オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

ギターソロを聴かずにスキップすることの何が悪いのかわからない

Twitterで「ギターソロ」がトレンド入りしていた。

 

「今年のグラミー賞には、ロック・カテゴリーのノミネート曲にギターソロが1曲もない」という内容のツイートが拡散され、高野寛が引用RTで「ギターソロが始まるとスキップする若者が多いみたい」という仮説を述べたことが発端のようだ。

 

さらにはマーティ・フリードマンが「ギターソロがスキップされる理由」について分析ツイートを連投したりと、多くの音楽業界人も巻き込んで話題になっている。

 

元々はアメリカのグラミー賞に関する話題だったが、いつしか「日本の若者はギターソロをスキップする」という情報が拡散された。この件については信憑性のある引用元や統計結果はない。少なくとも自分は見つけられなかった。今ではそれが確固たる事実かのようにSNS上で議論がされている。

 

「若者がギターソロをスキップする」ことの真偽は不明だが、もし事実だとして自分は何が問題なのかわからない。個人的にはギターソロは好きなので寂しく思うが、音楽の楽しみ方は自由なので無理して興味のない音を聴く必要はないとも思う。

 

そもそも数十年前からずっとテレビの音楽番組では音源から大幅にカットされた状態の音楽が流れているし、ラジオでは曲が途中でフェードアウトすることだってある。曲中にパーソナリティが喋り出すことも一般的だ。クラブDJは最初から最後まできちんと楽曲を流すことは少ない。矢継ぎ早に次から次へと曲を変えていく。

 

それでも音楽を楽しめている人はいる。曲を途中でスキップしたりカットすることは、今の若者による文化ではないこともわかる。それに他人の楽しみ方を批判する権利は誰にもない。

 

個人的には日本の若者が本当にギターソロを聴かずにスキップしているとは思えない。むしろギターソロをきちんと聴いている若者が多いと思っている。

 

ここ数ヶ月ストリーミングチャートのランキング上位に居座り続けているSaucy Dog『シンデレラボーイ』とマカロニえんぴつ『なんでもないよ』にはギターソロがある。1年以上ロングヒットしているAwesome City Club『勿忘』とDISH//『猫』にも、あいみょんのヒット曲のほとんどにもギターソロはある。

 

ギターソロのある楽曲がヒットし続けているのに、それをわざわざスキップしてまで聴く人が多数いるとは思えない。ギターソロが嫌われているならば、ギターソロがない曲がもっとヒットしているはずだ。

 

しかもギターソロが要となっている楽曲もヒットしている。特に『勿忘』の2分35秒あたりから始まるギターソロは印象的だ。

 

 

オシャレで心地よい歌と演奏が続いたところに、中盤で歪んだ音色のギターソロが入ることで楽曲に刺激を加えている。ギターソロがなければ、引っ掛かりがない聴き心地の良い楽曲として聴き流されていたかもしれない。

 

「日本の若者がギターソロをスキップしている」という話は、おそらく身近に偶然そのような若者がいた人の発言か、仮説や想像をしている人の言葉をきっかけに、真偽不明な情報が拡がったのだろう。

 

これはギターソロだけの話ではないとも感じる。おそらく「ギターソロが聴かれずにスキップされる」のではなく、「楽曲の中で魅力的に聴こえない音がスキップされている」のではないだろうか。

 

たまに演奏技術を見せつけるためと感じる、強引に楽曲に組み込まれたギターソロと出会うことがある。楽曲としてはバランスが悪くなるので、演奏が上手いとしても魅力的には感じない。「定番だから」と適当にギターソロを入れる楽曲もある。その場合、自分は楽曲ごとスキップする。

 

サビだってそうだ。「盛り上がるだろう」という安直な考えで不必要にサビをしつこく連発されれば、サビだってスキップしたくなる。

 

一時期ラップを一部分だけ取り入れるJPOPが流行っていた。その中にも名曲はあるが「流行っているから」と適当に入れたラップパートもあった。それでは楽曲を魅力的に感じるはずがない。ラップパートをスキップする人もいたはずだ。

 

AIR『TODAY』という楽曲のサビには〈ほらいつもの曲だね。これ僕は好きさ。でも このあとに続く あのギターソロがちょっと......〉という歌詞がある。

 

 

1997年にリリースされた楽曲だが、この歌の主人公もギターソロをスキップしていたのかもしれない。「ギターソロをスキップする問題」は四半世紀前にはすでに存在していたのだろう。

 

ちなみにこの歌詞の後、皮肉にもギターソロがある。それも「ちょっと......」と思ってしまうような、少しダサい演奏だ。

 

しかしこのダサいギターソロが『TODAY』には必要である。歌詞の物語とギターソロがリンクしているからだ。歌詞の物語に合わせてギターソロが入ることで、楽曲全体の解像度が上がる。そのため楽曲の世界観により浸ることができるのだ。

 

曲と歌詞はバラバラであってはならない。歌詞に相応しい曲が必要だし、曲に相応しい歌詞であるべきだ。そのバランスを取る事で楽曲のクオリティは上がるのだ。AIR『TODAY』は曲と歌詞が組み合わさることで互いに魅力が引き立っているし、ギターソロが必要不可欠な仕掛けがされた楽曲にもなっている。

 

だから『TODAY』のギターソロをわざわざ飛ばして聴く人はいないはずだ。むしろこの歌詞の後にギターソロが来れば、ついつい引き込まれて聴いてしまうだろう。

 

「魅力や必然性がないギターソロ」だからスキップされるのだ。きっと今の若者は『勿忘』のギターソロに感動しているだろうし、あさ1997年当時の若者か『TODAY』のギターソロによって楽曲全体に浸っていたと思う。ギターソロに価値があれば、世代も年齢も関係なく聴かれるはずだ。

 

自分と価値観が違う空想の人物を想像で作り、それを若者と思い込み「最近の若者は」を主語にして、ネット上で語られている。

 

空想上の若者に対して「ギターソロを聴かないなんて......」と、嘆いたり怒ったりショックを受けているように見える。

 

大人は若者を下の立場として見ることが多い。大人が自ら若者と分断を生む行動は控えて欲しい。またコアな音楽ファンはライトな音楽リスナーをバカにしがちだ。音楽を聴くための間口を狭める行動は止めて欲しい。

 

そして情報を冷静に整理した方良いとも思う。正確な情報としてわかっていることは、「今年のグラミー賞のロック・カテゴリーの楽曲はギターソロが少ない」ことだけなのだから。

 

ギターが好きな音楽ファンは、若い音楽ファンの感性をもっと信じて欲しい。きっとスキップせずに聴く若者がほとんどだから。

 

そしてアーティストやギタリストは、若い音楽ファンを痺れさせるギタギターソロや楽曲を作って欲しい。若者やライトな音楽リスナーだって、音楽の魅力を受け取れる感性を持っているはずだから。

 

ところでこの話題についてSNSで検索すると、若者も「ギターソロを聴かずにスキップするなんで...」と驚いたりショックを受けている人が多いようだけど、ギターソロを聴かずにスキップする日本の若者はどこにいるんだ?

 

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