オトニッチ

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川本真琴の初期2作品が名盤である理由を分析した

自分がずっと念願していたことが叶った。

 

川本真琴のメジャー1stアルバムと2ndアルバムが、ようやくサブスク解禁されたのだ。

 

 

去年の春もそのことについて自分はツイートしている。何年もこの日を待っていたのだ。

 

CDは持っている。だからいつだって聴くことはできる。それでもサブスク解禁を熱望していたのは、聴かれる機会が減った名曲と、川本真琴のぶっ飛んだ才能を埋もれさせたくないからだ。

 

自身の名前をタイトルにした1stアルバム『川本真琴』が発表されてから25年経っている。しかしその音に古さは感じない。2022年に流行っている音楽とも親和性があるので、現代に作られた新作と言われても違和感を覚えないだろう。

 

JPOPは歌を聴かせる文化が根付いている。それは歌謡曲からの文化が引き継がれたからだろう。

 

だからかメロディの美しさや歌詞の内容を伝えることを重視した楽曲が、ヒットして受け入れられる傾向があった。海外のR&Bをルーツとする日本のアーティストでも、J-POPシーンでヒットした楽曲はメロディ重視の楽曲やバラードが多い。

 

それが2020年台になってOfficial髭男dismやKing Gnu、米津玄師や星野源により、リズムを重視した楽曲がヒットすることが増えた。歌謡曲を軸に発展したJ-POPではなく、ブラックミュージックを軸に発展したJ-POPが支持されるようになった。

 

 

 

 

それが主流になって影響もあるのか、最近はブラックミュージックの匂いをほとんど感じないのに、リズムを重視したJ-POPを作るアーティストも増えている。

 

今まで主流でなかったジャンルが綺麗にJ-POPと混ざり合った。その結果、新しい主流の形が生まれた。これは大きな時代の変化である。

 

川本真琴がデビューした当時は、歌謡曲の影響が色濃く残るJ-POPがシーンの中心だった。小室哲哉の音楽が最新だと思われて、彼の作った音楽がチャートを埋め尽くしていた時代だ。

 

そんな頃から彼女はリズムを大切にした音楽を作り、リズムを意識した歌をうたっていた。しかも作風からはブラックミュージックの匂いをほとんど感じない。それなのに彼女の作る音楽はリズムが心地よい。それは現代のJ-POPと通ずる部分がある。

 

1stアルバム『川本真琴』の頃からそうだ。リズムが印象的な楽曲ばかり収録されている。

 

 

川本真琴は歌詞で韻を踏みまくる。ヒップホップかと思うぐらいに踏む。

 

しかしラップをしているわけではない。綺麗に韻を踏んだ歌詞をメロディに当てはめて歌っている。言葉のリズムとしての気持ちよさと、音楽のメロディとしての気持ちよさの、両方を表現しているのだ。

 

これはヒゲダンの歌詞に近い。例えば彼らのヒット曲『Predenter』でも終始韻を踏み続けている。

 

Pretender

Pretender

  • Official髭男dism
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

Aメロの最初から〈君とのラブストーリー それは予想通り〉と韻を踏んでいるし、Bメロでも〈もっと違う関係で もっと違う設定で〉と母音を揃えている。

 

あの印象的なサビも〈運命の人は僕じゃない 辛いけど否めない〉〈痛いな いやでも 甘いな いやいや〉と韻を踏むフレーズだらけだ。言葉の持つリズムによって気持ちよさを生み出している。美しいメロディというよりも気持ちいいメロディだ。

 

川本真琴は1stアルバムからこのような作詞手法を取り入れていた。

 

デビュー曲『愛の才能』でも〈愛の才能 ないの  今も 勉強中よ SOUL〉とサビの最も印象に残る部分で韻を踏み続けている。〈SOUL〉という歌詞も実際は〈ソオ〉と発音することで母音を”o”で揃えているのだ。母音を揃えることでリズミカルな歌になっている。

 

 

 

 

それはミドルテンポの楽曲でも変わらない。『タイムマシーン』でも〈そばにいたいよ 君の彼女で 明日変わるね あたし変わるよ〉サビの1フレーズでいくつも韻を踏んでいる。アップテンポで早口言葉に感じる『焼きそばパン』でも同様に〈ひとりぼっちで屋上〉〈ひとりぼっちでやれそう〉と韻をしっかりと踏んでいる。

 

同じ言葉を繰り返すことが多いことも特徴だ。『DNA』のサビでは〈ぐるぐるまわってる まわってる まわってる〉と歌っているし、代表曲『1/2』のサビでは〈唇と唇 瞳と瞳と 手と手 神様は何も禁止なんかしてない 愛してる 愛してる〉と同じ言葉を繰り返すフレーズを連発している。

 

歌詞の意味としては繰り返さなくても伝わるが、あえて繰り返すことで言葉にノリを作り出し、聴いた時の心地よさは増大させている。

 

話し言葉や若者言葉を歌詞に多用していることや、90年台は特に世間には批判されがちだった「ら抜き言葉」を使っていることも特徴だ。単語の途中で区切って歌ったり、本来とは違う発音で歌うことも多い。

 

これは文法や日本語としての正しさよりも、言葉の響きの気持ちよさを重視しているからに思う。

 

メロディに言葉を乗せて歌にして伝えるというよりも、リズムに言葉を乗せたら結果的にメロディが作られたという感じの歌唱だ。

 

つまり90年代の川本真琴は、2020年に流行っている音楽と近い方向性の音楽を作っているのである。彼女は出てくる時代が早すぎたのかもしれない。

 

2ndアルバム『gobbledygook』では、作詞作曲のセンスに磨きがかかり深みが増した。

 

 

特に『ピカピカ』が素晴らしい。演奏と歌とで違うリズムやテンポに感じる瞬間がある、不思議な楽曲だ。

 

