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フジファブリック『茜色の夕日』は「夏の終わりの名曲」なのに超絶過小評価されている

「フジファブリック」という言葉を、夏の季語にしたい。

 

そう思うほどに、8月の後半あたりから様々な場所で『若者のすべて』を耳にすることが多い。もしかしたらここ数年の中では、夏の終わりにラジオで最も流された楽曲かもしれない。それぐらい耳にする機会が多かった。

 

 

毎年のようにテレビで「夏の終わりの名曲」と紹介される気もする。ふと入ったお店で流れていることもある。

 

もはやフジファブリックの名前を聴くだけで「夏の終わり」を連想する人もいるかもしれない。長い時間をかけて、楽曲や志村雅彦の存在をリアルタイムで知らない人たちにも、愛される名曲へと成長したのだ。

 

そもそもフジファブリックは季節をテーマにしていた楽曲が多い。その中でも「夏」の楽曲数はずば抜けている。例えば『線香花火』『陽炎』『NAGISAにて』『Surfer King』『夏の大三角関係』などなど、エトセトラエトセトラ。

 

そんな中で『若者のすべて』と同じぐらいに「夏の終わり」が似合う『茜色の夕日』という楽曲がある。バンドにとって大切な楽曲で、ファンからも愛されている名曲だ。『若者のすべて』がバズる前は、こちらの楽曲が代表曲として扱われていたと思う。

 

 

夏の季語には「夕焼け」という言葉がある。だからか「夏の歌」と説明されずとも、自然に〈茜色の夕日ながめてたら〉という歌い出しで夏を感じてしまう。

 

それでいて『枕草子』には〈秋は夕暮れ〉という言葉が書かれているので、『茜色の夕日』という言葉から秋のイメージも感じる人は多いだろう。つまりこのワンフレーズ及びタイトルだけで、夏の終わりであることを表現できているのだ。

 

志村正彦の綴る歌詞は平易な言葉ばかり使っているのに、たった一言だけでリスナーに様々な情景や感情や意味を、深く複雑に想像させてしまう。それが粋であり情緒的だ。センスがあるし才能を感じる。だから心に沁みるし、聴き終えた後に長く余韻が残る。

 

『茜色の夕日』でいえば〈短い夏が終わったのに今 子供の頃の寂しさが無い〉というフレーズもそうだ。この一言だけで、夏の終わりであるシチュエーションや、主人公が大人であることや、大人になって変わってしまった主人公の気持ちや、大人と子どもの体感する時間の流れの違いなど、様々な情景や感情を呼び起こす。

 

この楽曲の特徴的な部分は、相手の女性に対する描写がほとんどないことだ。相手の仕草の描写は〈君が只 横で笑っていたことや〉〈君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ〉というフレーズしかない。それなのに相手がどのような人物なのか具体的に想像できる。歌詞のほとんどは主人公の行動や感情の描写だが、そんな歌詞で重ねていくことで、不思議と相手のイメージを伝えているのだ。

 

特に〈君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ〉という描写は見事である。「目が小さい女性」という具体的な身体的特徴とも受け取れるし、大粒の涙であることを強調させることで、深い悲しみを伝える表現にもなっている。

 

このように志村正彦の歌詞は「説明」をせずに、情景や感情の描写だけで歌の意味を伝え、歌に価値を作るのだ。それはまるで純文学的のようである。そんな表現の歌詞をロックミュージックへと落とし込むことも個性のひとつだ。

 

それでいて歌詞にユーモアがあることも良い。例えば『銀河』では下記のフレーズがある。

 

 

真夜中二時過ぎ二人は街を逃げ出した

 

「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」と
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」と飛び出した

 

よくよく考えると〈タッタッタッタラッタラッタ〉という擬音は、他で聴いたことがない。他にも〈パッパッパッ パラッパラッパッパッ〉という擬音も使われている。これも謎の言葉の羅列だ。

 

それなのに頭の中で情景が浮かぶ。不思議な擬音によって、その情景は色濃くなる。登場人物が街を逃げ出した理由はわからないが、不思議と頭の中でその理由を想像してしまう。

 

しかも不思議なフレーズなので、言葉の響きとしてもインパクトが強い。志村正彦は少ない言葉で、様々な想像を掻き立てるのだ。

 

サビの〈U.F.Oの軌道に乗ってあなたと逃避行 夜空で向かへう〉というフレーズも良い。ファンタジーを感じるポップなフレーズではあるが、誰にも邪魔されない2人だけになれる遠くへ行くという意味を含んでいるとおもう。そして逃避行する二人の様子が脳裏に浮かぶ。やはり志村はどんな楽曲でも歌詞によってリスナーに情景を浮かび上がらせるのだ。

 

これは『茜色の夕日』や『銀河』に限らない。彼の綴る歌詞はどれもが、このように平易な言葉や新しい言葉を使い、切なさやユーモアを含んだ表現をして、想像を掻き立てる。たった一言の何気ないフレーズで、様々な情景や感情を浮かび上がらせる。

 

