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THE BLUE HEARTS『チェルノブイリ』は反原発のプロテストソングなのか?

THE BLUE HEARTSが日本武道館で行ったライブの映像を観た。『チェルノブイリ』という曲を演奏する前のMCが印象深かった。

 

自分で調べて、自分で考えよう

 

この一言を告げてから演奏が始まった。映像ではカットされていたものの、ライブ当日に稼働が開始された原子力発電所についても、5分ほど話しをしていたらしい。

 

1986年4月26日。ウクライナの都市であるチェルノブイリにある原子力発電所で、爆発事故が発生した。

 

事故による直接的な死者数は33名で、間接的な死者数は4,000人を超えると言われている。被害のおおきさは世界一の原子力事故である。

 

それから約1年後、THE BLUE HEARTSは『チェルノブイリ』を発表した。所属レコード会社の親会社である三菱電機が、原子力発電事業を行なっているため販売許可が降りず、事務所の自主レーベルからリリースになったらしい。

 

チェルノブイリ

チェルノブイリ

  • THE BLUE HEARTS
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

〈チェルノブイリには行きたくねえ あの子を抱きしめていたい〉という歌詞が、耳から離れない。

 

際どくて暴力的な表現ではある。2021年にこの曲を歌ったらSNSで批判されるだろう。もしもメンバーがオリンピックの開会式に出演予定だったら、叩かれ炎上し辞退させられていた。

 

『チェルノブイリ』を「反原発」のプロテストソングだとは、個人的に思っていない。

 

THE BLUE HEARTSは原発について、反対とも賛成とも、必要とも不要とも歌っていない。チェルノブイリの原子力事故について感じたことを、暴力的で不謹慎でありつつも、赤裸々な感情を吐露するように歌っている。

 

この歌はあえて明確な結論や思想を表明していない。

 

歌詞の内容は様々な意味を、いく通りにも想像できる。だから聴き手が考え想像する余地と、知ろうと思うきっかけを与えてくれる。

 

チェルノブイリ原発事故が発生した当時、自分はまだ生まれていなかった。学校の教科書で事故を知ったので、当時の世論も反応も知らない。

 

『チェルノブイリ』を聴いたことをきっかけに、自分で調べて自分で考えた。この文章で詳細な考えは表明しないが、考えれば考えるほどにほどに一つの答えには辿り着かず、原発についての賛否に悩み続けている。きっとこれからも調べて考え続けると思う。

 

調べる過程で知ったことで、ショックを受けたことがある。

 

それはチェルノブイリの事故は過去の出来事ではなく、今でも終わっていないし、苦しんでいる人がいることだ。

 

 

 

現在も廃炉に向けての具体的なめどは立っていない。放射性物質の飛散を防ぐためにコンクリートで覆ったり、シェルターの設置などを行なっているが、まだ対策を進めている最中。

 

まだ行方不明の被害者もいる。事故が発生した4号機の中に遺体があると思われるが、放射線量が多いため回収できないらしい。

 

35年経っても解決していない問題がたくさんある。日本でも9基の原発が今でも稼働している。メリットとデメリットや必要な理由と重大な問題を、それぞれが自分で調べて自分で考える必要がある。

 

日本でも大きな原発事故が発生した。東日本大震災が原因で発生した福島第一原子力発電所の事故だ。チェルノブイリと同様に、国際原子力事象評価尺度の最も深刻な状態であるレベル7と評価されている。

 

福島の事故は発生から10年経っているが、全てが解決したわけではない。

 

現在も事故現場からの周辺337㎢は、帰宅困難地域になっている。福島産の食材を避ける人は、今でも少なくはない。風評被害も続いている。チェルノブイリと同様に過去の話ではなく、現在進行形で苦しんでいる人がいる。

 

そんな福島への支援を震災直後から続けている細美武士は「俺は意見が違うヤツとも友達になれる。だから話し合おう」と、ライブのMCで語っていた。これも大切なことに思う。

 

 

自分で調べて、自分で考え、話し合って深めていく。そこで生まれた意見を表明したり訴えていくことで、何かが変わるかもしれない。

 

しかし今は自分で調べて自分で考える人が減っているし、話し合う機会も減ってしまった。それはインターネットの普及が影響していると思う。特にSNSの影響は大きい。

 

SNSを開けば自然と情報が流れてくる。トレンドを見れば様々な人の意見を簡単に見ることができる。インターネットの発達により、自分で調べずとも情報を知ることができるし、自分で考えずとも様々な思想や思考と触れられる。

 

調べたり考えたりすると、頭を使うし精神的にも疲れる。その行動は面倒くさいことだが、大切な習慣でもある。

 

インターネットは便利な反面、大切なものを奪ってもいる。

 

無意識に思考をストップさせ、多数派の意見や過激な意見に流され、それが自分の考えだと勘違いさせる危険性もある。

 

真偽不明な情報も流れてくる。イメージや偏見で語られた意見もある。デマも溢れている。SNSの使い方によっては、流れてくる情報に偏りが生まれる。

 

今のインターネットはインフラの一部で、気軽に誰もが使えるものだ。

 

しかし本来は慎重に気をつけて使うべきものだった。それが今は忘れられつつある。

 

新型コロナウイルスや東京オリンピックに関わる、デリケートな情報もそうだ。

 

特に慎重に情報を吟味し考えなければならない事柄だが、調べることも考えることも放棄し、流れてくる情報だけで判断している人もいるだろう。情報の一部分しか確認せず、ネット記事の見出ししか読まずに、感情のままに判断し意見を述べる人も少なくはない。

 

誰もが気軽に発信と受信をできるようになった時代だからこそ、自分で調べて自分で考えることが特に重要なのだ。思考を停止してはならないのだ。

 

それはネットが発達する前から変わっていない部分ではあるが、ネットが発達した代償として重要性が増してしまった。

 

自分も調べることが足りなかったり、浅い考えのまま止まってしまうことはある。気をつけているつもりでも、騙されることはある。だから甲本ヒロトの言葉が響いたのだ。

 

改めて自分に言い聞かせる意味でも「自分で調べて、自分で考えよう」という言葉を、胸に刻みたい。

 

そして歌に対しても好きなアーティストの発言に対しても、ファンだからと思考停止した状態では受け入れず、自分で調べて自分で考えてから受け入れたい。