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森山直太朗『最悪な春』の歌詞が衝撃的だった

最悪な春

 

いう番組に森山直太朗が『最悪な春』という曲を、テレビで歌っていた。

 

 

『CDTVライブ!ライブ!』という番組。そこで聴いた歌に、衝撃を受けた。感動した。聴き終えた後、しばらく余韻が抜けなかった。

 

地上波のテレビ番組で音楽を聴いて、これほど大きな衝撃を受けたのは久々である。「歌詞の持つ力」に衝撃を受けたのも久々だ。去年聴いたヒグチアイ『東京にて』以来だろうか。

 

個人的に森山直太朗の好きな曲はいくつかある。『どこもかしこも駐車場』や『群青』は特に好きだ。名曲だと思う。異論は認めない。

 

しかし積極的に彼の音楽活動を追ってはいない。アルバムが出れば聴く程度。だから『最悪な春』が2020年5月に発表されたとは知らなかった。

 

楽曲の存在と魅力に気付くのが遅かった。後悔した。申し訳ない。そう思うほどに感動した。

 

『最悪な春』はコロナ禍について歌っている。

 

2020年以降の社会の空気や、それに対する言葉にならない想いを、歌にして表現している。言葉でハッキリ意味を伝えているわけではない。しかし言葉がメロディと演奏と歌声に乗せられて届くから、その想いが伝わる。そんな音楽だから自分は感動した。

 

最悪であることをあえて言葉に出すことについて

 

「最悪な春」とあえて口に出して歌うことは、とても勇気がいることに思う。言葉が持つ力が、あまりにも強すぎるからだ。

 

新型コロナウイルスが蔓延し始めてから、予測不可能な最悪な出来事が1年以上続いている。そんな空気が漂う社会であるからこそ、言葉の使い方を間違えれば、ナイフのように人を痛めつける表現になってしまう。

 

それなのに、「最悪な春」とサビで歌う森山直太朗の声は優しい。歌を支える演奏は心地よい。聴いていてなぜか癒される。

 

あえて「最悪」と声に出して歌ってくれるから、それを聴いて冷静になれるからだろうか。「そうだよな。今は最悪だよな」と。

 

みんな「最悪な春」と思っている世の中。そんな想いを音楽によって共感し肯定してくれる。だから救われた気持ちになった。

 

歌詞は抽象的な表現が続く。しかし一部だけ具体的な言葉が入る。

 

例えば〈卒業式もなくなった〉というフレーズ。

 

この歌詞は「コロナ禍」であることを知らなければ、意味がしっかりとは伝わらない。込められた想いもわからない。だからこそ、その意味や想いがわかる人には痛いほどに伝わる。

 

数年後にこの歌詞の意味が、全く理解できない世の中になってほしい。しかしそれと同時に忘れてはならないし、忘れたくないとも思う。最悪な春だとしても自分たちが生きた軌跡でもあるのだから。

 

そんな想いも〈最悪なこの春を 僕は 僕らは 忘れないだろう〉と歌詞にしてくれている。全ての感情を代弁してくれている。

 

この曲は明るい印象を与える響きのコードが中心に構成されている。歌詞に反して曲は明るいのだ。だから最悪なことを歌っているのに、聴いていて明るい気持ちになるのかもしれない。

 

最悪な中にほんの少しの幸せを感じさせてくれる。音楽の凄いところは、悲しい時に明るい気持ちにさせてくれたり、楽しい時でも切ない気持ちを体験させてくれることだ。

 

『最悪な春』はそんな「音楽の持つ力」を感じさせてくれる。

 

 

聴き手に委ねられた表現

 

最悪な な な なんてまた すぐに上から塗り替えられちゃう 

 

これはサビの歌詞である。そこにに込めれた意味は、いく通りにも解釈することができる。

 

例えば「最悪なことは最高のことで何度でも塗り替えることができる」という意味。

 

「最高」は「最悪」を塗り替えるほど強い力を持っているという、明るい未来を感じさせる内容と読み取ることができる。

 

また「コロナ禍では現状よりも最悪なことが次々とやってくる」という皮肉を込めた意味にも受け取れる。

 

日々増大する感染者数。変異種まで出てきている。緊急事態宣言で人々を縛り付けても変わらない現状。呆れるような政策をする政治家と、それに振り回される国民。

 

今の最悪なことなんて、さらに最悪なことで塗り替えられてしまう。そんな社会や政治への批判的な意味を込めた、プロテストソングとしての役割も担っているかもしれない。

 

しかし自分は「さらに最悪なことで塗り替えられてしまうから、今がどん底ではない。だからまだ大丈夫」という意味だと受け取った。

 

「最悪に思うかもしれないけれども大丈夫」とネガティブでありつつも前向きに感じるメッセージ。それを伝えることで、聴き手に寄り添ってくれる感覚。

 

それは現実逃避に感じるかもしれない。「これよりも最悪なことがあるから、それよりもはマシ」という後ろ向きな考えでもある。

 

しかし現状を受け入れることで、冷静になれているとも言える。

 

歌詞に込められた本当の意味は、作詞者しかわからない。

 

それでもたった1フレーズで、聴き手が様々な解釈をできる表現を作り出したことに凄みを感じる。

 

この曲はサビで〈最悪な な な 〉と「な」という文字を連続で歌っている。これも自由に解釈するために、あえて隙を残した表現だ。

 

「な」と「な」の間のメロディには休符がある。この休符の部分で、各々が想う「最悪な何か」を自然と思い浮かべてしまう。

 

コロナ禍によって最悪になったのは春だけではない。夏も秋も冬も最悪だった。学校生活も仕事の環境や内容も、全てが最悪になってしまった人がたくさんいる。

 

あえて「最悪な」の続きを歌で明確に出さないことで、様々な解釈ができる隙を作っているのだ。

 

そんな表現の歌詞だから、自分は感動した。これは歌だからできる表現で、歌だから伝わる表現に思う。

 

音楽が必要な理由はこれだ。音楽は不急かもしれないが、不要ではなく必要なのだ。

 

『最悪な春』は希望を歌った応援歌だと思う

 

森山直太朗と作詞を行った御徒町凧は『最悪な春』に、様々な想いを込めて複雑な感情を音楽として昇華したはずだ。

 

だから解釈は聴き手にあえて委ねている部分が多いし、聴いていて様々な想いが溢れてくる。

 

自分は『最悪な春』は、希望を歌った応援歌として受け取った。

 

『最悪な春』は〈虞美人草が揺れている〉という言葉で歌が終わる。前触れもなく花の名前が出てくるのだ。これにも理由があると思う。

 

虞美人草の花言葉は「いたわり」「慰め」「心の平穏」。などなど。

 

この歌に込められたメッセージは、これなのだと思った。絶望の中に少しの希望を見つけているのだと思った。

 

力強く背中を押してはくれないが、優しく寄り添って、ほんの少しだけ前に進む手助けをしてくれる。『最悪な春』はそんな歌だ。

 

だから自分は希望の歌として受け取った。

 

音楽は世界を変えることはできない。人々の悩みや不安を全て救ってくれるわけではない。

 

それでもほんの少しの希望を与えてくれる。微力かもしれないが、音楽は他の物では換えが効かない力を持っている。

 

最悪な春なんてすぐに上から塗り替えられちゃうけれど、音楽から貰った力は上から塗り替えられることはない。

 

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  • アーティスト:森山直太朗
  • 発売日: 2021/03/17
  • メディア: CD