2021-02-17 【ネタバレあり・感想】映画『すばらしき世界』を観て聴きたくなった音楽について 中村一義 映画 コラム・エッセイ 素晴らしき世界とすばらしき世界 素晴らしき世界 中村一義 ロック ¥255 provided courtesy of iTunes 中村一義に『素晴らしき世界』という楽曲がある。ハッピーで明るいことを歌っていそうなタイトルではあるが、それに反した内容の歌詞だ。 この曲は淡々と日常で浮かぶ何気ない感情や情景を描いている。〈白だったものも、黒に化かす、ホント素晴らしき世界だね〉という歌詞があるとおり、曲名には皮肉を込めているのだろう。 そのためか「素晴らしき世界」という言葉と共に「忌まわしき世界」という言葉も歌詞にはある。 「素晴らしき世界」と「忌まわしき世界」は表裏一体だ。素晴らしさの中には忌まわしい部分もあって、忌まわしさの中にも素晴らしい部分はある。 どちらかの一面だけを切り離すことはできず、それが複雑に絡み合った結果、素晴らしくもあって忌まわしくもある世界が構築されているのだ。だからハッピーな日もあればバッドな日もあるし、時間ごとに感情は揺れ動く。 『すばらしき世界』という映画を観た。 この映画も「素晴らしい」と「忌まわしい」が同時に存在している世界について描いた作品に思った。 だから自分は映画『すばらしき世界』と中村一義『素晴らしき世界』には、タイトルだけでなく込められたメッセージに共通点があると感じた。 レールを外れた者が再出発する難しさ さようなら。ここで降ろしてくれたださ、僕は この両足でね、これで…、 歩きたいんだ…、わかるかなぁ。 (中村一義 / 素晴らしき世界) 『素晴らしき世界』のサビからも『すばらしき世界』を連想してしまう。 主人公の三上は元ヤクザで殺人を犯したことで、旭川刑務所に13年間収監されていた。物語は彼が出所する場面から始まる。 カタギになって普通の生活をすることに目指そうとする三上。職歴なしの空白期間もある上に糖尿病患者。すぐに仕事が見つけられないし働けない状況でも、彼は生活保護の申請をすることに躊躇うぐらいには独り立ちしたいと思っている。 そんな姿に〈たださ、僕は この両足でね、これで…、 歩きたいんだ…、わかるかなぁ。〉という中村一義の歌詞が重なると感じた。 三上も自分の両足で歩きたいだけなのだ。 しかしそれは簡単なことではない。犯罪歴や空白期間があることによって、簡単には見つからない就職先。元ヤクザで犯罪者であることに対する、周辺住民や世間の冷ややかな目。 「日本では出所した元受刑者の4割ほどは再犯してしまう」と劇中のナレーションで語られていた。生きるために仕方がなく犯罪をする人もいるのだろう。「一度レールから外れた者」にとっては「普通の生活」をすることは難しい世の中なのだ。 元受刑者が生きづらい世の中であることは差別の一つかもしれないが、世間の正直な反応かもしれない。 三上は致し方がない事情があったとしても殺人を犯している。刑期を終えたとしても、人を殺した事実は消えないのだ。それについては三上は一生背負い続けるべきものではある。 素晴らしき世界と忌まわしき世界 しかし「一度レールを外れた者」や「レールを外れるしかなかった者」をどのように受け入れるのかについて、レールを外れずに生きていけた人間は考えるべきなのかもしれない。 「ここで彼を網の上から落とすようなことをすると、また組織に入ってしまうという現実をご承知の上ですよね?」 これは区役所の福祉課で生活保護申請をする際に、反社会勢力に所属していたり犯罪歴があることを理由に申請を却下しようとした担当者に、三上の三本引受人の弁護士が言った言葉である。 救いの手を出さなければ、三上が再びヤクザになり犯罪を繰り返すのではと伝えている。 