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『マツコ会議』でDJ松永の発言が炎上したことについて思うこと

11月13日に放送された『マツコ会議』に、Creepy Nutsが出演していた。

 

「暴力的なところや倫理的にアウトなところを許容する価値観が日本人と合わないなと思って」という言葉から、現状の悩みについて語り始めたDJ松永。その言葉の一部が問題視され、SNSを中心に炎上している。

 

フリースタイルダンジョンで男性が女性に発した言葉がミソジニーだと言われて炎上したのを見た時に、ここ止まりだな日本はと思って、これ以上は日本でHIPHOPが受け入れられることはないのかなと思って。

 

これは2018年2月6日に放送された『フリースタイルダンジョン』での、呂布カルマと椿のMCバトルについてのことだろう。

 

そのバトルで呂布カルマは「俺、お前みたいにメンスの臭いしねえけど」「ミソジニーとか難しい言葉知らねえ。ジェンダーのおばちゃん」「女のくせに情けないな」などと女性軽視の発言を繰り返していた。その言葉はSNSを中心に批判され炎上していた。

 

そして今回はDJ松永がミソジニーを肯定していると受け取られ、炎上しているようだ。

 

呂布カルマがMCバトルで発した言葉にも、DJ松永が『マツコ会議』で話した言葉にも、個人的には違和感は持っている。2人を擁護したいわけではない。

 

呂布の言葉は対戦相手に対するディスというよりも、女性という「性」に対する暴言になっていた。MCバトルは暴言で罵り合う競技ではあるが、その矛先が相手に向いていない。それはバトルの場でマイナス評価されても仕方がないし、批判されても仕方がない。

 

DJ松永の「暴力的なところや倫理的にアウトなところを許容する価値観が日本人と合わない」という言葉にも疑問はある。決して日本意外が許容しているわけではないからだ。

 

つい最近もDaBabyの同性愛者嫌悪発言が問題視された。発言を理由に『Lollapalooza』や『Governors Ball』といった音楽フェスから、出演をキャンセルさせられている。発言によって仕事がなくなっているのだ。

 

Eminemは過去にリリースした楽曲のリリックが、同性愛嫌悪や女性差別を示唆するものが多いとして、今になって問題視されている。Z世代からは不買運動をはじめとするキャンセルカルチャーの標的にされている。

 

最近の言葉だけでなく、過去の発言や作品までも問題視される世の中なのだ。

 

もしかしたら、日本よりも海外の方がアウトな表現に対する許容範囲は狭いのかもしれない。むしろ日本は意識や価値観に対するアップデートが遅れているとすら感じる。

 

しかしそれはDJ松永も知っていることだと思う。彼はHIPHOPのリスナーとしても、現在も多くの楽曲を聴いてシーンの動向もチェックしているはずだから。

 

おそらく彼は自身の意図を伝えるための言葉選びを間違えたのだと思う。決してミソジニーを許容すべきという意図ではなかったかと思う。

 

Creepy Nutsはオールナイトニッポン0のパーソナリティを担当しているが、失言してはR-指定にフォローしてもらったり、暴走して後から反省していることも多い。今回も伝えたい想いをまとめきれなかったのかもしれない。

 

一つの問題や失言によって「HIPHOP」というジャンル全体が批判されることを、彼は危惧していたのではないだろうか。

 

呂布カルマが炎上した時は、番組を観ていなかった人までも巻き込んでSNSで批判されていた。

 

HIPHOPどころか音楽に興味がないであろう人もその中にはいた。ジェンダー問題やフェミニズムの専門家でも、実際のバトルをみないで呂布を批判している人がいた。

 

その中には「発言に問題があることに気づいて欲しい」「世の中を良くしたい」という想いではなく、自身の主張をより強力にする材料にしたり、自らの主張の正当性を強めるために利用しているだけの人もいたと感じる。

 

そもそも呂布がミソジニー発言をする前に椿が「クソ加齢臭」と年齢差別をするディスで呂布を煽っていたし、「10年後娘にパパ、マジでダセェって言われないように、失言しないように気を付けな」と家族を巻き込んでまで強烈なディスをしていた。

 

審査委員であり同性であるLiLyも巻き込み「セクシーはLiLyに任せとけ」という言葉をまで発している。これは受け取り方によっては、女性から女性への差別発言とも捉えることができる。

 

