オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

きのこ帝国は勘違いによって批判された勿体ないバンドだった

2019年5月27日。きのこ帝国が活動休止を発表した。谷口滋昭(Ba.)がバンド結成10周年イヤーを終えたことに達成感を覚え、実家の家業を継ぐ決断をしたからだ。

 

バンドは谷口以外のメンバーがベースを弾くイメージができないと言うことで、活動休止に踏み切った。それから3年経ち2022年になったが、今でも3年前のあの日の台詞が傷つける。

 

きのこ帝国は日本のロックシーンで深い爪痕を残したバンドだとは思う。しかしバンドの方向性が大きく変化した故か、批判されることも少なくはなかった。特にメジャーデビュー以降は批判の声も増えていたと思う。そこには熱狂的なファンからの批判もあった。

 

絶賛と批判の両方の意見を浴びても、信念を曲げずに自らを貫くバンドだったと思う。そんな不思議なバンドでカッコいいバンドだった。

 

全国流通のCDを出してしてすぐに、存在や楽曲がインディーズシーンで注目を集めつつはあったが、『ロンググッドバイ』というEPによって、ファンが倍増した感覚がある。

 

特に『海と花束』という楽曲はインパクトが強かった。この楽曲に衝撃を受けてファンになった人も多いようだ。インディーズバンドをそれほどチェックしていない音楽ファンにも知名度を上げたと感じる。

 

 

シューゲイザーや90年台オルタナティブロックの影響を感じるサウンドに、キャッチーなJ-POP的な歌メロが重なる。佐藤千亜妃のどことなく投げやりで倦怠感あるぼボーカルはクセになる。

 

この楽曲が発表された2013年はちょうど音楽フェスがバブル的な人気になっていた。それもあってか観客を盛り上げ踊らせるような所謂「四つ打ちロック」がブームになっていた時期である。

 

そんな中で「踊らせる気がない轟音のロック」は異質だった。だからこそインパクトがあったし、流行りのロックにノリきれない音楽ファンの心を掴んだのかもしれない。

 

そんな唯一無二の個性を持っていたからか、沼に沈むように深くハマるファンも多かったようだ。初の全国流通版『渦になる』をリリースした時からそうだった。

 

 

このミニアルバムの収録曲は、日本語だからこそ描ける抒情的な言葉が綴られた歌詞が多い。それでいて内面を曝け出すような言葉や、狂気を感じる言葉も使われている。

 

そんな言葉がシューゲイザーやポストロックの影響を感じる演奏に乗せられ、美しい歌メロで歌われると、心地よさと緊張感が同居しているような不思議な聴こえ方がする。こんな音楽をやるバンドは他にいなかった。デビュー盤にして代わりが見つからない唯一無二のバンドになっていた。

 

次にリリースされた初のフルアルバム『eureka』も凄まじい作品だった。バンドの狂気的な部分が強調された曲や歌詞が多く、濃度が高いものになっている。

 

 

例えば『夜鷹』ではポエトリーリーディングを取り入れて〈殺すことでしか生きられないぼくらは〉という強い言葉が使われているし、『春と修羅』では〈あいつをどうやって殺してやろうか〉という放送禁止になりそうな言葉が歌詞に使われている。

 

作詞作曲を担う佐藤の内面が、前作以上に濃く楽曲に反映されるようになった。

 

濃度の高い音楽に惹きつけられた者は、濃度の高いファンになる。そのためきのこ帝国は、初期から濃いファンが多かった。

 

その2作品を経て、今度はメロディアスな部分を濃く出した次作品が『海と花束』が収録されているEP『ロンググッドバイ』に思う。

 

 

濃いファンを突き放すことなく、より開いた音楽を取り入れた作品だ。きのこ帝国の快進撃はこのEPから始まったのだろうし、次作がよりヒットすることを予想していたファンも多かったはずだ。そう思わせるほどの求心力があった。

 

予想通りに次作となる2ndアルバム『フェイクワールドワンダーランド』は、より多くの人の耳に届き受け入れられた。『CDショップ大賞』で今作が入賞したこともあったのだろう。きのこ帝国に衝撃を受けて魅了される人はどんどん増えていったし、ライブのキャパも右肩上がりで大きくなった。

 

 

しかしファンの間では一部から否定的な意見も出ていた。

 