誰もが平等に受けることができるはずの福祉でさえ、レールを外れた人を簡単には救えないし、弾き出すことも多いのだろう。 とはいえこの映画では三上の過去を知った上で、救いの手を差し出したり支えようとする人も出てくる。 身元引受人の弁護士とその妻。スーパーの店長。三上を取材するTVディレクター。担当のケースワーカー。 彼らの助けによって少しづつ変わっていき前に進む三上。過去を受け入れた上で助けてくれる人がいる世界は「すばらしき世界」だ。 しかしいつでも助けてくれるわけではない。スーパーの店長は最初は三上を軽蔑し、店で万引きをするのだと偏見の目で見て疑っていたし、ケースワーカーも仕事で忙しい時は対応を後回しにしていた。TVディレクターも自身が恐怖を感じた時は逃げ出している。 それは「すばらしき世界」の中に存在する「忌まわしき世界」だ。助けを差し出す人もで、当然ながら自身のことが一番大切なのだ。 三上がアルバイトとして就職した福祉施設でも「素晴らしき世界」と「忌まわしき世界」が共存している。 それは三上と仲の良い障がいを持つ同僚が、他の同僚にバカにされ陰で誹謗中傷されているシーンが顕著だ。 三上の過去を知った上で働く場を与えてくれた職場は、彼にとって大切な場所で救いの場所だったはずだ。だから仲の良い同僚が中傷されていても、守るために怒ることはできなかった。ここで喧嘩しては、これまで助けてくれた人たちの顔に泥を塗るとも思ったのだろう。 三上は自身にとっての「すばらしき世界」を守るために、一緒に仲の良い同僚を馬鹿にした。それは素晴らしき世界の中に存在する忌まわしい部分に思う。 ホント素晴らしき世界だね この世界は生きづらく、あたたかい これは映画のポスターに書かれたキャッチコピーである。まさにこの通りの物語で、実際の社会もこの通りの世界かもしれない。 生きづらいと感じることは多いけれども、少しの希望を感じることはある。良い人ばかりじゃないけど悪い人ばかりでもない。 自分を犠牲にして誰かを救うことで、人のあたたかさや社会のあたたかさに触れることはあるかもしれないが、それが自身の幸せに繋がるとは限らない。 そして逆に「この世界は生きやすく、つめたい」と言えるかもしれない。 冷たい人間にならなければいけない場面もあって、誰かを犠牲にすることで自分の生きやすさを得ている部分はある。 それが正しいことだとは思わない。変えていくべきことかもしれない。誰もが「生きやすく、あたたかい」と思える世界が正常だとは思う。 しかしそんな簡単にはいかないのだろう。そんな社会についても映画では描いていた。 「すばらしき世界」は素晴らしいとは言えないことが積み重なることで完成するのだ。社会には優しさと同じぐらいに厳しさもあって、それが複雑に絡み合っていることで創られている。 誰かの「すばらしき世界」が成立するためには、誰かの「忌まわしき世界」が存在する必要があるのだ。誰かの幸せの裏には誰かの不幸があるのだ。 『すばらしき世界』のラストシーンにも『素晴らしき世界』との共通点を感じてしまった。 中村一義『素晴らしき世界』は〈アホな僕等を太陽がのぞく 素晴らしき世界だね〉というフレーズで楽曲が終わる。 映画『すばらしき世界』は三上が病気で亡くなり遺体が発見され、警察が現場検証をするシーンで終わる。ラストのカットは三上の住むアパートの外の景色。そこには快晴の青空が広がっていた。 どんな世界でも眩しい太陽や青空のように、変わらずに美しいと感じることが出来る物は存在するのだ。 それについてだけは誰にとっても平等で、誰もが「素晴らしい」と思えることかもしれない。 ホント素晴らしき世界だね。 ↓中村一義の他の記事はこちら↓ 身分帳 (講談社文庫) 作者:佐木 隆三 発売日: 2020/07/15 メディア: 文庫