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『ブルーハーツが聴こえない』を観て日比谷野音で過去に死亡事故があったことを知った

ブルーハーツが聴こえない

 

ブルーハーツが聴こえない HISTORY OF THE BLUE HEARTS [DVD]

ブルーハーツが聴こえない HISTORY OF THE BLUE HEARTS [DVD]

 

 

『ブルーハーツが聴こえない』というタイトルのドキュメンタリー作品を観た。THE BLUE HEARTSのデビューから解散までの、活動の歴史をまとめた内容である

 

当時のマネージャーの谷川千央氏が話していた言葉が印象的だった。

 

彼らは感情移入がすごい激しいから、ヒロトとマーシーが本気になって涙ぐんじゃって、スタッフ楽屋に来て「ファンに暴力を振るうような警備だったら僕らはやる意味がない」と言ってきて・・・・・・

 

これは1987年7月4日に日比谷野外音楽堂で行われた、ワンマンライブでの出来事である。

 

ライブの来場者には、ドラムの梶原徹也が書いた手紙が配られたそうだ。そこには下記の内容が書かれていた。

 

警備がなければならない状況になるのはどうしてか、このことは私たち自身が考えなければならないことだと思います。ライブの安全を考える時、誰かに押し付けられるまでもなく、ブルーハーツ自身からは警備は必要だという答えが出てきます。

 

しかしその状況を誰が作り出しているのかと言うことです。それは私たち自身なのではないでしょうか。今までのノリ方を当たり前とするなら、情けないことですが、警備の力に頼らなければライブは行えないのです。

 

ライブとはメンバー、スタッフ、お客さんのみんなで作るものだと思います。一人ひとりが警備員なのだというほんの少しの自覚で状況は少しづつでも変わっていくと思います。ご協力をお願いします。

 

自分は1987年当時をリアルタイムで知らない。そもそも産まれてもいなかった。

 

だから「警備員がライブ会場にいる」という状況に対して、これほど揉めている理由が理解できない。今はライブ会場に警備員がいることは当然のことだし、ファンに暴力を振るう警備員なんて想像できないからだ。※TIFでのBONDSを除く。

 

しかしその後のナレーションを聴いて、その理由を理解した。

 

死傷者を出しロックコンサートの警備のあり方が社会問題になったこの年の5月1日に、THE BLUE HEARTSがメジャーデビューした

 

日比谷野外音楽堂での死亡事故

 

1987年4月19日、LAUGHIN'NOSEというバンドが日比谷野外音楽堂でライブを行った。

 

そのライブ中に来場者が将棋倒しになる事故が発生した。この事故で3名の死者、重傷者1名、軽症者19名の23名が被害にあっている。

 

「ラフィンノーズ 日比谷野音 事故」で検索したら、当時を知る人や実際に参加していた人たちが残してくれた文章がいくつも見つかった。

 

詳しい内容は当時を知る人の文章を読んで確認してほしいが、観客が前方に押し寄せ、一部の観客がステージに上がろうとして、それが重なり合うように転倒したことが事故の原因らしい。

 

この日は主催者スタッフのみで、警備員は全く配置していなかったそうだ。

 

リアルタイムでしらないし現場を観ていない自分が判断するべきではないかもしれないが、警備員を配置していれば防げた事故だったと思ってしまう。

 

そもそも野音の前方に観客が押し寄せてステージに上がる光景を想像ができない。スタンディングのライブハウスならまだしも、日比谷野音は座席がある会場である。今のライブシーンではありえないことだ。

 

この事故が日本の音楽シーン、ロックシーンに与えた影響は大きいようだ。

 

ライブ会場ではステージと客席で一定の距離を取ることが当然になり、ライブハウスなどではステージ前に柵を設置することが増えたという。野音規模のライブならば、警備員を配置することが当然で常識となった。

 

事故発生当時のワイドショーではライブのあり方について、コメンテーターが議論したり、好き勝手に偏見を持たれた意見を言われ、ロックやライブが非難され叩かれていたらしい。LAUGHIN'NOSEは事故をきっかけに活動休止している。

 

THE BLUE HEARTSはLAUGHIN'NOSEの後輩バンドで、オープニングアクトを務めたりと交流があった。

 

そんなバンドが事故から三ヶ月後に同じ会場でライブを開催した。今までのロックバンドのライブではありえない人数の警備を入れて、ステージ前には頑丈な柵を設置して。

 

それまで当然だった楽しみ方が制限される中でのライブ。仕方がないことで必要なことと理解しつつも、ファンはモヤモヤを持っていたのかもしれない

 

「どうやら、どうやら、この鉄の檻は、人の心までもは縛れんようじゃな!ざまあみろ!」

 

ステージと客席を隔てた頑丈な柵を指差しながら話した甲本ヒロトの言葉は、力強くて、カッコよくて、ロックンロールに思った。きっと会場に集まったファンのモヤモヤを全て吹き飛ばす言葉だったはずだ。

 

制限があったとしても、ロックは成立するし音楽を楽しむことはできる。それを証明するような言葉だ。

 

このライブが日本のロックコンサートのあり方が変わる瞬間に思った。歴史が変わる瞬間で新しい価値観が生まれた瞬間だと思った。

 

今ではロックコンサートに柵があっても、警備員がいても当然のものとして受け入れられている。それでも問題なくロックは鳴らされている。

 

ロックは反体制という人もいるが、反発するだけでなく、自身が大切なものや場所を守るために受け入れることも必要なのだ。それこそがロックのあり方なのだ。

 

 

ダイブ等の危険行為の禁止

 

1987年当時をリアルタイムで自分は知らないが、自分も「ライブのあり方が変わる瞬間」を目撃した経験はある。

 

