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「推しは推せる時に推せ」という言葉が、あまり好きではない

バンドやアイドルグループが解散したり、アーティストの引退や訃報が知らされた時、「推しは推せる時に推せ」という言葉がSNSで拡散されることが多い。

 

個人的にこの言葉は、あまり好きではない。

 

決して否定したいわけではない。間違った言葉だとも思わない。「推しは推せる時に推せ」と言われて救われた人もたくさんいるだろうし、背中を押された人もたくさんいるだろう。

 

だから使う人を悪くは思わない。自分が使うとことを考えると、様々な理由で違和感を覚えてしまうから、あまり好きではないということだ。

 

そんな自分もかつては「推しは推せる時に押すべき」と思っていた時期もある。応援していたバンドやアーティスト、アイドルに会えなくなった経験がたくさんあるからだ。

 

2度と観ることができなくなったSUPERCARとチャットモンチー。遠くに行ってしまった志村正彦と松野莉奈と津野米咲。もっとライブへ行けば良かった悔やんだことが何度もある。自分の応援は足りてなかったと反省もした。

 

しかしその心の穴は、何をしても永遠に埋まらないかもしれない。例えばライブを全通したとしても、グッズやCDを大量に買って支援したとしても、きっと後悔したと思う。

 

自分は志村正彦がいた頃から、フジファブリックのライブへ特に多くの回数、足を運んでいた。ワンマンはもちろん、関東で行われるライブのほとんどに行く時期もあった。

 

それでも志村が亡くなった時は「もっとライブを観たかった」と後悔した。彼の新しい音楽を聴けないことを悲しく思った。

 

この気持ちはライブをあと1000回観たとしても、新曲を1万曲聴いたとしても、変わらなかったと思う。満足するまで推すことは難しく不可能なのかもしれない。

 

それに「推しは推せる時に推せ」という言葉が、自身を救う言葉ではなく、自身を追い詰める言葉になる可能性もある。

 

自分の生活を顧みずに、無理して仕事や学校を休んでライブやイベントに行ったり、生活レベルを超える支出をしてCDやグッズを購入することは、自らを苦しめることになるだろう。

 

推しは無理して推すものでは無い。無理になった時に救ってくれる存在が推しだ。推しは依存するための存在ではなく、自分が幸せになるために手助けしてくれる存在なのだと、ファンは自ら自覚するべきだ。

 

「後悔しない」という意味で「推しは推せる時に推せ」という言葉を使うことは危険である。どれだけ尽くしても、後悔する可能性があると考えた方が良い。適度な距離を保って付き合わないと、自らを傷つけることもあると理解した方が良い。

 

そもそも「推せる時」とはいつなのだろうか。

 

推しに会える時期の事だろうか。そうだとしたらアニメのキャラクターや来日をしない海外のバンドを推している場合は、「推せる時」が存在しないのだろうか。

 

自分はそうは思わない。どのタイミングでも、どんな状況でも、ずっと推し続けることはできると思っている。

 

例えばザ・ビートルズのファンには、リアルタイムで彼らの活動を知らない人がたくさんいる。解散してからファンになった人の方が多いかもしれない。

 

そんな人達がCDで音楽を聴いたりグッズを集めることも、推し活の1つだ。解散したバンドだとしても、解散後に推すことはできるのだ。

 

SMAPのデビュー記念日に、今でも祝福するファンがたくさんいる。

 

ファンの投稿によってSMAPに関する言葉が、記念日当日にTwitterのトレンドになっていたから、自分はファンの想いを知ることができた。だから自然とSMAPのデビュー記念日を覚えてしまった。9月9日だ。ゾロ目で覚えやすい。

 

引退してしまった元乃木坂46の橋本奈々未や、遠くに行ってしまったエビ中の松野莉奈にも、誕生日を毎年祝っているファンが今でもいる。会えるかどうかは関係ないのだ。

 

この記事は10月18日に書いている。赤い公園のギタリストでありコンポーザーだった津野米咲の命日である。自分が推していたバンドマンの1人だ。

 

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誕生日には今でも彼女を祝福するファンがたくさんいる。命日には彼女を偲んで想う人がたくさんいる。

 

赤い公園の結成地である立川市には、バンドが寄贈した赤いベンチがある。そこに想いを馳せて立ち寄る人や、献花をする人も少なくはない。

 

志村正彦が居なくなっても、彼の出身地である山梨県富士吉田市へ定期的に行くファンはいる。hideのファンは、今でも墓参りに行くらしい。

 

「会いたい人には会いに行け」という意味では「推せる時に推せ」という言葉は正しいかもしれない。

 

しかし会えなくなっても、推すことはできる。会えなくなってしまった推しの残した作品に触れることも、推し活と言えるはずだ。

 

自分は解散間際に好きになって、1度もライブを観れなかったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの音楽を頻繁に聴く。

 

自分はミッシェルを推し続けていると思っているし、音楽を聴き続けるだけだとしても、これは推し活の1つだと思っている。

 

推す方法は人それぞれ違う。想い方も人それぞれ違う。

 

だから自分は「推しは推せる時に推せ」とは思わない。推しはいつだって推せるのだから、「推しは推したい時に推せ」と思っている。

 

例えば自分は津野米咲の命日である今日に、彼女の作った最高の音楽を聴いて、こうして想いを文章として残している。会えなくなっても、こうして推し続けている。この気持ちは、消えないし消さない。

 

「推しを推せる時」は、自分が推したいと思った時なのだ。だから無理せずに自分のペースで推し続けて、幸せになりましょう。

 

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