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古臭くなった昔の歌に価値はあるのか?

以前Gacktが「歌詞に古くなる表現は使わない。例えばポケベルとか」という話をしていた。

 

10年以上前にテレビで観た記憶だが、この話が印象的でずっと頭に残っている。「なるほど」と思ったし、このような工夫によって時代にとらわれない普遍的な歌が作られるのだと納得した。

 

『12月のLove song』や『Last Song』など約20年前に発表されたGacktの代表曲を確認すると、2021年に使われても違和感がない言葉が並んでいる。きっとGacktの歌詞を古臭いと感じることは、これから先もないだろう。

 

そういえば「メール」や「ビデオ」という言葉も、頻頻に使われていた当時から「将来は古くなりそうだから使わない」と言っていた。

 

たしかに今では友人や恋人との連絡でメールを使う人は少ないし、ビデオではなく動画という言葉がつかわれることが増えた。彼は先見の明があり作品にもそれを反映できている。プロの作詞家として一流に思う。

 

しかし「古臭くなってしまった表現」や「古臭くなってしまった言葉」が使われている歌詞だとしても、その中にも名曲として評価され続けている音楽もある。

 

 

例えば奥田民生の『イージュー☆ライダー』。

 

今では古くなってしまった言葉や表現が、この曲では使われている。

 

名曲をテープに吹き込んで
あの向こうの もっと向こうへ

(奥田民生 / イージュー☆ライダー)

 

今では車で音楽を聴く場合、スマホをBluetoothでカーオーディオに繋ぎ、サブスクで曲を流すことが一般的になった。「テープ」が使われることはないだろうし「吹き込む」という表現も若者には伝わらない。

 

それでも『イージュー☆ライダー』は奥田民生の代表曲として評価されているし、今でもラジオで流れることが多い。その理由は古臭い表現が使われているのに、不思議と古い音楽に感じない歌からだろう。

 

この曲は「時代の空気感」を音楽として表現しているので、古さではなくノスタルジーを感じる歌になっているのだ。

 

聴いているだけで情景が浮かぶ歌詞とメロディ。旅している気分になるような、心地良い演奏とリズム。全てが完璧で完成度が高い。

 

そのような音楽だから、映画やドラマを観た時と同じように、自分の知らない時代や世界を知った気持ちになったり、懐かしい「あの頃」を追体験している気分になれるのだ。

 

音楽はタイムマシーンであり、どこでもドアだ。音楽によって過去にも行けるし、知らない場所にも行ける。

 

それは「古臭くなった言葉」や「古臭い表現」が効果的に使われることで生まれる、音楽が作り出す奇跡であり魅力だ。

 

歌の持つメッセージをより強く伝えるため、「これから古くなるであろう言葉や表現」が使われる場合もある。

 

 

2020年に発表されたヒグチアイ『東京にて』は、たった1年で古臭い表現の歌になってしまった。

 

〈渋谷も変わっていくね オリンピックが控えているから〉という、渋谷駅周辺がオリンピックに向けて再開発される様子を表す歌詞から始まるからだ。

 

そのためオリンピックが始まった途端に、遠い昔の出来事を歌う音楽になってしまった。リアルタイムで生々しく聴ける期間は、物凄く短かった。

 

ヒグチアイはそれを理解した上で、作詞作曲したと思う。

 

その時期に感じたことを偽りなく表現するためには、1年後には意味や価値が変わるとしても、やるべき必然性があったのだろう。

 

『東京にて』は生々しい。その時代の空気が詰まっている。聴くとオリンピック以前の「まだ世間がオリンピックに浮かれていた時期」を思い出させる。

 

「古くならないかどうか」という打算などなく、その時に伝えたいことを真っ直ぐに表現しているからこそ、胸に刺さる。

 

だから今後もその時代の空気感を生々しく残す音楽として、ずっと人の心を動かし続けるだろう。

 