作風はより開いたものになっている。歌詞は狂気よりも抒情的な部分が前面に出るようになり、轟音は減り歌声が際立つようになった。前向きな表現や明るい表現も増えてきたこともあり、初期からのファンの一部には違和感を覚える人もいたようだ。

 

──詞の部分ではどうですか? きのこ帝国の歌詞って今までは怒りや悲しみといった負の感情が強いものが多かった印象があったんですけど、今回はだいぶ変わりましたね。

負の感情みたいなものを吐き続けていくと、なんかそこに対しての美学みたいなものが生まれてきちゃって、それがすごくいやらしいものに思えてきたんですよね。自分が変化するごとに曲もちゃんとそれと同じ感覚で作っていかないと嘘の表現にまみれたピュアじゃない音楽になっちゃう。

 

──求められてるからって、負の感情をぶつけることをずっと繰り返していても、っていうことですか?

そうですね。そこに出口を一切感じなくなっちゃったんです。ずっと同じ薬を投薬してる感じというか。いつかその薬抜きをしないといけないときは来るから。

 

──でも「昔のきのこ帝国のほうが好きだったのに」って感じる人もいるかもしれませんよね。

いると思います。最近インタビューとかで「幸せになっちゃったんだね」みたいなことも言われたんですけど、その幸せになっちゃった状態って別にいいことなんじゃないの?って思うし、今は反感を覚える人がいても10年後20年後に聴いたときに何か感じてもらえたらいいんですよ。いつかまたどこかで交わればいいと思うから。だから今否定されても……まあちょっとさみしい気持ちもあるけど、それは受け入れる。人それぞれの人生なので。

 

きのこ帝国「フェイクワールドワンダーランド」インタビュー

 

インタビュー中の発言から察するに、メンバーは批判があることは知っているし、その上で自分たちの表現を貫き突き詰めようとしているようだ。このアルバムで佐藤はアレンジを基本的に他のメンバーに任せている。そういった意味でもバンドの絆が深まり一体感が増した作品となのかもしれない。批判があったとしても、これがバンドの進む道であり進化の過程なのだ。

 

きのこ帝国は『フェイクワールドワンダーランド』で高い評価を集めた翌年、シングル『桜が咲く頃に』でメジャーデビューを果たす。そしてメジャー1stアルバム『猫とアレルギー』を満を持してリリースしたが、特にファンの間で賛否が分かれる結果となった。

 

 

今作はサウンドはピアノやストリングスなどバンド外の音を積極的に取り入れている。佐藤は初期の突き放すような倦怠感ある歌唱方法ではなく、優しく包み込むような歌唱方法に変わった。歌詞から狂気は消え、共感を呼ぶような表現が増えた。キャッチーな部分が最も強調されている作風に思う。

 

ビジュアルやバンドとしての見せ方も変わった。オシャレな衣装を着て綺麗なメイクをしてMVに出演している。歌がメロディアスであることは初期から変わっていないものの、『eureka』を出したバンドとは思えないほどの変化を遂げている。

 

『フェイクワールドワンダーランド』をさらにポップに振り切ったような作風に動揺するファンは多かったと思う。「メジャーに行ったから売れ線に走った」と批判するファンもいた。正直なところ、自分も最初は戸惑ってしまった。

 

しかし「きのこ帝国がここまで開けた音楽をやれるバンドに進化した」とも感じる。

 

メジャーデビューによって離れたファンは多かったかもしれない。しかしメジャーデビューによって付いたファンも少なくはないはずだ。離れるファンがいることを覚悟した上で、自らを貫いて変化をしたのだろう。

 

バンドとしては絆がより強固なものになったようだ。インタビューでは「メジャーデビューを機に普段はしていなかったバンド内での話し合いは増えた」と語っている。作風の変化は関係者から助言されたわけではなく、バンドの話し合いでメンバーが決めたことらしい。

 

「メジャー移籍に合わせたものではなくて、自分たちのなりたい未来像が明確にあった」「“メジャーの大人の言いなりになってしまった”とよく勘違いされるんですけど、自分たちのやりたいことをやりたい放題しているだけなんですよ(笑)」とも語っている。(きのこ帝国 「猫とアレルギー」インタビュー )

 

つまり「大人の事情」も「ファンの顔色」も伺うことなく、自らを貫いているのだ。その頑固でブレない姿勢はロックバンドとして正しい。尖ったサウンドを鳴らすだけで精神がブレブレなバンドよりも、ポップな音を鳴らすきのこ帝国の方が精神はロックである。

