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My Hair is Badの広告看板にクレームが入って撤去されたのは当然かもしれない

渋谷駅前に掲示されたMy Hair is Badの広告看板にクレームが入ったらしい。それを理由に看板は撤去された。

 

 

撤去された看板にはバンドの代表曲である『真赤』の冒頭の歌詞が書かれていた。〈ブラジャーのホック〉という言葉が使われた歌詞の引用に問題があるのだろうか。

 

しかし自分にはクレームを入れられる理由がわからなかった。渋谷周辺にはもっと過激な広告で溢れているからだ。

 

先日まで渋谷にはマッチングアプリの広告が掲示されていた。風俗関係の求人を扱う情報サイトのアドトラックは、昼間から大音量の音楽を流しながら走っている。

 

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『全裸監督』の広告も大々的に掲示されていた。テーマや内容からすると、老若男女に勧めることは難しい作品だ。

 

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決してマッチングアプリや風俗産業を否定はしない。必要とする人も多いサービスや職業だろう。『全裸監督』は面白い作品だと思う。

 

それでも自分は渋谷に堂々と広告を掲示することに懐疑的だ。少なくとも未成年や小さな子どもにはどれも勧められない。広告を出す企業もTPOをわきまえるべきだ。

 

それに対してマイヘアの広告は、楽曲のサブスク配信開始を知らせる広告である。マッチングアプリと違い未成年でも定額音楽配信サービスは利用できるし、『全裸監督』のように過激な性表現があるわけでもない。

 

しかしクレームによって撤去されたのはマイヘアの広告だけ。Tinderと『全裸監督』は中止を検討するほどのクレームはなかったのだろう。契約期間いっぱいまで広告は掲示されていた。

 

 

 

未成年には勧められないサービスや作品であるが、広告のデザインや使われた言葉は性的な要素がない。そこがマイヘアとは違うのだろうか。

 

他の広告も撤去すべきとは思わないが、マイヘアだけクレームによって撤去されることには、どうも納得がいかない。

 

そう思ってしまったが、それは『真赤』を何度も聴いたことがあるからかもしれない。バンドや楽曲のことを知っているが故に、問題点が見えなくなっていた。

 

広告として掲示されていたのは下記の歌詞だ。

 

ブラジャーのホックを外す時だけ
心の中までわかった気がした
携帯なんて出なくていい
いつの間にか
時間が止まればいい
翌朝、君は先に出ていった
僕にと、鍵、残して

※ My Hair is Bad / 真赤

 

この歌詞を読んだ印象は、楽曲を最初から最後まで聴いたことがある人とない人とでは、印象が180度変わるだろう。

 

この楽曲を聴いたことがない人は、この歌詞を読んで「恋人関係である女性ではあるが、力づくに犯して傷つけている」と勘違いするかもしれない。

 

〈ブラジャーのホックを外す時だけ心の中までわかった気がした〉というフレーズからは、「女を抱けば心の中までわかる」と思い込んでいそうな、身勝手な男の感情とも受け取れる。

 

〈携帯なんて出なくていい〉という言葉は、女性を束縛して行動を制限しているように思うだろう。

 

〈翌朝、君は先に出ていった僕にと、鍵、残して〉という歌詞は「傷ついた恋人持っていた男性の部屋の合鍵を置いて別れを告げた」とも解釈ができる。

 

つまり切り取られた部分だけだと、「男性から女性への性暴力」を描いているように見えてしまうのだ。

 

しかし歌詞を最初から最後まで読めば、それは真逆だとわかる。実際は同意の上でのセックスであり、むしろ「都合のいい男」として女性に利用され搾取されている男性の気持ちを歌っているのだ。

 

 

 

広告に使われた歌詞の後には〈いつもは冷たくするくせに二人の時は優しくするんだね 君は言う「あなた、犬みたいでいい」って〉という男性目線からのフレーズがある。中盤には〈君の犬なりに気を遣ったんだ〉とも歌っている。この言葉があると印象が真逆になるだろう。

 

〈合鍵を返して 首輪を外して ちゃんと言おうって決めてた〉という歌詞が後半にあるので、序盤で女性が置いていった鍵は自身の家の鍵であることもわかる。女性が男性のために合鍵を渡したのだ。

 

