2022-09-14 日向坂46の宮田愛萌の卒業について想うこと 日向坂46 コラム・エッセイ メディアでは宮田愛萌を「ぶりっ子キャラ」と評することが多いが、自分はそれに疑問を抱く時がある。 実際にテレビのバラエティではあざとい表情や動きでアピールしたり、音楽番組やライブでもカメラに抜かれれば確実にあざとい表情で釣ってくる。だから「ぶりっ子キャラ」として扱うことは間違いではないかもしれない。 たしかに自分もアザトカワイイぶりっ子な宮田愛萌に魅了された。「男子に放課後呼び出された時」のシチュエーションで「なぁ〜に?」をぶりっ子しながら言い放つ宮田愛萌に心を掴まれた。 しかも「階段を降りるのが怖くて苦手」というあざとい弱点もある。階段を降りる際は他のメンバーの腕を掴んだり手を引いてもらってなんとか降りていた。しかしミュージックステーション出演時は普通に階段を降りた。ぶりっ子キャラとしては完璧である。 それでも自分は宮田愛萌のキャラクターを説明する際に、真っ先に「ぶりっ子キャラ」を出すことに違和感を覚える。彼女のことを知れば知るほど、それ以外の魅力や個性を感じるからだ。 それに他の「ぶりっ子キャラ」のアイドルと比べると、宮田愛萌は少し異質にも感じる。あくまで自分のイメージではあるが、「ぶりっ子キャラ」のアイドルは積極的に前に出て、自己アピールできるキャピキャピしたバラエティ番組に強いタイプが多いと思う。 しかし宮田愛萌はあまり前に出ようとはしない。求められた時にだけぶりっ子をする感じだ。むしろ自己アピールは控えめである。普段は落ち着いていて知的な印象を感じる。 バラエティ番組ではMCや周囲に振られた時にだけ喋ることが多い。それは引っ込み思案というわけでも、やる気がないわけでもない。グループ全体のバランスであったり、自身の役割について考えているからだと思う。 そういえば彼女は「みんなの共感になりたい」とかつて語っていた。これは同時期にグループに加入した同期メンバーに対しての想いである。仲間を支えたいのだと言っていた。 その考えは自分のことよりも、仲間を優先し大切にしたいという気持ちの表れかもしれない。そんな想いは彼女の活動の軸になっていると思う。なぜならずっとブレずに「みんなの共感」であり続け、みんなを支える役割をしているからだ。 しかしこれはアイドル活動において損する考えではある。自分自身が商品であるアイドルは、自身が目立つほうがメリットはある。支える役割にいれば、目立つメンバーの引き立て役になってしまう。 だからか彼女はダンスのフォーメーションでも目立たない3列目になることが多かった。彼女の頑張りは運営にもグループのファンにも、なかなか気づかれにくいのかもしれない。 そんな中でも宮田愛萌は、アイドルとしてのパフォーマンスに手を抜かない。むしろ一瞬の大切さは誰よりも理解していると思う。 ライブ中のスクリーンやテレビ出演時に一瞬だけカメラで抜かれた時でも、絶対に可愛らしい表情を作ったりウインクをしたりと、アイドルとして完璧な姿を見せ続けていた。それは他のメンバーと比べてもずば抜けていて、ファンから”宮田プロ”と呼ばれて敬意を示されるぐらいだ。 ただそれも「自分が目立つため」というよりも「グループとしてのパフォーマンスをより良くするため」「ファンが喜んでくれるから」という理由に思う。やはり彼女はグイグイと前に出て目立とうとはしないからだ。 仲間を支えることや、ファンの求めに応えることに徹している。自分が目立つタイミングがあっても、すぐに引いて他のメンバーにバトンを渡している様に見える。求められている役割を真摯に真剣に行なっているのだろう。 だから「ぶりっ子キャラのアイドル」ではなく、求められる役割を徹底的に突き詰めて表現している「真面目で優しいアイドル」に思うのだ。ただのぶりっ子キャラではないと気付いてしまったので、自分は日向坂46の中でも特に推したいと思った。 そして「好きなことをとことん好きでいて、それを発信し続ける姿」も、特に推したいと思った理由でもある。 宮田愛萌は本が大好きだ。その想いをアイドル活動を通して発信し、本の魅力を拡げようとしている。彼女の公式インスタグラムの写真は、大半が読んだ本の写真で埋め尽くされている。そこには長文の本の感想が綴られている。 たまに自身の写真があっても、他のメンバーや友人のタレントと会った時の写真か仕事関係のものが多い。