 

自らを貫く姿勢はメジャー2ndアルバム『愛のゆくえ』にも表れている。この作品も当時のバンドが「やりたいこと」を突き詰めた作品なのだ。

 

佐藤はインタビューで「自分が好きなテンポ感だったり、バンドがやりたいリズムの曲を作っていったら、全体的にテンポが遅くなって。」と語っている。(きのこ帝国、2nd Albumで様々な “愛のゆくえ”を描く。)

 

それゆえに『猫とアレルギー』とは全く違う方向性になり、キャッチーなポップスを好んでた新しいファンを突き放してしまったかもしれない。

 

 

音楽性の幅は広がり今作ではR&Bやレゲエまでも取り入れた。そこに初期を彷彿とさせる轟音を組み合わせている。

 

楽曲の構成も過去作とは少し違う。J-POP的なAメロ→Bメロ→サビといった構成の楽曲は減り、メロディや言葉の繰り返しによって心地よさを増大させる方向性に舵を切った。前作よりも初期作品に近い性質を持っているアルバムではあるが、新しい挑戦をいくつもしているのだ。

 

しかし初期に近いサウンドだとしても、歌や演奏から狂気を感じることはない。『フェイクワールドワンダーランド』以降の包み込むような音色と、メジャーデビュー以降の優しさを感じる歌声である。過去の積み重ねを全てミックスさせ、そこに新しい要素をプラスした作品と言える。バンドの経験が音楽に滲み出ているのだ。

 

この作風をメジャーで出せるということは、「自分たちのやりたいことをやりたい放題しているだけなんですよ(笑)」とインタビューで答えていたことも、嘘ではないのだろう。

 

バンドが大人に振り回されるどころか、大人がバンドに振り回されているのかもしれない。「売れ線」とは真逆の作品なのだから。それでもレコード会社や事務所はバンドの才能を信じてくれたのかもしれない。

 

その代わりキャッチーさは減ってしまったので、今度は『猫とアレルギー』でファンになった人が動揺した可能性がある。コアな作風が好きなインディーズ時代のファンに刺さる作風かもしれないが、その頃のファンは離れてしまった人も少なくはない。きのこ帝国がディープな方向へ振り切ったことに、当時は気づいていなかったかもしれない。

 

それゆえに今作の魅力は音楽ファンにきちんと伝わっていないと感じる。それが残念だ。右肩上がりだったバンドの人気も、メジャーデビュー以降は落ち着いてしまった

 

それでもバンドは自分たちのやりたい音楽を突き詰めていった。現時点で最後のアルバムになっている『タイム・ラプス』も例外ではない。

 

 

このアルバムは「素直な作品」だ。初期のようにバンドのイメージを構築しようともしていないし、積極的に意識してキャッチーにしようともしていないように感じる。

 

ただただ良い曲と良い歌詞を書いて、バンドが良いアレンジを作り良い演奏をしている作品ではないだろうか。きのこ帝国が素直にロックを鳴らしたら「自然とバンドの個性や魅力が滲み出た」と言える雰囲気だ。

 

インディーズ時代のファンは、やはり『タイム・ラプス』も受け入れられない人がいるようだ。やはり「売れ線に走った」と批判する人はいた。Amazonのレビューにも初期のファンから低い点数が付けられている。インタビューで語られた「普遍的なJ-POP」を求めている初期のファンはいないのだろうから仕方がない。

 

—より普遍的な、いわばJ-POPを目指した?

佐藤:そうですね、音楽というものは誰かを弾いてしまってはよくないと思っていて、やっぱりどんな人でも聴けるものが根底にあってほしいので。どんな人でも感動できるような、心に響くような音楽を作りたいなと、今までで一番意識して作りました。作曲的にはこれまでやってこなかったようなコード進行だったり、新しいチャレンジもしていて、それでもメロディーの聴きやすさを大切にしていたんです。

きのこ帝国「タイム・ラプス」インタビュー

 

しかし初期作品への思い入れが強すぎてバンドの変化を受け入れられないとしても、「売れ線に走る」という批判はズレていると感じる。

 

バンドはずっと一貫して多くの人に開こうとしている。開き方に程度の差はあるとしても、ずっとブレずに活動している。

 

インタビューを読めば『渦になる』の頃から変わっていないことがわかる。バンドは批判されることを恐れず、軸はブラさないことを条件に試行錯誤を繰り返したのだ。

 