それは代表曲『若者のすべて』でも変わらない。それはサビの歌詞を聴けばわかる。

 

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

 

「花火」という夏をイメージさせる言葉に「最後」という言葉を加えることで「夏の終わり」を表現している。そして「何年経っても思い出してしまうな」という言葉によって、それが大切な思い出になるほどの特別な出来事となる何かがあったことを想像させる。

 

歌い出しは〈真夏のピークが去った〉ではあるものの、音楽番組などで使われるのはサビである。サビのワンフレーズだけで、この曲が「夏の終わりの名曲」と評価されることを理解してしまうほどの、凄いフレーズなのだ。

 

むしろ歌い出しで珍しく〈真夏のピークが去った〉と歌うことで、夏の終わりの情景をより強く彷彿させる手助けをしている。無意識かもしれないが、テクニカルな歌詞の構築がされているとも思う。だから聴き手は自身と重ねて、自分の忘れられない夏の出来事を思い出してしまう。この楽曲のサビは、フジファブリック史上、最も普遍的で共感を呼ぶ歌詞だ。「共感」によって評価が高くなった楽曲かもしれない。

 

『若者のすべて』は名曲だし、評価されることはファンとしても嬉しい。今後も多くの人に聴かれ続けて欲しい。

 

しかしフジファブリックには他にもたけさんの名曲がある。『若者のすべて』と同じぐらいに心をつかむ楽曲もある。そちらにも注目して欲しい。

 

そもそも『若者のすべて』は、リリース当初に大ヒットしたわけではなく、日本のロック好きが知る隠れた名曲であった。それが様々な縁によって世間に広まった。フジファブリック自体も知る人ぞ知るロックバンドだった。どれだけ良い曲でも、どれだけカッコいいバンドでも、知られなければ魅力は伝わらないのだ。

 

だからこそ「夏の終わりの名曲」として『茜色の夕日』も推したい。この曲も『若者のすべて』に負けないぐらい名曲だし、多くの人を感動させるはずだ。

 

しかしよくよく考えると、『茜色の夕日』は『若者のすべて』とは違い、現代の人々には共感されにくいのかもしれない。〈短い夏が終わったのに〉というフレーズがネックなのど。、

 

2022年6月の東京は、25日から30日までずっと最高気温35度を超える炎天下だった。7月も最高気温30度を超える日がほとんどだし、7月1日は最高気温37度越えである。「外出を控えてください」と天気予報士がテレビで言ってた。こんな気温では毎日陽炎が揺れている。9月だって最高30度越えの日が多い。4ヶ月は夏が続いている。

 

『茜色の夕日』が制作された2001年前後はここまで暑い日は少なかったし、暑い期間は短かった。現代の日本において「夏が短い」という価値観は消滅したのだ。

 

この楽曲の儚さや切なさは20年前を体験した人には伝わるが、高校生や中学生には伝わりづらいのかもしれない。今の中高生は6月の時点でMrs. GREEN APPLE『青と夏』を聴いて夏の青春をしているはずだ。早いうちから夏が始まった合図を感じている。

 

そういえば先日、知人と「くるりの『東京』で〈今年の夏は暑くなさそう〉て歌ってるけど、そんな年はここ10年ぐらいはそんざいしないよね。年々暑くなっている」と話をしていた。

 

そんなところで時代の変化やジェネレーションギャップを感じたくなかったが、同じように『茜色の夕日』も時代の変化の影響を受けているのかもしれない。

 

その部分では普遍的で時代の変化の影響を受ける可能性が低い『若者のすべて』の方が多くの人に受け入れられやすいだろう。

 

「そんなワンフレーズが影響するか?」と思うだろうが、そのワンフレーズが引っかかってしまう敏感な人やひねくれ者もいる。SNSだって本筋とは関係ない言葉につっかかる人や、揚げ足取りのように細かな表現を批判する人がいる。悪気がなくそういった受け取り方をする人もいるのだ。そのような人は歌詞に対しても同じ、反応をするだろう。

 

しかし『茜色の夕日』は、時代の変化を吹っ飛ばすほどの名曲ではある。2022年に出会ったとしても、感動できる楽曲だ。

 

どうか作られた時代の空気感や、当時の作者の心情までも受け入れるつもりで聴いて欲しい。その時はあなたの心に永遠に刻まれる、大切な音楽になるかもしれないから。

 

 

そういえば『関内デビル』という番組で私立恵比寿中学の安本彩花が『茜色の夕日』をアコースティックアレンジでカバーしていた。

 

20代前半の彼女は楽曲が作られた2001年当初、物心がついていないほど小さな子どもだった。きっと安本彩花は「短い夏」を知らない。それでもしっかりと楽曲の「本質」を理解した上で、愛を持ってカバーしていた。素晴らしいカバーだったと思う。テレビを見逃した人は聴けないことがもったいない。

 

歌詞の本質を理解できる若者だってたくさんいる。そのような人にもっとたくさんのフジファブリックの名曲を知って欲しい。そして感動して欲しい。

 

『茜色の夕日』を聴いていたら、そんなことを思ってしまった。