2009年からロッキング・オンが主催する音楽フェスROCK IN JAPAN FESTIVALで「ダイブ等の危険行為」を行った来場者には退場という厳しい処置をすることになった。

 

これは同じくロッキングオンが主催するCOUNT DOWN JAPANにおいて、ダイブによる怪我で後遺症が残る参加者が出てしまったからだ。

 

以前からロッキングオンは危険行為の禁止は謳っていたが、ロックの文化も理解している会社。暗黙の了解でダイブやモッシュも許していた。

 

参加者も「ロックのライブはそういうもの」という共通の認識があって、「ルールは破ってもマナーは守れ」の精神で許しあっていた。それがルールを徹底しなければならない状態に、突然なってしまったのだ。

 

自分は2009年以前に何度かROCK IN JAPAN FESTIVALには参加していたし、2009年にも参加していた。2009年はそれ以前のロッキンとは違う、重い空気だったことを覚えている。

  

Ken Yokoyamaは2009年の出演中に「ロックがいい子でいてどうするの?」と言って、ルールの徹底に戸惑い苛立っていたファンを煽り、ダイブやサーフが大量に発生した。

 

ルールを破った観客は退場の処置をされた。それ以降7年間、Ken Yokoyamaはロッキンに出演しなかった。

 

一方で10-FEETやDragon Ashは、危険行為をしないようにとステージ上から呼びかけていた。

 

2009年の彼らのステージでは危険行為はなかったかと思う。普段のライブならばダイブが当然に発生している両バンド。悩み考えてロッキンの意思を尊重したのだろう。

 

ロッキング・オン社長の渋谷陽一は「フェスを続けるために決断した対応」とフェス開始前の前説で語っていた。

 

様々な考えがあって様々な想いがある。大切にしているものもそれぞれ違う。しかしダイブやモッシュがなくても、音楽フェスもロックのライブも成立していた。

 

参加者の間でもロッキングオンの対応については賛否が分かれたが、今では当然のものとして受け入れられているし、他の主催者やプロモーターが行うフェスでも同様の対応をするパターンも増えている。若いロックファンにはダイブやモッシュに否定的な人も多い。

 

2009年以降のロッキングオンの対応は、日本のロックシーンやライブシーンが変わる出来事の一つだったと思う。

 

 

コロナ禍でのライブ

 

そして2020年以降、新型コロナウイルスの影響によって、再び「ライブのあり方」について変化が起こっている。

 

参加者はマスク着用が義務付けられ、声を出すことができなくなった。歓声を贈ることも一緒に歌うこともできない。会場はキャパを減らして密を防いだり、消毒や換気など感染症対策を徹底しなければならない。3密のライブハウスなど存在しない世界になってしまった。

 

ライブハウスでクラスターが発生したこともあり、世間ではライブハウスが非難された。今でもライブへ行くことに悩んだり罪悪感を持つ人もたくさんいる。

 

これも大きな時代の変化だと思う。THE BLUE HEARTSが野音でライブをやった頃よりも大きな変化かもしれない。

 

正直なところ自分は、マスクをせずにライブを観ることも、アーティストと一緒に歌うことも、数年から数十年は難しいと思っている。もしかしたらもう不可能なことだと覚悟もしている。

 

1985年に行われたLAUGHIN'NOSEの野音ライブの映像がYouTubeにあった。事故の2年前に行われたライブである。

 

 

そこには柵のない客席と前方に押し寄せて暴れているファンの姿が映っていた。今の野音ではありえない光景である。

 

30年以上前は野音だろうが座席があろうが関係なく、これがロックコンサートで当たり前の光景だったのだろうか。これに違和感を持ってしまうことは、時代が変わったことの証拠でもある。

 

もしかしたら30年後の若者が2019年以前のライブ映像を観た時、違和感を持ってしまうかもしれない。

 

「なんでマスクをしてないの?」「両隣の座席は空けないの?」「声を出していいの?」「一緒に歌ってるけどダメでしょ?」「ライブハウスなのに、なんでこんなに人が入ってるの?」などなどと。

 

戻ってほしいとは思う。その方が自分も嬉しい。この状況が続くことは、悲しいし切ない。

 

それでも、今を受け入れて未来に覚悟することも必要だとは思う。適応する必要があるとも思う。

 

コロナ禍になってから、何度かライブを観てきた。ロックバンドのライブも観た。

 

アーティストは以前のようなライブになることを望むMCをすることが多かった。それと同時に今を受け入れて最善のライブをやると話すことも多かった。

 

実際にライブへ参加してみると、制限があることを歯痒く思う部分もあった。ほとんどの来場者がそれでも必死にルールを守ろうとしていた。配信ライブしかやれなかった時は、生で観れないことを悔しくも思った。

 

しかしステージに立つアーティストは最高の演奏を聴かせてくれる。演出が素晴らしいライブも多い。支えるスタッフも素晴らしい仕事をしていた。

 

それはコロナ禍以前と変わらない。コロナ禍以前と変わらないぐらいに胸が熱くなった。心が揺れ動いた。

 

コロナ禍になってからのライブも最高なものばかりだ。やはり生のライブは最高だと思った。

 

素晴らしい配信ライブもあった。配信にも良い部分はたくさんある。新しい音楽やライブの楽しみ方の一つだ。

 

時代は変わる。不本意な理由で適応せざるを得ない変化も多い。まさに今がその時だ。

 

コロナ禍でライブのあり方が変わることは、今のところ悪いことが多いと感じる。

 

でも、数年後、数十年後、この変化がマイナスではなくプラスの意味に感じる時が、来るかもしれない。

 

1987年に甲本ヒロトは「鉄の檻は、人の心までもは縛れんようじゃな!ざまあみろ!」と言っていた。

 

それと同じように、マスクも、ウイルスも、人の心までは縛れないはずだ。ざまあみろ!

 

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