佐藤 : 大体はコード進行とリフと歌のデモで持ってくるのが多いですけど…セッションと半々ぐらいですかね。でも、基本的にうちらのやる音楽は、軸にちゃんとしたメロディと歌詞がないと成立しないと思ってて、そこが完成しない限りはいい曲にならないと思うので、歌は一番大事ですね。
あーちゃん : 言葉がありきにはしたいなっていうのがあって、リズム隊の2人にはかなり色々言ってしまうことがあって。「歌詞がこう言ってるから、こうしてほしい」とか。

きのこ帝国『渦になる』インタビュー

 

活動初期から「メロディと歌詞」を再重要視していた。尖ったサウンドは当時のメンバーがメロディと歌詞を最も魅力的に届ける方法を模索した結果なのだろう。

 

『ロンググッドバイ』リリース時のインタビューでも「良いメロディを作りたいという欲求はリリースを重ねるごとに感じています」と語っている。(きのこ帝国「ロンググッドバイ」インタビュー )

 

その後の作品はよりメロディの良さを伝えようとするアレンジが増えたことからも、バンドがずっと大切にしていることをリリースする都度に磨きをかけていたことがわかる。

 

しかし大胆な変化を繰り返していたので、「ブレない軸」があることリスナーに伝わりづらかったのかもしれない。それが勿体無いバンドだったと思う。

 

今更かもしれないが『渦になる』から『タイム・ラプス』まで時系列に辿るように聴いてみてほしい。きっと「メロディと歌詞」を初期からずっと変わらずに大切にしていたことがわかるだろう。

 

きのこ帝国は一貫して「良い歌」を作ろうとしていた。多くの人に聴いてもらいたいと、ずっと思いながら活動していた。

 

本当は武道館やアリーナでもワンマンができるポテンシャルがあった。大型フェスのメインステージに立てる実力と個性もあった。ミュージックステーションに出れるぐらいの求心力もあった。きっかけを掴めれば、もっと広まったバンドだったと思う。

 

だからバンドが思い描いていたほどの多くの人には届かなかったかもしれない。ファンも「もっと売れるはず」と信じていた人も多いだろう。

 

しかし少しずつではあるが、きのこ帝国の音楽は活動休止後も広がっている。

 

『クロノスタシス』は大ヒット映画『花束みたいな恋をした』で印象的に使われて話題になった。映画をきっかけにきのこ帝国を好きになった人もいるはずだ。

 

関ジャムのゴールデンスペシャルで放送された『令和に活躍する若手アーティストが選ぶ最強平成ソング特集』では、Reiが『金木犀の夜』を選んでいたし、私立恵比寿中学の安本彩花はライブで『金木犀の夜』をカバーしている。あのちゃんはラジオで『愛のゆくえ』を弾き語りで歌っていた。

 

バンドの目指していた「普遍的なJ-POP」として、少しずつきのこ帝国が受け入れられつつある。

 

 

そういえば佐藤千亜妃は活動休止後にソロライブで、何度かきのこ帝国の楽曲をバンドセットで披露していた。しかしサポートメンバーが演奏した『東京』や『クロノスタシス』はきのこ帝国の演奏と殆ど同じアレンジで演奏されたのに、全く違うサウンドに聴こえたし、全く違う印象に感じた。

 

どちらが良いか悪いかの話ではないが、演奏するメンバーが違うだけで、ここまで変わるのかと思った。どんな方向性の作品をリリースしても「きのこ帝国の音楽」になっていたのは、やはり佐藤千亜妃とあーちゃんと谷口滋昭と西村"コン”の4人が演奏したからなのだろう。

 

この4人でなければ”きのこ帝国”にはなれない。「谷口以外のメンバーがベースを弾くイメージができない」として谷口の脱退とともに活動休止を選んだことは必然なのだろう。

 

それでも今も「活動休止」という3年前のあの日の台詞が、自分の心を傷つける。これほど良いバンドが広まる前に活動を止めたことが悔しいし勿体無いと思う。

 

いつかまたきのこ帝国のライブを観たい。可能ならばきのこ帝国の新曲を聴きたい。「解散」ではなく「活動休止」だから、いつか「活動再開」があるのだと信じている。少しだけ希望の光を感じながら、いつかの「活動再開」を願い続けていたい。

 

だから自分は、日々あなたの帰りを待つ。

 

タイム・ラプス(通常盤)

タイム・ラプス(通常盤)

Amazon