オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

【ネタバレあり】映画『あの頃。」を「あの頃」を知らないしハロオタでもない人間が観た感想

あの頃を知らない自分

 

自分は「あの頃」を知らない。

 

もちろん松浦亜弥の代表曲は知っているし、後藤真希などモーニング娘の人気メンバーの名前は知っている。

 

しかし当時の自分はテレビに出ることが多いアイドルとしか認識していなかった。

 

だから当時の自分はハロプロを応援することは、自分とは関係のない世界のことだと思っていた。今でもハロプロに詳しいわけではないので、それはあまり変わらない。

 

それなのに映画『あの頃。』を観て心が動かされた。

 

この映画はハロプロのアイドルにハマった主人公が、同じようにハロプロを好きな仲間と友情を深めていく内容。

 

ハロプロのファンでもないし「あの頃」を体験していない自分とは、世代も趣味も全く違う人の物語だ。今泉力哉監督のファンだから観たわけだが、他の監督作品ならば観ていなかったと思う。

 

それなのにまるで自分も「あの頃」を同じように体験していて、松浦亜弥を応援し、石川梨花の卒業に感動した気持ちになった。

 

「ハロプロのオタクによるハロプロのオタクの物語」に思わせておいて、本質は友情についての物語で、自分の好きなモノやコトに熱中する美学を描いた作品だから、自分は感情移入して感動したのかもしれない。

 

あの頃を知る人とは感じ方が違うかもしれない

 

とはいえ「あの頃」を知っている人の方が楽しめる場面はあった。

 

例えば仲間内で行っているトークライブの内容。話に出てくる人名や言葉でわからないものが自分には多かった。

 

6期生と言われてもどのグループの話で、どのメンバーがいるのか自分はわからない。「道重さゆみはシャボン玉って言ってるだけじゃないか」という劇中のセリフで笑いが起こっていたが、それの意味や面白さも自分にはわからなかった。

 

それは『モテキ』や『花束みたいな恋をした』で劇中に出てくるカルチャーを知らなければ理解できない部分があるように、きっとハロプロの知識が必要な場面なのだろう。

 

そのような人たちにとっては「自分の物語だ」と思って、より共感し感情移入できるのだろう。知っている人の特権である。そういった仕掛けも映画にとっては重要だ。

 

自分はあの頃を知らない。ハロプロについても詳しくない。でも鈴木愛理は好きだ。でも愛理の話は出てこない。愛理は良い。とても良い。しかし劇中で一切触れられない。

 

そのような人は観ていて疎外感を感じたり引いてしまう部分もあるだろう。

 

しかし劇中の登場人物が偏見も差別もせず主人公を仲間に加えてくれたように、観ているうちに自分も仲間に入れてもらえた気持ちになってくる。

 

それは今泉力哉監督による、丁寧な人間描写が影響していると感じる。

 

『愛がなんだ』や『パンとバスと二度目のハツコイ』など他の今泉監督作品でも感じたことだが、この監督は登場人物の「ヤバくて常人には理解できない部分」も隠さずに生々しく表現する。

 

『愛がなんだ』のテルコが仕事をクビになるほどマモルに依存して入れ込む姿は異常だし、『パンとバスと二度目のハツコイ』でフミが独特すぎる恋愛観を理由に恋人のプロポーズを断る考えも「なんで?」と思ってしまう。

 

それなのに映画を観続けているうちに登場人物に感情移入してしまう。

 

綺麗な部分だけでなくおかしな部分を描くことで人間臭さを表現さているのだ。それによって逆説的に魅力的な人物に感じてくる。

 

誰もが持つ他人とは違う不思議な部分を丁寧に映像で伝えることが得意な監督なのだ。

 

それは『あの頃。』でも表現されていた。

 

主人公があややのポスターを破ってしまい、世界の終わりかというぐらい落ち込む様子は変わっている。コズミンのネット弁慶で周りをとことんバカにする姿もヤバい。

 

彼女をコズミンに寝取られたアールがそれををトークライブのネタにして、アールがコズミンにキスをして許すという彼の行動も理解し難い。

 

でもそんな人間の変な部分やヤバい部分を包み隠さずに丁寧に描いているから、それによって登場人物の人間性が伝わってくる。

 

だから自分と全く違うタイプの人だと思いつつも、その人のことを知っている気持ちになって感情移入してしまう。

 

つまりハロオタによるハロオタの映画で、一部の人しか楽しめないファンムービーに思わせておいて、誰もがハマれるような普遍的な映画になっているのだ。

 

