オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

【レビュー】『本音と建前』は椎名林檎のセクシーさがSexyZoneに憑依した名曲

椎名林檎は他者へ楽曲提供した時、毎回コメントを発表している。

 

最近ならば高畑充希『青春の続き』とAdo『行方知れず』を楽曲提供した時にコメントを残していた。その内容は提供先の歌い手への敬意と愛が込められた言葉ばかりで、楽曲提供がやっつけ仕事ではないことを裏付けている。

 

高畑充希に対しては「好き、大好き。そもそも顔がいい。声がいい。なにもかも、かわいい!」と存在を全肯定するかのような言葉を残していた。Adoに対しては「二十五年前、拙作無罪モラトリアムを出してしまう前にこの響きに出会せていたら、ぜんぶ彼女に歌ってもらっただろうとも思います」と歌い手として最大限と言える賛辞をしつつ、簡潔にコメントをまとめている。

 

当然ながら椎名林檎が『本音と建前』という楽曲をSexyZoneへ提供することが発表された時も、愛のあるコメントをしっかりと残していた。

 

だが高畑充希とAdoへのコメントとは、少しだけ雰囲気が違う内容だ。

 

メンバー4人それぞれに言及していることも理由だと思うが、かなりの長文になっている。賛美をしているコメントではあるが、楽曲制作が難しかったことへの葛藤も綴られていた。こののようなコメントを残すことは珍しい。高畑充希もAdoも制作は順調だったようで、それをファンが感じ取れるコメントを残していたのだから。

 

とはいえ椎名林檎がSexyZoneに魅力を感じなかったから、楽曲制作が難航した訳ではない。むしろ逆だ。彼女はメンバーそれぞれの歌唱について、研究と言えるレベルで深く分析している。むしろ深く知りすぎたからこそ、4人の個性を1曲に詰め込むことが簡単では無いことに気づいたのだ。そのことがコメントから読み取れる。

 

だがそれだけ真摯に向き合ったからこそ、完成した『本音と建前』は文句の付けようがないハイクオリティかつ、SexyZoneにしか歌えない楽曲にもなった。SexyZoneの今まで発表した楽曲の中でも、トップレベルに彼らのセクシーさを引き出せているのだ

 

 

セクシーには様々な種類がある。

 

SexyZoneもグループとして様々なセクシーを持っているし、メンバーはそれぞれが違うセクシーを持っている。もちろん椎名林檎も様々なセクシーを持っているし、それに魅了された愛好家及びOTKは毎晩絶頂に達している。

 

『本音と建前』は椎名林檎が得意とする、チラリズムのセクシーに焦点が合わせられている。彼女が作詞作曲だけでなく編曲やボーカルディレクションまで行ったこともあり、SexyZoneのメンバーに椎名林檎のセクシーが憑依されたかのような楽曲なのだ。だから聴いた者はギラリズムな興奮をしてしまう。

 

椎名林檎は自身の楽曲でも、ボーカルにエフェクトをかけて加工することが多い。それもあってか彼女が作詞作曲編曲、ボーカルディレクションを行った『本音と建前』でも、SexyZoneのボーカルにはオートチューンによるエフェクトがかかっている。

 

『本音と建前』のボーカルエフェクトは、椎名林檎と浮雲のデュエット曲『長く短い祭』のボーカルエフェクトと近い響きだ。

 

長く短い祭

長く短い祭

  • 椎名林檎と浮雲
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

浮雲は元来からセクシーな男性ボーカリストであるが、オートチューンの力によってセクシーさに磨きがかかっていた。マイルドなセクシーがワイルドなセクシーへと変化している。オートチューンさえあれば、地球の裏側へ行く必要がないのだ。

 

なぜ歌声にオートチューンが使われるとセクシーになるのか。それは加工された声の中に、本来の声質がチラリズムするからだ。

 

人間は隠されている部分が何かを知りたがる本能を持っている。それが見えそうで見えないとなれば、より興味を持って執着心を持ち惹かれてしまう。オートチューンで声が加工がされても、歌い手の本来の声質や歌唱の癖はほんの少しだけ残されている。それは本来の声がチラリズムしているということだ。

 

チラリズムを目にした人間は、ギラリズムな興奮を覚えてしまう。それが歌声ならば「実際はどのような声なのだろう?」と想像力を働かせ、聴き手は自身の好みに感じる歌声をチラリズムした音の響きから想像するので、セクシーを感じるのだ。

 

つまりチラリズムなセクシーとは、妄想から生まれる理想が脳内で具現化することで生まれる、夢と現実がミックスされたセクシーのことである。

 

椎名林檎は男性ボーカルにオートチューンをかけるとセクシーを最大限に引き出せることを、浮雲とのデュエットによって実証した。だからこそ『長く短い祭』に近いボーカル加工ならばSexyZoneのチラリズムなセクシーを最大限に引き出せると判断し、同様のエフェクトを『本音と建前』でも使用したのかもしれない。

 

だが楽器の音はエフェクトがほとんどかかっていない。生の音を大切にしているようだ。

 

演奏と歌声が真逆の性質を持った音色になっているので、ボーカルは演奏に対して浮き上がって聴こえるし、演奏は歌に埋もれずに美しい響きで聴こえる。そのためSexyZoneのセクシーなボーカルも際立つし、ハイレベルな演奏も引き立つ。真逆の性質が組み合わさることで化学反応が発生し、それが楽曲全体のクオリティを高めているのだ。

 

音楽だけでなくビジュアルやパフォーマンスによる魅せ方もセクシーである。これも椎名林檎の力が影響しているはずだ。

 

