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【歌詞・レビュー】岡村隆史がaikoに『ホワイトピーチ』を書かせたから新しいaikoの魅力に気づいた

『ホワイトピーチ』は名曲

 

 

aikoの公式Twitterに投稿された動画が話題になっている。『ホワイトピーチ』という新曲らしい。

 

たった1分弱の弾き語り。ピアノでコードを弾きながら歌う演奏はシンプルだ。凝ったことはしていない。

 

しかしaikoの歌声と歌詞とメロディが胸にしみる。聴けばすぐにaikoの曲だとわかってしまうような楽曲。凝ったことをせずとも感動させるのは、彼女の素晴らしい才能のおかげだ。

 

『ホワイトピーチ』は4月23日の深夜にニッポン放送のラジオ番組『岡村隆史のオールナイトニッポン』にaikoが出演したことがきっかけで生まれた。

 

番組では「岡村隆史がオークションで購入した食器洗浄器の中になぜか入っていた5年前に賞味期限が切れた桃の缶詰を開封する」という企画を行なっていた。意味不明な企画である。ちなみに食器乾燥機は理由は、ガンプラに塗った塗料を乾かすことが目的らしい。意味不明な理由である。

 

番組内で岡村は「ホワイトピーチという曲をカセットシングルで出してくれ」と言っていた。ネタで言っていただけだとは思うが、それにaikoが応えたことで『ホワイトピーチ』が制作された。

 

あたしが登場しない歌詞

 

 

2時10分にゲスト出演を終えてから、1時間弱で完成させてTwitterに投稿した。

 

半音階下がる歌のメロディ。ジャズで使われることが多いセブンスコードを多用している。それはaikoの音楽の特徴だ。多くのaiko楽曲で使われているコード進行とメロディの癖だ。

 

しかし歌詞を聴いて多くのaiko楽曲と違う部分もあった。

 

『風邪ひいてない?』 

聞けないまま時は過ぎる

楽しくて うれしくて

 

『あなたがいないと無理』だとか

そんな簡単に言っちゃいけないけど

 

少し色が変わった心の中

あなたはどんなふうに見てたの

 

不安定な夜は夢の続きさ

あなたのやさしい笑顔に

なんでもっとはやく気付けなかったんだろう

強く刺さったあのギザギザがとても痛いよ

(aiko / ホワイトピーチ)

 

aikoは一人称に「あたし」を登場させることが多い。

 

おそらく過去にリリースされた楽曲の9割が「あたし」だ。『ハナガサイタ』や『こいびとどうしに』など複数の楽曲で「僕」を使ってはいるが、それはあくまでも例外だ。突然中二病になって第二の人格が登場してボクっ娘になっただけだ。

 

ハナガサイタ

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『ホワイトピーチ』も例外で「あたし」が登場しない。かといって「僕」も登場しない。一人称がないのだ。

 

一人称がない曲も過去に発表している。『天の川』『雨の日』『Yellow』など複数ある。しかし「あたし」を使う曲と比べたら少ない。

 

ここで気になる部分がある。

 

それはaikoは「意識的に一人称を使わなずに書いた曲があるのではないか」という部分だ。

 

これは『メロンソーダ』を聴いた時も感じた疑問ではある。

 

 

メロンソーダも一人称を使わない

 

aikoは2019年に大阪のラジオ局FM802のキャンペーンソングの作詞作曲を行なった。『メロンソーダ』という楽曲だ。

 

この曲はaikoだけでなく、性別もキャリアも様々な複数のシンガーが参加している。

 

aiko/上白石萌歌/谷口鮪(KANA-BOON)/橋本絵莉子(チャットモンチー済)
はっとり(マカロニえんぴつ)/藤原聡(Official髭男dism)
コーラス:KAN/秦 基博

 

メロディもコード進行も「aiko節」を感じる楽曲だ。しかしaiko以外が歌ってもその歌い手の個性を感じる。それは「歌詞」に理由があると思う。

 

『メロンソーダ』も一人称が使われていないのだ。

 

参加シンガーは普段歌う楽曲の一人称は様々。「あたし」を一人称では違和感があるシンガーも参加している。そのため一人称を排除したのかもしれない。

 

主人公の性別が想像できないことも特徴的な歌詞だ。

 

他の一人称がないaiko楽曲は、一人称がなくとも性別が想像できる内容が多い。しかし『メロンソーダ』は性別がわかる表現や描写がない。男性と女性、どちらの性別でも全く違和感がない内容だ。(歌詞→メロンソーダ/Radio Darlings)

 

これはaikoが意識して歌詞を書いたのかもしれない。

 

その部分では『ホワイトピーチ』も似た傾向の歌詞だ。

 

 

『ホワイトピーチ』の主人公は岡村隆史?

 

『ホワイトピーチ』も歌詞だけ読むと主人公の性別はわからない。

 

ラジオで話していた内容から察するに、ナイナイ岡村隆史が主人公の歌詞にも感じる。ラジオでは「aikoと桃缶を開けたい」と言っていた。aikoに勇気をもらって桃缶を開けることができた。それに岡村のリクエストで制作した楽曲だ。

 

そのため「あたし」を一人称に使うと違和感が出てしまう。かといって「僕」にしてしまうと岡村の成分が強すぎる。聴き手は共感できないし感動もできない。そもそも桃缶を開けたことに対して感動なんてできるはずがない。

 

そこを一人称を使わずに岡村の存在をぼかして、歌詞には「ホワイトピーチ」という言葉を出さずに「ギザギザがとても痛いよ」という表現で桃缶の存在もぼかしている。

 

岡村隆史を匂わせる程度に抑えた歌詞なのだ。ラジオを聴いていなければ恋愛をテーマにした切ないバラードに感じるし、ラジオを聴いた人には桃缶のことが頭に浮かぶ名曲に感じるのだ。

 

aikoは「誰が歌うか」や「誰のための楽曲か」を考慮した上で作詞しているように思う。優れた感性で作詞するだけでなく、職人的な作詞もできるのだ。

 

それを『ホワイトピーチ』によって知ることができた。職人的な作詞をすることは、自分が気づいていなかったaikoの魅力だ。

 

ところでaikoは『鏡』という曲で「俺」という一人称をつかている。これは前代未聞だ。例外中の例外だ。この理由についても考察しなければならない。今度はaikoが一人称「俺」に込めた想いについて考えたい。

 

鏡

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