何気なく取った自撮り写真は少ない。アイドルのインスタとしては異質である。 しかし彼女の好きなもので溢れている写真と文章は、自身の写真が少ないとしても紛れもなく宮田愛萌のインスタだとわかるものでもある。 写真だけでなく綴られている文章のどれもに彼女の人柄が滲み出ている。それでいて心の底から本が好きなことが伝わってくる。好きなものを自分のやり方で拡げようとしている。 アイドルとしては損するインスタの使い方かもしれない。自分をアピールする場ではなく、自分が好きなものをアピールする場として使っているのだから。しかし自分はそんな宮田愛萌の活動を応援したいと思った。おこがましくも、自分と重ねてしまったからだ。 自分は音楽が好きだ。それに関連するモノやコトやヒトも好きだ。そんなたくさんの「好き」をこうしてブログで文章にして発信している。アイドルの宮田愛萌のことも好きなので、本人にとっては不本意かもしれないが、こうして勝手に考えていることや思っていることを書かせてもらっている。ファンの好意的なワガママだと思って許して欲しい。 自分はアイドルではないので、文章を書いたところでそれほど多くの人に届いているわけではない、それでも誰かに自分の好きが届いたらいいなと思っている。 だから宮田愛萌と自分を重ねてしまうのだ。彼女は「メンバーみんなの共感」だけではなく、「ファンである自分の共感」にもなってくれている。そしてこれまたおこがましくも、自分と少し似ていると思ったので推したいと思った。 だから宮田愛萌が日向坂46を卒業することに、自分は強いショックを受けている。 宮田愛萌 卒業のお知らせhttps://t.co/qohpjWsOIN — 日向坂46 (@hinatazaka46) 2022年9月7日 卒業を決めた一番の理由は、体調面の不調らしい。 かつて活動休止をするほどに体調を崩していたことがある。復帰したものの活動は体調を見ながら行っていて、仕事量も少なくしているようだった。ライブに出演しても体調の問題で全ての曲に参加することができなくなっていた。 私の疾患は、すぐに治るものではありません。 良くなったとしても、また悪くなることもよくあります。ひどく波があるのです。一生付き合っていかなければならないかもしれません。 お仕事に支障が出てしまっているのは本当に申し訳ないと思うし、メンバーにもすごく迷惑をかけているという自覚があり、それも本当に申し訳ないなと思います。 今回も本当にメンバーにたくさん迷惑をかけたと思いますが、それでも一緒にパフォーマンスしてくれたことがすごく嬉しいなと思います。 全国ツアーも発表されて、この先の体調がどうなるかとかは全然わからないですが、自分なりにより良い選択をしつづけられるといいなと思います。 宮田 愛萌公式ブログ とぅるるるる 具体的な病名や症状は明かされていないものの、体調の不調は簡単に治るものではなく、一生付き合っていかなければならないほどの疾患だという。 正直なところ、ファンも彼女のアイドル活動は長くないと覚悟していた人は少なくはなかったと思う。 どうしてもグループアイドルはライブをはじめとする音楽活動が中心となる。その活動を満足にできなくなってしまうのならば、それ以外の活動を中心に行うのならば、グループに所属する必要はないのかもしれない。 彼女の中でも様々な葛藤があったのだと思う。そんな気持ちを卒業発表について書かれたブログに綴っていた。 もう少しアイドルでいたかったような気持ちもあるような、ないような。でもこのあと残りの期間で、この未練みたいな気持ちをすっきりさせていこうと思います。 宮田 愛萌公式ブログ 散る花が風と手を取り空高くとぶよとぶよと笑う我かな 自分も彼女がアイドルとして活動する期間は長くはないのかもしれないとは思っていた。 それでも、ライブの参加曲数が少なかったり、テレビの収録にあまり出れなかったとしても、グループに所属してアイドルとしてあり続ける未来があっても良かったのではと思ってしまう。 View this post on Instagram A post shared by 宮田愛萌 Miyata Manamo (@manamomiyata_official) 以前『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』という本を、彼女がインスタで紹介した文章が印象に残っている。 