演奏はスローテンポで、手数の少ないドラムが印象的だ。そんなリズムに合わせ川本真琴は自由自在に歌をうたう。

 

演奏に合わせてスローに歌っているかと思いきや、演奏の倍のテンポでリズムを取るような早口の歌唱をしたりする。

 

これは現在ヒップホップシーン主流となっているトラップというジャンルの音楽に、ラップを乗せる時のリズムの捉え方に近い。

 

 

 

 

他の楽曲でもこの特徴はあるが、特に『ピカピカ』では顕著に思う部分だ。川本真琴は無意識のうちに時代を先取りしていたのかもしれない。

 

ヒップホップではない現代のJ-POPでも、このようなリズムの捉え方をする人気アーティストがいる。ずっと真夜中でいいのに。だ。

 

ずとまよも韻を踏んだり同じ言葉を繰り返す歌詞が多い。川本真琴ほど大胆にはやっていないが、同様に歌のテンポを自由自在に変えて歌唱している。楽曲を聴けば同じメロディのようでも、言葉数が違うフレーズを使って歌に独特なリズムを加えていることがわかるはずだ。

 

正義

正義

  • ずっと真夜中でいいのに。
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

やはり川本真琴は出てくる時代が早すぎたのかもしれない。時代が回って川本真琴の初期2作品に近い音楽が流行っているのだから。

 

「1/2だけの一発屋」と評されることが多いが、彼女は名曲を大量に作っていて、唯一無二の才能を開花させていた。

 

偶然一発だけ当てた運の良いアーティストではない。メジャーシーンの文化が活動スタイルに合わなかっただけだ。むしろ運が悪いのかもしれない。正当に評されることが少ないのだから。

 

ここまでリズムを重視した歌に言及してきたが、自分が川本真琴の音楽で一番好きな部分は歌詞の内容である。内容から滲み出る、一貫した哲学や価値観に最も魅力を感じるのだ。

 

川本真琴は孤独であることを不安に思い、誰かと一つになることを過剰なまでに求めている。そんな感情を歌にすることが多い。

 

代表曲『1/2』でもそうだ。

 

〈境界線みたいな身体が邪魔だね〉〈二個の心臓がくっついてく〉と「一つになること」について表現したフレーズが多用されている。

 

サビの〈唇と唇 瞳と瞳と 手と手 神様は何も禁止なんかしてない〉という歌詞も、そういうニュアンスを含んだものだろう。そもそもタイトルからしても「2人で1つ」という意味が込められているはずだ。

 

『DNA』でも〈あたしたちって あってない? 身体なら1ッコでいいのに〉と歌い『ドーナツのリング』では〈今ここにいるためにつながっている〉と繋がりについて歌っている。

 

そして失恋をテーマにした『タイムマシーン』では〈そばにいたいよ 君の彼女で 明日変わるよ あたし変わるよ〉と自らを変えてまで繋がりを求める依存的な感情を綴っている。

 

 

 

 

孤独であることを恐れ、過剰すぎるほどに繋がりを求めている。その結果として身体さえも1つになりたいと思い、自らを犠牲にしてまで繋がろうとする。ひたすらに繋がりを求めて葛藤しているのだ。

 

しかし2ndアルバム『gobbledygook』の楽曲では、繋がれないことへの悲しさや寂しさも表現するようになった。

 

学校を卒業し大切な人と別れることについて歌った『桜』では〈桜になりたい〉と桜のように散ってしまいたい感情を歌いつつも、〈ひとりぼっちになる練習してるの〉と孤独になることを受け入れようしている様子がわかる。

 

『キャラメル』では〈君と食べてるサラダを愛してみる〉と相手への深い愛を歌いつつも〈君を失うあたしの未来想う あたし失う君の未来想う すぐに全部消えてしまう〉と、ずっとは繋がれない寂しさと悲しさについて諦めに近い言葉で表現している。

 

〈指切りしよう そうしよう 嘘ならまぁいっか〉という『雨に唱えば』の歌詞も印象的だ。

 

1stアルバムでは過剰なほどに繋がりを求めていて、繋がることで何もかもが救われると思っている内容が多かった。

 

しかし2ndアルバムでは繋がっても離れてしまうことを認め、その悲しみや切なさを繊細に表現している。

 

2枚のアルバムを作ることで「繋がり」についての自身の哲学や思想を深め、達観して悟りを開いたようだ。その表現の凄みに自分は惹かれ続けている。

 

その後の川本真琴は1枚のシングルをリリースしツアーを回ったものの、ソニーとの契約を更新せず事務所も退社し、メジャーシーンの第一線から自ら退いた。それ以降はマイペースにインディーズ活動を続けている。

 

現在の川本真琴はメロディや言葉の美しさを伝える歌唱が多い。リズムを重視した歌唱や言葉選びは少なくなった。「繋がり」について歌った歌詞は減ってしまった。おそらく『gobbledygook』で繋がりについては表現し尽くしたのだろう。

 

もちろん今の川本真琴も素晴らしい。しかしメジャー時代のアルバム二枚には、今とは違った個性と魅力があった。

 

サブスク全盛期の今、過去の名曲が再評価されることは増えている。しかし配信されなければ、逆に埋もれたままで誰も見つけてくれない時代でもある。

 

新作のCDも売れない時代なのだから、過去のCD作品をわざわざチェックする人などほとんど居ない。

 

ようやくサブスク解禁されたことで、再び川本真琴の過去の名曲たちが注目されるきっかけが生まれた。

 

愛の才能はないかもしれないが、音楽の才能を持っている彼女の音楽を、聴いてみてほしい。

 

The Complete Singles Collection 1996~2001

The Complete Singles Collection 1996~2001

  • アーティスト:川本真琴
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