オトニッチ

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赤い公園のラストライブを観て想ったことについて

 

赤い公園が夏にアルバムをリリースする。夏フェス出演が落ち着いた秋からは全国ツアーだ。ツアーラストは初のアリーナワンマンだろうか。日本武道館か東京ガーデンシアターなら嬉しい。

 

そんな妄想をしてしまう。赤い公園は解散したのだから、あり得ないことなのに。

 

決して現実逃避をしているつもりはない。配信ではあるがラストライブは観た。解散についての挨拶をメンバーの口から聞いた。「解散する」とはっきり言っていた。だから解散することを理解している。自分は至って冷静だ。

 

ではなぜそんなことを思ってしまうのか。それは悲壮感など全くない、鮮やかで爽やかなライブだったからだ。今までのライブと同じように、楽しい余韻だけを残してくれたからだ。

 

津野米咲が特別な事情で休んでいて、その代打として豪華ゲストが参加したスペシャルライブといった雰囲気。解散ライブなのに未来につながりそうな雰囲気。

 

最後くらいどころか、最初からずっとかっこつけてくれた。素敵な思い出にして終わらせてくれた。永遠に続くと思うほどに素晴らしかった。そんな幸せな余韻に浸ってしまえば、誰もがあり得ない未来を妄想して想像してしまうだろう。

 

それを虚しいことだと言わないでほしい。赤い公園の音楽を再生させれば、そこは自分だけのライブ会場だ。ラジオから流れたのならば、数万人集まるライブ会場だ。頭の中の妄想は頭の中で現実になるのだから、むしろ充実した最高の時間だ。

 

しかし解散することは揺るがない事実ではある。実際にこの目でライブを観ることは二度とできないし、津野米咲に会うこともできない。

 

だから悔しいし悲しいし切ない。どれだけ楽しくて明るいライブを観ても、背景にある事実のせいで別の感情も湧き出てしまう。

 

もっと彼女たちの活動と躍進を観たかった。これからきっと赤い公園に影響を受けた後輩ミュージシャンがたくさん出てくる。その時に「伝説のバンド」ではなく「現役のバンド」として迎え入れ、一緒にロックシーンを盛り上げる姿を観たかった。

 

ここまで書いたことは1人のファンの戯言だ。傍迷惑なわがままだ。自分でもダメなファンだと思う。きっとメンバーはもっと悔しくて悲しんでいるだろうから。苦渋の決断なのだから。

 

メンバーは最後のライブを明るくやり切った。MC中に泣いてしまっていたけれど、最後は笑顔で演奏を終えた。ファンの悔しさも悲しさも浄化させようとしていた。

 

赤い公園は最後まで小粋だった。笑えるジョークの代わりに、笑顔になれる音楽を鳴らしてくれた。

 

情けないファンの自分は、赤い公園のように小粋にはなれなかった。「笑ってみせろ」と言われても、オレンジが滲んでしまう。

 

始まった瞬間に涙が出てきた。最後に演奏された『凛々爛々』では涙が止まらなくなった。メンバーは笑顔でいてくれたのに。自分は色々な想いが溢れすぎて、感情を抑えきれなかった。

 

今でも自分はバイバイできない。ショートなホープに手を伸ばしたくなる。さよならなんて簡単な言葉に詰まってしまう。

 

小粋ではない上に面倒臭いファンで申し訳ない。でもそんな人間でも、赤い公園の音楽を心から愛している。それはこれからも変わらない。初めて聴いた時からずっと変わっていない。

 

多くの名曲と名演からもらった感動と衝撃は消えない。日々の淡につまずいた時に救ってくれたことへの嬉しさも消さない。会えなくなってしまった日に感じた悲しさも消えてくれない。

 

そんな様々な消えない感情をくれたことに感謝したい。

 

出会った時から解散する日までずっと、傷つけてくれてサンキュー。

 

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