私は考えるのです。今誰にも観られずに部屋で1人こうして文字を書き綴る私は、アイドルなのでしょうか?この文章を誰かが読んだときに初めて、その時(今は今なんだけど)の私がアイドルであると証明されるのではないのでしょうか? 好きなことを全力でやって、キラキラしている姿を見せて、それによってファンに力を与える存在を、自分はアイドルだと思っている。 だから好きな本を紹介したり、好きな文章を綴っている宮田愛萌は、まぎれもなくアイドルであり、顔や動いている姿が見えないとしても、彼女の綴る文章はアイドルそのものだと思う。 彼女が大好きな本を紹介し続けるならば、大好きな文章を書き続けるならば、日向坂46に所属してアイドルであり続けても良いのではないだろうか。アイドルの在り方が変化し始めている現代においては、そういった子がグループにいてもおかしくはない。 でも、それは、ファン側のわがままかもしれない。 グループにおいて「みんなの共感でありたい」と思っている彼女は、みんなと同じように活動へ参加できないのならば「みんなの共感になる」ことは難しいと思ってしまうだろう。 それに本人の決断したことだ。卒業発表のブログにはこのように書かれていた。 メンバーの誰にも負けないと自信を持って言えるくらい、私はみんなのことが大好きです!勝手に友達だと思っちゃってるし、卒業するってことで一番悲しいのはみんなに会えないことだなぁと思うのですよ。でもごめんね。私はわがまま姫だから、みんなが絶対に私を応援してくれてるって信じてるから、卒業を決めることができたのです。3列目の上手端から3番目(もしくは真ん中から3番目)の私の定位置。いつも誰かにかぶっちゃうあの場所にいても、みんなが見つけて応援してくれていたから、私の未来をみんなも応援してくれるんじゃないかなって勝手に想像しちゃったんだ。私のファンでいてくれて、ありがとうね。あなたがこれから推し変しても、アイドルを好きじゃなくなっても、私のことを忘れてしまってもあなたが私を一瞬でも好きになってくれたことを私は忘れないよ。名前と顔は忘れちゃうかもしれないけど。(本当にごめんと思っています) ずっとメンバーを支えるポジションであり続けていたのに「メンバーの誰にも負けないと自信を持って言えるくらい、私はみんなのことが大好きです!」とファンにメッセージを送っている。 アイドルとしてファンが求めていることに応え続けてきたのに、ファンを信じた上で自身の意思を優先し卒業を決めた。 それならば「アイドル宮田愛萌」のお願いとワガママを受け入れて、素直に「卒業おめでとう」と思って応援するしかない。それこそがファンの正しい姿だ。彼女がプロのアイドルであり続けたように、我々もプロのアイドルファンであり続けなければ。 しかしアイドルを卒業するにあたって、とても心配なことがある。 それは冒頭で書いたとおり「階段を降りることが怖くて苦手」という弱点についてだ。 誰かに手を引いてもらわなければ階段を降りることができない宮田愛萌は、アイドルを卒業し1人になってしまった時、どうやって階段を降りるのだろうか。 でも、降りることが苦手ならば、登ったりその場で休んだりすればいい。たぶん「階段を登ること」は苦手ではないはずだ。今までも階段を登る様にステップアップして、様々な活動をしてきたのだから。 本人は「たくさんの人に本の面白さをもっともっと知って欲しいという夢」について、アイドルとしてのアプローチはやれてきたと自負している発言をしていた。これは階段を登ったからこそだと思う。 だからアイドルを卒業しても、階段を登るようにもっと高みに行くはずだ。「たくさんの人に本の面白さをもっともっと知って欲しいという夢」をもっと突き詰めていくのだだろう。アイドルとしてぶりっ子キャラを突き詰めたように。 これからは日向坂46の同期生の「みんなの共感」ではなく、それを飛び越えてメンバーやファンだけでなくもっと多くの人の「みんなの共感」になって、本の面白さを広げる活動をするのはずだ。宮田愛萌は、それができる存在だと思う。 View this post on Instagram A post shared by 宮田愛萌 Miyata Manamo (@manamomiyata_official)