しかし女性は主人公を都合のいい男として搾取し続けている。それを知りながらも男性は女性から離れられない。

 

だからか後半の歌詞ではお互いのためにと別れを切り出そうとするが、最後のフレーズが〈赤い首輪はついたまま〉ということからもわかるように、結局別れられなかった。

 

つまり利用されつつも女性への気持ちが強まっていく男性の切ない感情を歌っているのだ。

 

この広告のターゲットは「マイヘアを知っていて『真赤』などの代表曲は聴いたことがある人」で、そのような人にサブスク解禁を知らせるものだった。

 

しかし広告を見た人のほとんどはマイヘアのことを知らない人だ。その人にとっては何の文章かわからないし、不快に思う文章に思ってしまうのだろう。

 

それを考慮すると広告の打ち出し方は間違っていたのかもしれない。インパクトはあるが勘違いされてしまうデザインや内容ではある。

 

「ブラジャーのホックを外す歌より、いい曲あります」と書かれた渋谷駅から見て左側の広告はクレームが入らなかったことからも、歌詞を引用した右側の広告には、性暴力を思い起こさせる広告表現になってしまっていたのだとわかる。

 

クレームを出した人の被害妄想かもしれないが、そう思わせる広告を公共の場に出すことには落ち度があった。

 

最近『月曜日のたわわ』という漫画の広告が批判され、SNSを中心に炎上していた。

 

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作品を読んだことがない自分には、この広告の問題点が最初はわからなかった。

 

制服を着た女の子のイラストが書かれただけの漫画の広告としか思わなかったし、そのイラストを見て「かわいい」と思うことが悪いとも思わなかった。

 

胸の大きい登場人物が出てくる漫画らしいが、このイラストは胸が強調されているわけでもない。性的な要素を排除してかわいらしいイラストにしようとしていると感じる。広告の見せ方や内容には気を遣ってはずだ。

 

それでも批判され炎上したのは「たわわ」という胸の大きさを表すスラングが使われているタイトルの作品を、日本経済新聞の一面広告になったことが最も大きな理由だろう。

 

胸の大きい女子高生のイラストに「たわわ」という言葉を組み合わせたのだから、国連女性機関がコメントした通り「男性が未成年の女性を性的に搾取することを奨励するかのような危険もはらむ」と感じた人は存在するということだろう。

 

しかしそれならば、なぜ『全裸監督』の渋谷の広告は問題にならなかったのだろうか。そういえばこちらも新聞に全面広告を出していた。

 

未成年の登場人物はいないものの、『月曜日のたわわ』よりも作品の方が過激な性描写がある。しかも漫画ではなく実写である。Netflixでは「官能的、問題を提起する」という表示がされていて、18歳未満の視聴は推奨されていない。

 

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決して『全裸監督』の作品自体を否定はしない。それと同じように『月曜日のたわわ』も否定したくない。エロもセクシーも表現として守られるべきだ。

 

しかし老若男女不特定多数が目にする場に、性表現がある作品を広告として打ち出すことに問題はあるはずだ。その部分については『全裸監督』と『月曜日のたわわ』のどちらにも批判すべき点がある。

 

それなのに1つの作品だけ狙い撃ちで叩かれている。これはおかしい。これは広告業界全体の問題として冷静に批判し考えるべきではないだろうか。

 

つまるところ「声の大きい人に目をつけられるかどうか」によって問題視されるかが決まるのだろう。だから同じような過激さを持っていたとしても、批判される作品とスルーされる作品が出てくる。

 

未成年が登場しているということで叩かれてもいたが、それならば現実に活動しているアイドルはどうなのだろう。

 

男女ともに未成年のアイドルは多い。アイドルには歌やダンスなどに魅力を感じる部分は多いが、それでも性的な部分で惹きつける要素はあるし、ファンは彼ら彼女らの性や人生を搾取している。

 

自分も好きなアイドルはいるが、そんな問題を感じることはある。変えていかなければならないとも思う。

 

さらに言うと例えば飲料水のCMに未成年が出ているだけで性的な目で見る大人は、男女限らず存在する。学生スポーツには性的な刺激を求めて観戦に行く大人がいる。漫画の登場人物よりも実在の人物について考えたほうがいいのではないだろうか。

 

そもそも成人していれば問題ないかといえば、それもまた違うとも思う。

 