つまり両者共に「これはアウトでは?」という発言を浴びせあっていたのだ。その内容に一切問題点がないとは思わないが、それでも「MCバトルでの発言」なので、ギリギリのバランスで競技は成立していた。このバトルは3ラウンド行い、呂布カルマが2対1で勝利した。

 

女性審査員のLiLyは呂布カルマがミソジニーと取られる発言をした第1ラウンドでは呂布に票を入れ、椿が「セクシーはLiLyに任せておけ」と言った第2ラウンドでは椿に票を入れていた。

 

呂布が勝利した時にLiLyは「お前女のくせに情けないなという言葉は、女って凄いものなのに女なのに情けないという女へのリスペクトに思ったんですよ。私は女性だけど、呂布さんの思想の方が多分レベルがちょっと上だなと思ったので呂布さんに挙げました」とコメントしている。このように審査されるから競技として扱われるのだ。

 

しかし競技内といえども、女性差別という繊細な問題に関わるディスをした呂布の方が大きく炎上した。椿とは違い呂布への批判は、HIPHOPの文化も試合の文脈もMCバトルの歴史も知らない人の意見も含まれているように感じる。

 

もちろん呂布カルマの言葉を擁護するつもりはない。酷い言葉だったと思う。しかし同時に椿も酷い言葉を発していた。2018年のMCバトルの場だから成立しただけで、2人共に問題発言が多かった。2021年に同じバトルをしたら、両者ともに炎上していたかもしれない。

 

MCバトルでの言葉だけでなく、日本のHIPHOPシーンには古い価値観が残っている。改善すべき部分が沢山ある。

 

今でも第一線で活躍する日本の女性HIPHOPアーティストは少ないし、彼女達が業界内で差別された話を聞くことも多い。業界人やヘッズには「何が問題なの?」と開き直っている人もいる。それはHIPHOP業界の悪しき風習で大きな問題だ。

 

しかしその改善はまずは業界内で変えていくべきにも思う。そこに文化や文脈や歴史を知らない人が混ざってしまうと、より拗れてややこしい事になる。不要な軋轢や争いが生まれてしまう。

 

海外ではHIPHOPが最も聴かれる音楽ジャンルであることは多い。そのためジャンルや文化の理解がある人が多くて、その上で問題視している場合も多い。アーティスト側が反論や説明をして受け入れてもらえる土壌もある。

 

しかし日本では、HIPHOPはあまり聴かれていないジャンルである。その文化への理解がないままに炎上に加担している人もいる。

 

それは強者が弱者を叩き潰すようなもので、文化やジャンルそのものが死んでしまう場合もこともある。1つの問題や失言や失敗により、HIPHOP業界全体が否定され、偏見を持たれてしまってもおかしくない。

 

そういった意味では「暴力的なところや倫理的にアウトなところを許容する価値観」が日本には合わないのだろう。合わないというよりも、知らないという方が正しいかもしれない。

 

「HIPHOPにはそのような価値観がある。歴史や文脈があったことも理解できる。でも改善すべき部分や価値観をアップデートすべき部分もある」と思ってくれる人が少ないのだろう。

 

価値観や歴史や文脈をすっ飛ばされて様々なことが問題になった結果として、HIPHOPシーンが何度も炎上した。過去の価値観に囚われた業界内の人が胡座をかいたせいで、何度も叩かれた。

 

HIPHOPがジャンルとして日本で受け入れられるタイミングは何度もあったが、毎回何かしら問題が起こり、その機会が何度も潰れてしまった。

 

それは業界内での自業自得だった時もあったが、HIPHOPに興味が無い外野から叩かれた時も少なくはない。それならばHIPHOPが日本でこれ以上は広まらないと思ってしまうことは、仕方がないのかもしれない。

 

DJ松永の言葉の本心は、他人である自分にはわからないが、言葉の裏側に言葉で言い表せなかった本心があるのだと感じる。『マツコ会議』でDJ松永は、このようにも発言していたからだ。

 

絶妙な機微だったり長文じゃないと説明できない言葉をギュっとかいつままれると、全く逆の意味になっちゃうこともあるから、R-指定みたいに言葉を丁寧に扱う人はリスクあるんだろうなと思う

 

おそらく今回の件も、本来は丁寧に説明しなければ伝わらなかったことかもしれない。

 

特に編集や切り取りが多く、様々な価値観の人が数百万人観ているテレビでは、言葉を発するにはリスクが大きいのだろう。