サニーデイ・サービスの新曲『Tokyo Sunset』も、そのような楽曲だと思う。

 

 

これから古くなると言うよりも、リリースされた時点で、既にリアルタイム性が楽曲だった。

 

〈パラリンピックが終わって空っぽの9月〉という歌詞から始まるからだ。

 

この曲が発表されたのは10月。既に「空っぽの9月」は過ぎ去っている。きっと4年後に再びパラリンピックが行われた時には、歌詞の意味がさらに違うものに感じるだろう。

 

「空っぽ」という表現はコロナ禍に東京で行われたオリパラだからこそ、幾つもの意味を感じる言葉だ。2024年にパリで行われるパラリンピックでは、このような感情を持つことはないだろう。

 

だからこそ、生々しい音楽として胸に響く。音楽どしてだけでなくドキュメントとしての価値もあり、大袈裟かもしれないが未来に残すべき2021年の記録だとも思う。

 

時代の変化にも対応出来る、普遍的な音楽は素晴らしいと思う。そのような音楽は多くの人に長く愛され続けるだろう。

 

しかし「その時代だからこそ生まれた、その時代にしかできない表現」も必要なはずだ。自分はアーティストがその時に感じたものを自由に表現した作品にこそ、価値があると思っている。それが将来的に「古臭い」と評価されるとしても。

 

斉藤和義の『2020 DIARY』は、その最たる例だ。

 

 

〈緊急事態宣言が始まったばかりの頃〉という歌詞から始まる歌。「将来的に意味が伝わらない古くなる表現」が多い歌詞である。

 

その内容 空気など読んでいないし、大人の事情も考えていない。批判も恐れていない。敵を作ることへの覚悟もあるだろう。

 

パンデミック クラスター オーバーシュート ロックダウン
聴き慣れない横文字がパフォーマンスに使われて
夜の街やライブハウスが槍玉に挙げられる
いつも通りに官僚は杓子定規でぼんやり
真面目な顔で誇らしげにマスクを2枚配る人

(斉藤和義 / 2020 DIARY)

 

歌詞の内容には政治批判や風刺が含まれている。この意味は2020年を経験しなければ理解できない。きっと数年後には終わった過去となる表現だろう。いや、終わった過去になってくれないと、困る。

 

リアルタイム性が、あるからこそ、重すぎる程に強いメッセージを含むことになる。だから痛すぎる程に歌が胸に刺さる。

 

その時代にしか伝わらない表現だからこそ生まれた意味と想いや、気軽にはBGMにはできないほどの強いメッセージが、この歌にはある。

 

それは音楽として魅力的なだけではない。世の中について考えさせてくれたり、行動をするきっかけを与えてくれる。不要不急と言われる音楽が、必要だと教えてくれる。音楽としての枠を超えた価値がある。

 

この文章で紹介した楽曲は、数年後には「古臭い」と評されるかもしれない。しかしそれは古くなったというよりも、「役割を全うした」と表現することが正しいと感じる。

 

むしろ『2020 DIARY』については、早く古臭い歌になって欲しい。そう思える世の中になっていて欲しい。

 

 その上で勘違いしてはならないことがある。

 

それはたとえ古い表現の歌をアーティストがうたっていたとしても、アーティスト自身が古くなったわけではないということだ。

 

奥田民生と斉藤和義は数十年も日本のロックシーンの第一線で活動し、今も定期的に新作を作りライブをやり続けている。サニーデイ・サービスは1度は解散したものの再結成し、精力的に活動している。ヒグチアイも自身の音楽を10年以上貫き続けている。

 

彼らの活動自体は常にアップデートされていて、常に最新の表現をしている。

 

だからこそ古くなる表現を使ったとしても、長年価値があり続ける音楽を作れるし、多くの人を感動させることができるのだろう。それは忘れてはならない重要なことに思う。

 

古臭くなったとしても永遠に価値のある歌は存在するし、それを作ったアーティスト自身にも価値はあるのだ。

 

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