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紅白歌合戦を男女別で競わせることには意味があると思う

瑛人は紅白のルールを知らない

 

12月30日にTBS系列で放送された『バナナサンド』という番組に瑛人が出演していた。

 

瑛人は紅白歌合戦の紅組と白組が男女別に分かれていることを知らなかったらしく、スタッフに「俺、何組ですか?」と聞いたというエピソードが語られていた。それについて番組内で「天然キャラ」とイジって、バラエティとして面白おかしく放送していた。

 

それについてSNSでは様々な意見が飛び交っている。

 

「自分も知らなかった」という人や「時代遅れ」という人や「若者は紅白を観る習慣がないから知らないのでは?」などなど。

 

個人的には男女別で分けることは時代遅れだとは思うし、変えてもいいことではと思う。しかしそれを理由に紅白歌合戦を批判する人もいるが、それについては違和感を覚えてしまう。

 

もしかしたら男女別で競わせることにも意味があって、必要なことだったのかもしれない。

 

男女不平等だった時代に始まった紅白歌合戦

 

紅白歌合戦は1951年から放送が開始した。第二次世界大戦が終戦してから6年後である。

 

1940年代後半~50年代当時は女性の権利は男性と比べると低く、差別されることが当たり前な時代だったらしい。それが少しづつ「変えていかなければ」と世界的に変化が起こり始めた時期である。

 

例えば男性にしか認められていなかった参政権が、日本で女性に認められたのは1945年である。

 

そもそも「政治的,経済的 又は社会的関係において性別により差別してはならない」と1946年に日本国憲法で男女平等が定められるまでは、男性の立場が上で、女性は差別されることが常識で当然のものだった。

 

紅白歌合戦が開始された年と同じ1951年には、国際労働機関によって『同一報酬条約』という条約が採択された。

 

男女関係なく同一の労働をしたならば、同一の賃金を与えることを保証すると言う内容だ。かつては世界中で女性というだけで、賃金すらまともに保証されていなかったのだ。

 

そんな男女の権利や関係性について価値観が変化し始めたり、様々な議論がされ始めた頃に「男女を分けて競わせる」という紅白歌合戦が始まったのだ。

 

 

男女が平等に競える場所

 

日本国憲法で「男女平等」が定められても、女性の権利がいきなり男性と平等になるような社会の空気感ではなかったと思う。

 

女性は男性を立てて一歩後ろに下がることが良き女性と思われていただろうし、社会で男性と同じように女性が活躍する場は少なかったと思う。

 

芸能でも女性が活躍できる場は少なかった。歌舞伎では女性の役者はいなかったし、当時は女性の落語家もいなかった。

 

そんな時代に女性が男性と平等に評価される数少ないモノの1つが「音楽」であり、平等に認め合って楽しむことができるモノの1つが「音楽」だったのかもしれない。

 

紅白歌合戦のステージでは女性歌手がステージに立っても否定する者はいない。女性歌手が素晴らしい歌をうたえば素直に誰もが感動できる。紅組が勝っても白組は悔しがった演技をしつつも、笑顔で賞賛するだろう。

 

その対決も全面的に押し出して放送するわけではない。あくまで音楽を聴かせることが番組の趣旨だ。

 

番組を盛り上げる要素の1つとして、さりげなく対決の要素を加えることで、自然と男女が競うことに違和感を持たせない状態になっているのだと思う。

 

音楽で勝敗を決めることはナンセンスかもしれないが、紅白歌合戦は性別も世代も関係なく平等に競える場だとも言える。

 

もしかしたら男女別に分けてチームにして競わせることによって、男女が平等であるということが自然と国民に理解されていた部分もあったのかもしれない。

 

紅白歌合戦が始まって約70年。

 

そこから時代の移り変わりとともに、過去の男女平等を表現する方法も変わったからこそ、男女を分けるということに違和感を持つ人が増えたのだろう。

 

「性別関係なく競うことができる世の中」が平等と考える価値観から、「性別関係なく融合できる世の中」という価値観を平等と考える人が増えたのだと思う。

 

 

今も紅白歌合戦が男女を分けていることを批判するべきなのか?

 

そもそも男女混合グループも紅白歌合戦に出場しているし、基本的にメインボーカルの性別で紅組白組を分けているようだ。男女のデュエットだと紅組から出演することが基本らしい。

 

AAAの場合は紅組と白組の両方からの出場経験があるし、トランスジェンダーで戸籍上は男性だった中村中は紅組から出場している。

 

数十年前から基準やコンセプトは曖昧で、時代の変化や出場歌手の系統によって柔軟に変化させているのだ。だから男女で分けていることを知らない人がいても当然かもしれない。

 

とはいえ伝統があるからか基本は男女別に組分けしている。そのコンセプトは時代とそぐわないかもしれない。しかしそれを取り上げて「時代遅れ」「オワコン」と批判することは、違うのではないだろうか。

 

男女を分けることに違和感を持つ人が増えたことは、ジェンダーについて多くの人が様々なことを考え、価値観が良い方向に変わったことの証拠だ。それは素晴らしいことである。

 

紅白歌合戦が時代遅れになったというよりも、時代の変化によって「今までの紅白歌合戦は役目を終えた」と言った方が正しいのかもしれない。

 

だから批判をするのではなく、今まで様々な要素で重要な役割を担っていた紅白歌合戦に対し、敬意と感謝の気持ちを表しつつ、「新しい紅白歌合戦」としてさらに良くなることを願うべきではと思う。

 

男女平等についての議論もきっと、男性を批判して女性の権利を主張することが目的ではなかったはずだ。逆に男性が偉そうにして女性を蔑ろにすることも間違っている。

 

ジェンダーに関する議論は批判し合うのではなく、様々な考えを尊重し合った上で考えるべき事柄ではないだろうか。

 

ここに書いたことが絶対的な正義ではないし、あくまで自分の考えである。間違っていると思う人もいるだろう。

 

1つの意見として受け取ってもらえたらと思う。様々な価値観を認め合える世の中であって欲しい。