椎名林檎は見せすぎないチラリズムな色気により、セクシーを表現し自身の音楽やビジュアル、アートワークへと昇華させる。

 

音楽だけでなく作品のリリースごとにメイクも髪型もファッションも変えるし、時には別人かと錯覚するほどにだ。自身の持つ性質をあえて隠し「本当の姿はどうなのだろう?」と興味を持たせ、そのミステリアスさにより色気を生み出す。そんな表現の中で時折チラリズムする素の姿に、セクシーを感じて魅了されてしまうのだ。

 

「セクシーとは何か?」を分析する際、多くの人が露出が多ければ良いと勘違いしがちだが、それは違う。

 

もちろん露出により生まれるセクシーもあるし、椎名林檎も露出によりセクシーを表現することもあるが、セクシーには様々な種類がある。それを理解しなければならない。「すっぴんセクシー」だけがセクシーの全てではないのだ。

 

むしろ見せる部分と見せない部分をはっきりと分け、作られた部分と素の部分を絶妙に組み合わせることが大切だ。なんなら露出が少ない方がセクシーさが際立つパターンすらある。その意外性やギャップによって生まれるセクシーの方が、深みのあるセクシーになる場合が多い。セクシーは奥深く一筋縄ではいかないのだ。

 

例えば椎名林檎『りんごのうた』のMVで過去のこだわったメイクやファッションの再現をした後に、ナチャラルなメイクと表情の椎名林檎が現れた時。それはそれは素晴らしきセクシーであった。これは徹底的に作られた美しさにより生まれるセクシーと、無防備で隙があることによりチラリズムしたセクシーが組み合わさったハイブリッドセクシーである。

 

 

東京事変『群青日和』のMVもとてつもなくセクシーだ。クールに表情を作りながら歌い演奏しつつも、汗だくになっている姿が素晴らしい。偶像的なクールさと人間味ある汗が組み合わさギャップによってセクシーが生まれている。

 

しかも曲が終わった後に椎名林檎は笑みを見せるのだが、その時に口を手で隠している。肝心なかわいい笑顔を見せてくれないのだが、それによって「笑顔が見たい!でも手で口を隠しちゃう林檎ちゃんかわいい♡」と思い、観た者はキュンとする。

 

顔全体を見せないチラリズムと、クールさの中にキュートさをチラリズムさせるセクシーを組み合わせるという、ダブルチラリズムセクシーで魅了する高度な技を使っているのだ。、

 

 

東京事変がライブで『透明人間』を披露する時も、毎回必ずファンにセクシーな感情を植え付ける。それは後半のサビで椎名林檎が〈恥ずかしくなったり 病んだり 咲いたり枯れたりしたら〉と歌っている時だ。

 

彼女はいつも公式グッズの手旗で顔を隠しながら、このフレーズを歌う。おそらくて手旗がグッズになってからは、志村正彦が亡くなった直後のCDJ09/10で手旗の代わりに白いハンカチを使っていた時以外は、毎回行っている定番パフォーマンスだ。

 

「林檎嬢の恥ずかしくなったり病んだり咲いたり枯れたりした顔を見たい!」と思って誰もがギラリズムな視線を向けて期待しているのに、それを誰にも見せてくれない。ほんの少しだけ見える肌や目以外は。

 

それにセクシーを感じる。顔が少ししか見えないチラリズムによって、観客は想像力と妄想力を掻き立てられ、脳内で史上最高のセクシーが作り出されるからだ。

 

だがその後の〈明日も幸せに思えるさ またあなたに逢えるのを楽しみに待って さようなら〉と歌う時は顔を全て見せて、笑顔をチラリズムさせながら歌う。隠して焦らして見せるというテクニックを使い、セクシーさで観た者をメロメロにするのだ。

 

このように彼女のチラリズムセクシーは音楽だけでなく、MVやライブのビジュアルやパフォーマンスでも遺憾無く発揮されている。

 

『本音と建前』のMVでのSexyZoneも、椎名林檎の影響を受けているのだろう。彼らもチラリズムセクシーを発揮している。それは〈3 2 1 セクシー〉の部分だ。

 

この部分だけエフェクトのかかっていない素の歌声へと変わる。加工された声からすっぴんセクシーな素の声になるギャップと隠れていた声が聴こえた感動によって、誰もがセクシーを感じ心を射止められてしまう。

 

だがMVとして観た時に最も注目したいのは、メンバーの表情だ。彼らがすっぴんセクシーな声を披露している時、映像の4人は表情は見えない。カット割りや影で隠されているのだ。それによって「声はすっぴんセクシーなのに、セクシーたちの顔が見えない!」という焦らし&チラリズムによって、観た者の想像と妄想を掻き立てて、素晴らしきセクシーを生み出している。これは椎名林檎と同じ仕組みで創造されたセクシーだ。

 

つまり『本音と建前』でのSexyZoneは、表情が見える時は声をチラリズムさせ、素の声が聴こえる時は顔をチラリズムさせており、常にチラリズムさせているということである。

 

これはチラリズムが得意な椎名林檎が楽曲提供したからこそ生まれたセクシーだ。SexyZoneは今作で新たなセクシーの扉を開いたと言えるし、セクラバもOTKも新たなセクシーを知ることができたとも言える。

 

そんな名曲を提供した林檎嬢とチラリズムで魅せてくれたセクシーたちに、ギラリズムな眼差しを向けて興奮するだけでは申し訳ない。だからこそ愛好家及びOTK件セクラバの自分は、2組に感謝を伝えたい。

 

セクシーサンキュー。

 

↓関連記事↓