2020-12-09 岡崎体育『エクレア』の「六畳一間の宝物をまた自ら減らす」という歌詞に想うこと 岡崎体育 Mrs. GREEN APPLE コラム・エッセイ 物を捨てられないのではなく、気持ちを捨てられない 捨てられないよね~~~!物が捨てられないんじゃないんだよね、気持ちが捨てられないんだよね、それに対する。うーんわかるよすごい。 でもそうなんだよね、人から見たらそれってゴミなんだよねきっと、わかります、僕もなんか今傷つきました、ありがとうございました(笑)」 (引用:2020年12月1日 ミセスLOCKS!) Mrs. GREEN APPLEの大森元貴がラジオ番組で「ほかの人からしたらゴミとしか言えないものを、大切に保管してしまう」というリスナーからのメールに、このように答えていた。 大森の発言に心の底から共感した。 自分の部屋には他人からすれば必要のないものが溜まっている。ミニマリストが見たら泡を拭いて失神するぐらいには部屋が物で溢れている。こんまりがときめく部分が全くないほどに、部屋がゴチャゴチャしている。 特にCDや本、Blu-rayやDVD、好きなアーティストのグッズ。などなどは特に処分できない。自分は趣味に関わる物を大切にする傾向がある。 他人から見たらゴミかもしれない。お金をもらっても引き取りたくはないかもしれない。家族からも「処分しろ」と言われたりもする。 例えば岡崎体育のサイン入りチェキ。 興味のない他人からしたら、岡崎体育のチェキなんてゴミ同然だ。 冴えない男が自分写真にカッコつけた文体で名前を書いたチェキに、何の意味と価値があるのだろうか。自分でも「このチェキ、ゴミかもしれない」と思うこともある。なんなんだ、このチェキ。 それでも捨てられないのだ。大森元貴がいうように「物が捨てられない」のではなく「気持ちを捨てられない」のだ。岡崎体育のチェキにすら自分の気持ちが込められているのだ。 だから自分は岡崎体育を、断捨離できない。 六畳一間の宝物をまた自ら減らす エクレア 岡崎体育 J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes 全巻揃えた漫画を売ってその都度後悔する六畳一間の宝物をまた自ら減らす (岡崎体育 / エクレア) 岡崎体育『エクレア』の歌詞に、このようなフレーズがある。 まるで自分の気持ちをそのまま歌ってくれたと思った。それぐらいに共感した。 今の岡崎体育はお金持ちなので漫画の全巻セットなどいくらでも買えるだろう。印税もバンドと違い独り占めできるので、めちゃくちゃ儲けてるはずだから。 でも、そういうことではないのだ。新しく新品で買い直せば良いという話ではない。 そこには「気持ちを捨てた」という事実があって、買い直したからと気持ちまで取り戻せるわけではないのだ。 新品の綺麗な漫画よりも、ページが折れ曲がっていたり自分の手垢が残った汚い漫画の方が、愛着を感じる。気持ちが入るぐらいに大切にしているものは、他人にとってはゴミのように見えても宝物なのだ。 だから他人にとってはゴミのように見える岡崎体育のチェキも手放せない。 自分の一部だから捨てられない 自分の内面を創った物を手放そうとした時、「気持ちを捨てる」と思って処分できなくなる。 それは自分にとっては本やCD、好きなアーティストやアイドルのグッズである。 CDはデータ化してPCやiPhoneに入れてるし今は定額配信もある。わざわざ昔のCDを取り出して再生することなど滅多にない。今は電子書籍があるので、紙の本を持つ必要性はない。 でも捨てられない。これらを捨てることは、気持ちを捨てることと同じだから。これらによって自分が作られてきたから。 好きな音楽に何度も背中を押された。力をもらった。大切な本が自分の思想や思考にも大きな影響を与えている。これらの全てで自分の内面が作られている。 自分の内面を作った文化やエンタメがCDや書籍という形として残っているのならば、持っていたいし大切にしたい。それらを捨てることは気持ちを捨てることであり、自分を捨てることでもある。 それに思い出もつまっているから捨てられない。 ボロボロになってもう着ることはないであろう解散したバンドのTシャツや、紫に光るでんぱ組のペンライトにも、もう二度と観れない最高だったライブの思い出がつまっている。 その時に身につけたり購入したグッズは、自分と同じ経験と感動を体験した仲間とすら思える。 だから捨てられない。それを捨てることは自分の過去を消去することと同じだから。 岡崎体育のサイン入りチェキは、まあ、特に理由はないし、自分の内面に影響を与えたわけではないし、たいした思い出もないけれど、まあ、大切だ。 誰かの宝物だったのかもしれない BOOKOFFで別冊カドカワのaiko特集を購入した。本の間にはライブチケットが挟まっていた。 2014年のライブチケット。ピクチャーチケットなので、おそらくファンクラブ経由で購入したチケットなのだろう。 この本を売った人にとって、大切な本の1つだったのかもしれない。 ファンクラブに入るほどなのだから、aikoのことが大好きなのだろう。aikoの音楽や存在が大切なのだろう。 自分が税込110円で購入した在庫処分コーナーにあった古本は、本当は手放したくなかった気持ちが込められていたものかもしれない。 本を売った人が手放した経緯や理由はわからない。 何かしら事情があったのだろうか。興味をなくしてしまっただけだろうか。少しでもお金が必要だったのだろうか。 もしかしたら全巻揃えた漫画を売った岡崎体育のように、大好きなaikoの本を手放したことを後悔しているのかもしれない。 本の内容は素晴らしかった。 aikoのインタビューは音楽への愛を感じる内容で心を動かされた。親交がある著名人のコメントも愛があり、彼女の魅力を的確にとらえたものばかりである。 自分にとって大切本が1つ増えた。 自分の妄想や想像であるけれども、手放した人の気持ちも背負ったつもりで、持ち続けていようと思う。 岡崎体育のサイン入りチェキと同じぐらいに大切に持っていたい。この本も宝物の1つにしよう。 自分の部屋には他人には理解できないような宝物がたくさんある。 その最たる物が「岡崎体育のチェキ」だ。 ぶっちゃけ自分も客観的に見たら、このチェキがこの世に存在する理由がわからないぐらいに価値がわからない。それを他人が理解できるはずもない。 でも自分は絶対に手放すことはないだろう。 自分にとっては岡崎体育のサイン入りチェキも「六畳一間の宝物」の1つなのだから。 ↓岡崎体育の他の記事はこちら↓