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赤い公園『Canvas』を卒業する若者に聴いて欲しい理由

津野米咲は美しい人だ。

 

美しさには様々な種類があるし、様々な美しさを同時に持っている人もいる。津野も様々な美しさを持っているが、自分はその中でも彼女は特に“ソングライターとしての美しさ”が際立っている思う。

 

彼女の綴る歌詞は、表現が小粋なのだ。例えるならば言葉で絵を描くような感じ。言葉を語ることで聴き手に訴えかける歌ではなく、言葉の羅列で美しい情景を聴き手のさに想像させる。そんな歌を創る津野米咲の才能を、自分は美しいと思っている。

 

自分は毎年3月になると、Apple MusicやCDで赤い公園の『Canvas』を聴くことが増える。少し暖かくなった時期にぴったりの歌詞だから、春に聴くと心が震えるのだ。

 

Canvas

Canvas

  • 赤い公園
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

最初から最後まで通して聴くと、学校の卒業式について連想させられる。だが歌詞に〈卒業〉という言葉は使われていない。それでも言葉の組み合わせによって、聴き手の脳内に卒業式や卒業する学生の姿や情景を淡く想像させる。そんな歌詞の綴り方が、小粋で美しい。

 

〈淡い淡い気持ちが近頃急いでる〉という最初の歌詞からしても、津野のソングライターとしての凄みを感じる。

 

〈淡い気持ち〉という思春期に感じるであろう、言葉で言い表すことが難しい儚くて切なくて複雑な感情。それを〈淡い淡い〉と2回繰り返すことで、儚さと切なさが強調される。そこに〈近頃急いでる〉という言葉が続くことで、終わりが近づいていることを想像させる。

 

その後に続く言葉は〈さよならの色が この街にとける〉だ。少しずつどけどはっきりと、別れが訪れることが確信に変わっていくことを思わせる。少ない言葉の配列で、多くの情景を浮かび上がらせる歌詞構成だ。

 

このように津野は誰もが知る簡易な言葉を、意外な組み合わせにして歌詞にすることが多い。だから意味は容易に理解できるのに、様々な捉え方ができる複雑な表現を生み出せるのだろう。

 

特に『Canvas』のサビのフレーズからは、そんな歌詞を得意とする津野の才能を実感する。

 

ぼくらの日々まで
春はさらっていくの
やけに眩しくて
途方に暮れる

 

今までの大切な日常の終焉を〈さらっていく〉と表現することが、小粋で美しい。物に対して使う〈奪っていく〉ではなく、生き物に対して使う〈さらっていく〉という表現にしている。

 

この表現によって物とは違って代わりが存在しない大切なものが失われるという事実を伝えている。細かな言葉使いの違いではあるが、それによって意味の重みは変わる。

 

〈僕らの日々まで〉と他にも春が奪っていったものがあることを連想させる表現も、歌詞に深み加えている。例えば春になり卒業することで、着なくなった制服や、使わなくなった教科書や文房具は、春が奪ったものかもひれない。

 

春が訪れたことでそういった“物”を失うだけでなく、もっと大切な日常を失ったことを〈僕らの日々まで〉という言葉からは連想させられる。それに加えて〈さらっていく〉というその前に歌われた表現が組み合わさることで、切なさや悲しみが強まる仕掛けだ。

 

その後には明るい印象を与える〈やけに眩しくて〉という言葉が続く。これは終わりの先にある希望を示しているのだろう。だが未来は希望に溢れて明るいとわかっていても、どのような未来かがはっきり見えるわけではないので不安になる。だから〈途方に暮れる〉という、希望の対比となる言葉を続けるだ。

 

“明るい未来に不安を感じる現在”というのは矛盾した状況ではあるが、それは共感してしまう人が少なくはない感情でもある。そんな説明が難しい状況や感情を、サビで美しく詩的に表現している。説明できないことを歌にすることで伝えることに成功しているとも言える。

 

花のアスファルト
風になびいたスカート
やけに焼き付いた
ちょっと滲んだ

 

最後のサビの歌詞が、この歌の要だとも思う。

 

『Canvas』は最初のフレーズからずっと、抽象的な表現で情景や主人公の感情を描写していた。だが最後のサビだけは、具体的な景色が描写されている。

 

この歌詞が歌われた瞬間、聴き手の脳内で抽象的に淡く浮かんでいた想像の景色が、具体的にはっきりと浮かぶ景色へと変化する。まるでキャンパスに書かれた鉛筆の下書きに、鮮やかな色の絵の具が塗られたかのように。

 

このフレーズでは主人公が見ている景色と、それに対する主人公の反応が描かれている。それなのに不思議と主人公がどのような想いでいるのかが、歌詞全体で最も手に取るようにわかるフレーズになっている。

 

きっと歌詞の最初のフレーズが〈花のアスファルト 風になびいたスカート〉だったとしたら、このような感情を覚えることはない。最初のフレーズから丁寧に言葉を重ねて情景を描き、聴き手を歌の世界へ引き込んだからこそ、景色の描写が特別な感情を覚える歌詞へと変化しているのだ。

 

同じ言葉でも組み合わせや使われるタイミングによって、どのように受け取られるかは変わる。それが言葉の奥深さであり、人間の心の尊さだ。『Canvas』はそんな言葉の奥深さを美しく綴った歌なのだと思う。

 

自分はこの記事を2024年3月1日に書いている。毎年卒業式を行う学校が多い日付だ。

 

赤い公園は解散してしまったし、津野米咲の創る新しい歌を聴くこともできない。きっと今の若者にとって、赤い公園はよく知らないマイナーバンドだと思う。

 

でも赤い公園及び津野米咲の音楽は、時代にとらわれない普遍的な美しさと小粋さを持っている。だから今の若者にも聴いて欲しいとは思う。特に卒業を連想させる『Canvas』は。

 

今日もどこかで、それぞれに違った美しさを持つ若者が、やけに眩しくて途方に暮れているのかもしれない。花のアスファルトや風になびいたスカートを、目に焼き付けて、目を滲ませながら。

 

きっとそんな若者は、ひとひらの祈りをするのだろう。時よ止まれ、なんて。

 

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