2020-03-26 女性アイドル・女性アーティストの歌詞で一人称「僕」が多い理由を分析してみた コラム・エッセイ 森田童子 aiko SHISHAMO 鬼束ちひろ 中島みゆき 浜崎あゆみ 女性アイドルソングに多い一人称「僕」 先日このような記事を見つけた。 ネタ記事なので内容にツッコもうとは思わない。ユーモアがあって面白い内容だと思う。 ただ女性アイドルソングは一人称が「僕」であることが多いことを、ふと疑問に感じた。その理由について興味を持ってしまったので、分析してみることにした。 特に秋元康が書くアイドルソングは一人称「僕」が多い。正確な情報源は不明だがその理由を聞いたことがある。 男性がカラオケで歌いやすいことや、ファンの多数を締める男性が歌に感情移入しやすいためなどの理由があるらしい。これは正確な情報かは不明だが、納得できる理由ではある。 歌の主人公のキャラクターをわかりやすくするためという理由もあるかもしれない。 「僕」「俺」「わたし」「うち」など様々な一人称があるが、それを変えるだけでイメージが変わる。一般的には「僕」は男性が使うことが多く「私」は女性が使うことが多い。主人公の性別を一人称の変化でリスナーに伝えている面も大きい。 しかし他にも理由があるのではと思う。それに女性アイドルだけでなく、女性アーティストも一人称が「僕」の曲は多い。 これには複数の理由があり「僕」を使う必要性があるのかもしれない。 40年以上前から女性歌手は「僕」を使っていた 1975年に森田童子は『さよならぼくのともだち』でデビューした。楽曲自体は1970年には存在していた曲で、歌詞の一人称は「僕」である。 さよならぼくのともだち 森田童子 歌謡曲 provided courtesy of iTunes 一人称が「ぼく」の曲が森田童子は多い。ドラマ主題歌になった代表曲もタイトルは『ぼくたちの失敗』だ。タイトルに「ぼく」が含まれる曲も多いのだ。 『男のくせに泣いてくれた』では「わたし」が一人称だがほとんどの曲の一人称が「ぼく」。40年前から女性歌手も「僕」を違和感なく使用していた。 空と君のあいだに 中島みゆき J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes 中島みゆきは79年に発表した『僕は青い鳥』などで一人称を『僕』にしている。90年代に発売した代表曲『空と君のあいだに』も一人称は僕だ。日本を代表する有名シンガーソングライターも当たり前のように一人称に「僕」を使っている。 Voyage 浜崎あゆみ J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes 2000年代をすぎると「僕」はより自然と使われるようになった。 社会現象と言えるほどのヒットを連発していた浜崎あゆみも代表曲の『Voyage』などで「僕」を使っている。また『M』や『Dearest』では一人称が使われていない。 Every Little Thingも「僕」を使う歌詞が多い。そして一人称を使わない歌詞も多い。『恋文』や『またあした』の一人称は「僕」だが『fragile』や『Time goes by』は一人称がない。 浜崎あゆみもELTも「私」を一人称に使っている曲もあるが、あまり使わないようにと避けているようにも感じた。その手段の一つとして「僕」を使ったり一人称を使わない歌詞を書いているように思う。 これにも理由があるはずだ。 「私」はメロディに乗せずらい ほとんどの日本の大衆音楽は洋楽の影響を受けている。基本的には英語圏の音楽を取り入れたものが日本の主流になっている。 つまり元々は英語を乗せやすいメロディの楽曲が多いので、日本語をメロディに乗せづらいのだ。 英語詞は一つの音符に対して一つの単語を乗せることが容易だ。しかし日本語は一つの音符に対して一つの文字を乗せる場合が多い。日本語の発音では一つの音符に対して一つの単語を乗せることが難しい。 桑田佳祐のように日本語を英語的な発音にして歌ったりと工夫をするアーティストもいるが、それは例外だ。