つまり『月曜日のたわわ』は、偶然目をつけられたということだ。

 

最初は新聞の一面に広告を出したことが批判されていたが、その矛先は少しずつ方向が変わり、今では作品内容や読者までも批判されている。それも「不快だから」という感情的な理由による批判になりつつある。

 

新聞広告や看板広告への批判ならば、そのような感情的な理由でかまわない。その結果として広告が取り消されてもしかたがないだろう。

 

不特定多数の目に強制的に入る広告ならば、企業側も不快にならないよう考慮すべきだ。しかし「作品」に対してまで感情的な理由で取り消そうとする流れになってはならない。

 

 

 

一部の人の「不快だから」という感情に流され、それに合わせていては芸術もエンタメも崩壊してしまう。声の大きい人に気を使って作品を作ることは、表現ではなく接客だ。業種や職種が変わってしまう。

 

時代に合わせた表現をすることと、声の大きい人に合わせた表現をすることとでは、本質が全く違うのだ。

 

マイヘアの広告は問題点があったかもしれない。しかし広告を見た人の中で問題視している人は少人数だろう。おそらくマイヘアの広告も「声の大きい人に目をつけられた」からクレームが入ったのだと思う。

 

それにしても広告へのクレームだけで済んで良かった。「不快だから」という個人の感情を理由に、作品やバンドまでも批判される可能性もあった。

 

マイヘアはロックバンドだ。お行儀が良い無害で平和な音楽ばかりやっているわけではない。「声の大きい人」に叩かれる隙はいくらでもある。

 

『真赤』以外の楽曲も批判されていたかもしれない。女性の胸がイラストが使われたアルバム『woman's』のジャケットも批判されたかもしれない。

 

時代の変化とともに世の中の価値観や常識は変化していく。特にジェンダーや性表現に関する部分は日々アップデートされてる。10年前は許された表現でも、今は許されないものがたくさんあるのだ。

 

それは良いことに思う。それによって世の中はよりよくなるし、傷つく人も減るはずだ。これからもアップデートし続けるべきだろう。

 

しかしアップデートを急ぐあまりに、最近は様々な表現や発言に対し、過敏に過剰に反応する人が増えていないかとも思う。

 

極端に許容する範囲を狭め、自分の価値観が絶対だと思っている人が増えてはいないだろうか。それによって表現や発言を必要以上に気を使うようになって、逆に生きづらい世の中にならないかと懸念してしまう。

 

 

自分は過激な表現をする音楽によって、心が救われた経験がある。そのことは上記のブログに文章として残した。

 

もしも誰も不快にさせない表現で溢れる世の中になったとしたら、救われずに死んでいく命や、永遠に心の傷が癒えない人もでてくるのではと思う。

 

過激な表現も性的な表現も、暴力を推奨しているわけでも躍動させているわけでもない。むしろその逆だ。暴力的な感情を表現に落とし込むことで浄化し、表現に触れた人はそれをきっかけに自身の暴力性を落ち着かせる場合もあるのだ。

 

広告に対する批判や苦言は当然の権利だ。広告は見たくなくても目に入る。「不快に思った」という理由で問題視して広告掲載を取り消そうとすることが悪だとは思わない。しかし作品内容まで取り消そうとすることは正しいのだろうか。自分はそうは思えない。

 

とはいえ人それぞれ価値観も考え方も違う。人の気持ちを全て理解することはできないし、心の中まではわからない。

 

マイヘアの広告にクレームを入れた人にも、『月曜日のたわわ』を「男性が未成年の女性を性的に搾取することを奨励するかのような危険もはらむ」と感じた人にも、それぞれの正義がある。自身の正義とともに、価値観が違う人の正義も尊重するべきだ

 

誰かを傷つけることを目的として表現や発言をしている人はきっといない。批判は「より良くしたい」という気持ちから行われるものだろう。それがエスカレートした時に本質を見失ってしまうだけで、傷つけたいとは誰も思っていないはずだ。

 

だから自分は価値観が違う人同士で叩き合うのではなく、歩み寄っていきたい。どうしても合わないのならば、その理由を確認しあってお互いを尊重し合いたい。

 

それにしても、ブラジャーのホックを外さずとも心の中がわかる世界だったらいいのに。

 


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