ハロプロは物語を彩る設定の一つにすぎず、物語の本質は少し変わった友情を描いた人間ドラマなのだ。

 

「あの頃」を知っている人とは物語の受け取り方は違うかもしれないが、知らなくても物語に入り込むことはできる映画である。

 

 

自分にとっての「あの頃」

 

映画は2004年に主人公が松浦亜弥に心を撃ち抜かれ、アイドルにどんどんハマっていく場面から始まる。

 

2004年の自分は何をしていたっけかな。映画を観終わってから、自然と思い返してしまった。

 

当時はまだ高校生でロックバンドばかり聴いていた。東京事変やくるり、フジファブリックのアルバムを毎日のように聴いて、テスト勉強をしながらBUMP OF CHICKENを聴いた。

 

バンプの曲は歌詞が強すぎてBGMには向いていない。勉強そっちのけで聴いてしまう。藤原基央のせいでテストの結果は悪かった。

 

藤原基央と出会わなければ、もっと偏差値の高い大学に行けてたかもしれない。BUMPには感謝しつつも少しだけ恨んでいる。

 

自分の好きな曲をまとめたMDを隣の席の女の子にプレゼントしたこともある。偶然にも音楽の趣味が合いそうだからMDをあげただけなのに「他に好きな人がいるから」とコクってもいないのにフラれた。別に好きでもなかったのに、なぜにフラれなければならないのか。銀杏BOYZをMDに入れたのがダメだったのだろうか。

 

そういえば自分にも「あの頃」と同じような仲間がいた。今では会うことも少なくなり、連絡先が消えてしまった人もいるけれど、放課後に音楽や漫画、映画の話をした仲間がいた。

 

劔樹人にとっての松浦亜弥や恋愛研究会のような存在が、自分にもいた。

 

それを思い出させてくれる映画だった。

 

好きな物や事の対象が違っても、違う人生を送っていたとしても、誰もに「あの頃」は存在するのだ。

 

この映画はきっかけがハロプロなだけで、扱っているテーマは普遍的なのだ。

 

だからハロオタの映画としてだけ評するのはもったいないし、多くの人に刺さる映画であるはずだ。

 

テーマが普遍的ならば、伝えてくれるメッセージも普遍的である。

 

いろいろあったけど今が一番楽しいです。でもたまにみんなと過ごしたあの頃を思い出します。

 

道重さゆみが30歳になって「10代はかわいい。20代は超かわいい。30代は超超かわいい。私は常に今がピークなんです」て凄く良い事を言ったこと知らないでしょ?

 

モーニング娘は今だって最高ですよ。ビヨーンズも知らないでしょ?絶対にコズミンも好きそうなのに

 

「あの頃」が楽しかったことは前提として、今が一番楽しいというメッセージを伝える場面や台詞がいくつもある。

 

登場人物は常に今が一番楽しそうに見えるから、そのメッセージに説得力を感じる。

 

映画『モテキ』に「気をつけてください。弱っている時のアイドルソングは麻薬です」という台詞がある。

 

これは自分が今でも思い出して共感してしまう台詞だ。

 

主人公はバンドが上手くいかずに弱っているときに松浦亜弥に感動し、アイドルオタクになった。そしてアイドルから元気をもらって「今が一番楽しい」と言えるぐらいに前向きになった。

 

あの頃ほどの熱量はないとしても、今でもアイドルを応援し続けている。

 

そういえば自分も就職して疲れて弱っている時に、でんぱ組.incやBiSやエビ中にハマった。それまではアイドルなんて興味がなかったのに。

 

アイドルは今でも偏見の目で観られることが多い。アイドルオタクというだけでドン引きされることは、今でも少なくはない。

 

しかしアイドルやオタクを良く思わない人にも、アイドルにハマる理由や、アイドルの意味や価値を教えてくれる映画でもある。

 

そして観終わって気づく。

 

自分にとっての「あの頃」も最高に楽しかったけれど、仕事は順調で家庭を持ちつつも好きなことにも没頭できている自分にとっての「今」が一番楽しいと。

 

過去を振り返って美化してしまうことは多いけれど、「今」も数年後の未来には、思い返して浸ってしまう「あの頃」になるのだ。

 

道重さゆみではなくとも、「常に今がピークなんです」と言えるような人生を歩みたい。

 

あの頃。 男子かしまし物語

あの頃。 男子かしまし物語

  • 作者:劔樹人
  • 発売日: 2014/05/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)