だから少ない文字数で出来る限りの情報を乗せることが重要になってくる。 「ぼく」なら2文字だが「わたし」だと3文字になってしまう。自分を含めた複数人の場合は「ぼくら」「ぼくたち」とさらに長くなる。 「わたしら」「わたしたち」では一人称として使うには長すぎる。「わたしら」は一般的には「ぼくら」よりも日常的に使われることが少ないので、歌詞として使うなら「わたしたち」になってしまう。一人称に5文字も使うことは特殊な事情がない限りはメロディに乗せることが難しい。 逆に二人称も「あなた」よりも「きみ」を使われる歌詞が多い。これも文字数が関係しているのかもしれない。 つまり「わたし」ではメロディに乗せづらいため女性歌手も「僕」を使う場合が多く、「わたし」を避けて一人称を使わない歌詞を書くことが多いのかもしれない。 ちなみに秋元康が書いたおニャン子クラブの歌詞は一人称がない曲が多い。AKBや坂道グループと違い女性目線の曲が多いからだ。秋元康も「わたし」はメロディに乗せづらいので避けていたのかもしれない。 歌詞を先に書く女性アーティストは「わたし」と「あなた」を使う 「僕」を使うことが極端に少ない女性アーティストもいる。 aiko、鬼束ちひろ、SHISHAMOだ。この3組は一人称が「わたし」であることが多い。 花火 aiko J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes aikoは『カブトムシ』『ボーイフレンド』『花火』と大ヒットした代表曲は全て一人称は「あたし」で二人称は「あなた」だ。『ハナガサイタ』のように例外もあるが、「あたし」と「あなた」を使うことがaikoの特徴に思う。 月光 鬼束ちひろ J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes 鬼束ちひろは「私」と「貴方」を一人称に使うことが多い。『月光』『流星群』『私とワルツを』と代表曲を含むほとんどの楽曲が当てはまる。『Sign』では「僕」と「君」を使っているが、例外として捉えていいかと思う。 君と夏フェス SHISHAMO ロック ¥255 provided courtesy of iTunes SHISHAMOはフィクションの物語を書く手法で作られた歌詞も多い。『量産型彼氏』や『明日も』などは物語を作るように書かれた歌詞だと思う。そのためSHISHAMOの歌詞には「僕」も「私」も「君」も「あなた」も出てくる。 しかし『君と夏フェス』のようにメンバーと等身大の主人公の場合や、『熱帯夜』のように感情の動きを歌っている楽曲の多くは「私」と「君」を使っている。 この3組には共通点がある。 それは「曲よりも先に歌詞を書くアーティスト」であることだ。 曲を先に制作すると、歌詞は曲のメロディに合わせて書くことになる。そのためメロディに合うように歌詞を調整したり変更する必要が出てくる。その場合は文字数が多い「わたし」「あなた」は使いづらい。「僕」にするか思い切って一人称をなくした歌詞の方が書きやすいのだ。 しかし歌詞から先に書くのならば、文字数を気にする必要はない。歌詞に合わせて曲を書いて、メロディを当てはめればいいのだから。 そのため作詞者が日常的に使うことが多い一人称の「わたし」を使っているのかもしれない。その方が自分らしい表現ができる。あえて「僕」を使う必要がないのだ。 そう考えると秋元康も普段から「僕」を一人称に使っているので、歌詞の一人称に「僕」を使うことが多いのかもしれない・・・・・・。 「僕」か「私」かなんて、どうでもいい 一般的に一人称が「僕」だと男性が、「私」が一人称だと女性が主人公だと思いがちだ。しかしそれも変わりつつある。むしろ変えていった方が良いのかもしれない。 コレサワ:『たばこ』は、失恋して以降、家に閉じ籠もってしまったちょっと気持ちがくよくよしている女の子が主人公です。『たばこ』を発表して以降のリアクションは凄く驚きました。とくに、カバーしてくれる人が多いのには、私もビックリです。