違っているかも知れない。年齢も性別も関係なくファッションも生き方も自由でいい。何を着ていても、どんな髪型をしていても、本人が望んでいるものならば問題ない。それが最も美しい姿だし、最も自分らしい姿だ。

 

アイドルとして80年代女性アイドルを演じるSexy Zoneは美しかった。彼ららしい自由なパフォーマンスだと思った。それを観て価値観や考えが少しだけ変わった人もいるかもしれない。それに純粋にエンターテイメントとして楽しいパフォーマンスだった。

 

「アイドル」という存在は、どうしても性を売り物にしてしまう部分がある。それを魅力のひとつとしてファンを楽しませることも悪くはないかもしれないが、場合によっては誰かを傷つけることがあるかもしれない。

 

もしかしたらアイドル自身もファンも、「アイドル」という存在自体の価値観をアップデートさせるべき時代が来るかも知れない。そういった部分とは違う魅力で成立するアイドルも存在するべきだと思う。

 

だからこそアイドル自身が主体となり価値観をアップデートさせ、それをファンや世間に向けて発信することは重要だ。

 

古い価値観の中でもアイドルの商売は成立するし、ファンが離れることは少ないと思う。しかしアイドルの存在が社会に与える影響は大きい。

 

アイドルはファン以外にも影響を与え、世の中を変える存在にもなりえる。だからこそ本人の立ち振る舞いや思想や思考は大切なのだ。

 

そんな価値観を持って行動や発信していることは尊敬できるし、そんな価値観を反映させつつ最高のライブをやってくれることに感動している。セクシーサンキュー。

 

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