自分の元から離れ、それぞれみんな自由に自分らしい歌い方で表現してくれているのも嬉しいことです。中には、"君"と"僕"という言葉からボーイズラブ風に自分の好きなキャラに見立て、「なんか、ヤバい」と想像を掻き立てながら聞いてくれてる人もいるように、そういう解釈って面白いなと思います。 (引用:【インタビュー】全女子のミカタ、コレサワ先生の歌詞が本当に”わかりみが深い”) コレサワの代表曲『たばこ』の主人公は女性だ。しかし一人称は「僕」を使っている。そのためファンからも様々な解釈がされているようだ。 たばこ コレサワ J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes 「男=僕」で「女=私」という認識が古い考えかもしれない。最上もがも元ゆるめるモ!のあのちゃんも一人称は「僕」だ。一人称は自由で構わない。 英語の一人称は性別関係なく共通している。日本語は様々な一人称があり「男性が使う一人称」「女性が使う一人称」と自然と分かれている部分がある。 それによって日本語詞は深い表現ができるようになったし、一人称を変えることで奥行きのある魅力的な表現の歌詞を生み出せたと思う。 しかし女性でも「僕」を使いたい人もいるし、男性でも「私」を使いたい人もいる。 一人称が「僕」だから主人公は男と決めつけることも、「私」だから女性と決めつけることも誤りかもしれない。 今までは一人称の違いで歌詞の意味を変化させていたが、これからの時代はもう一歩先の表現が必要になってくるのかもしれない。 コレサワの『たばこ』の一人称が「僕」でありつつも主人公は女性であったように、一人称で主人公の性別を決めることができないが増えるかもしれない。それでも名曲を作れることはコレサワが証明した。それによって新しい表現も生まれるはずだ。 好きな一人称を使えばいい。 メロディに乗せやすいからという理由で「僕」を使うのも問題ない。メロディに乗せずらくても「私」を使っても問題ない。性別関係なく一人称なんて好きなものを使って歌詞を書けばいい。普段の生活も好きな一人称を使えばいい。 もしかしたら「僕」と「私」に感じる固定概念をぶち壊したら、さらに深くて魅力的な歌詞が生まれるかもしれない。 秋元康には「僕」を使わせるべき しかし秋元康には一人称を「僕」にした歌詞を書かせるべきだ。女性目線ではなく男性目線の歌詞をかかせるべきだ。 秋元康が作詞を行った、なこみく&めるみお(HKT48)の『アインシュタインよりディアナ・アグロン』という楽曲がある。この歌詞を見て驚いた。 女の子は可愛くなきゃね学生時代はおバカでいい今 一番 大切なことは そうキャピキャピと音が聴こえることでしょう? 世の中のジョーシキ 何も知らなくてもメイク上手ならいいニュースなんか興味ないしたいていのこと誰かに助けてもらえばいい 女の子は恋が仕事よママになるまで子供でいいそれよりも重要なことは そうスベスベのお肌を保つことでしょう? (なこみく&めるみお(HKT48) / アインシュタインよりディアナ・アグロン) もしかしたら高田渡『自衛隊に入ろう』のように社会への皮肉を込めた歌詞かもしれないが、個人的にはアウトだと思う。 歌っている本人達の作詞による本人たちの意思での歌唱ならば話は変わってくるかもしれないが、プロデュースしている女性アイドルに”歌わせる”内容ではない。 秋元康のビジネスセンスは天才だと思っているし、良い歌詞もいくつも書いていると思う。例えば乃木坂46『君の名は希望』や『サヨナラの意味』は良い歌詞だ。 しかし女性目線の歌詞を書かせると、誰かを傷つける歌詞を書いてしまうかもしれない。 表現は守られるべきものだと思う。しかし超えてはいけないラインがある。それを無意識に超えてしまう人もいる。 その超えてはいけないラインを意識しつつ作品を作るべきだ。それで表現の幅が狭まるのならばその程度の作品ということだ。むしろそのラインを意識しつつ作品を作ることで、多くの人に受け入れられ、多くの人の心に残る名曲が生まれるのかもしれない。 ↓関連記事↓