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エビ中の安本彩花がきのこ帝国『金木犀の夜』をカバーしたことについて

きのこ帝国の最後のライブ 

 

2018年9月23日。新木場スタジオコーストできのこ帝国のライブが行われた。

 

そのライブでボーカルで作詞作曲を務める佐藤千亜妃が『金木犀の夜』を歌った後に「色々と思い出して切なくなっちゃった」と語っていた。このように話す姿はあまり見たことがなかった。

 

 

他のメンバーや会場に観客も同じ気持ちを共有していたと思う。それぐらいにライブの空気が『金木犀の夜』を演奏後に変わった。楽曲の内容は佐藤の個人的な感情や経験を元にしたものかもしれないが、音楽の力で全員の感情が動き、全員が同じ感情になったのだ。

 

だからあの日のライブは自分にとって、一生忘れることがないであろうライブになった。それぐらいに1曲で心を大きく動かされた。

 

このライブは現時点できのこ帝国にとって最後のライブである。

 

ライブ後に約半年の沈黙を経て、ベースの谷口滋昭が脱退することを理由にバンドの活動休止を発表したからだ。

 

だから『金木犀の夜』を演奏した後の盛り上がりとも違う感情を共有した一体感を体験できたことは貴重に思うし、もう二度と体験できないかもしれないと思うと悔しさと悲しさも感じる。

 

きのこ帝国について

 

音楽フェスがバブル的な人気になり、音楽ファン意外にも「邦ロック」や「音楽フェス」が拡がっていった2010年代初頭。

 

若手バンドは「ライブでいかに盛り上げるか」を重視した音楽をやるバンドが増えていた。KANA-BOONをはじめとする「四つ打ちロック」が流行ったのもこの頃である。

 

そのようなバンドがデビューして人気を集めていた頃に、きのこ帝国はデビューした。

 

シューゲイザーやポストロックからの影響を感じるような音楽性。そこに切ないメロディを乗せてポップスとしても成立する楽曲を創っていたことが、個性的で魅力的だった。そんな音楽をやって成功したバンドは日本ではいなかったとは思う。

 

しかし当時の流行とは全く違う方向性だ。

 

ライブでモッシュをする客も、サークルを作って騒ぐような客もいない。腕を上げる客もまばら。聴いていてテンションが上がるような曲はほとんど存在しない。

 

流行の「四つ打ちロック」とは真逆の音楽性だ。

 

 

それでも『海と花束』が話題になりインディーズ界隈で知名度や人気が上がり、ギターロックの要素が強まった2ndアルバム『フェイクワンダーランド』はCDショップ大賞に入賞しヒットしたりと、着実にキャリアを重ねていた。

 

特にアルバム収録曲の『東京』と『クロノスタシス』はバンドの代表曲になるほどに評価されている。

 

流行りに乗らずとも、少しづつだとしても、しっかりと音楽は評価されていった。

 

 

 

しかし賛否が分かれる作品も多かった。様々な音楽性に挑戦していたことが理由に思う。

 

メジャーデビュー作『猫とアレルギー』はJ-POPに親和性がある内容で過去作と方向性は変化した。それに対しては賛否が分かれたし、離れてしまったインディーズ時代からのファンもいる。

 

次作の『愛のゆくえ』は音響やリズムにこだわりを感じるマニアックな作品になっており、『猫とアレルギー』のキャッチーな音楽で好きになったファンには批判されることもあった。

 

作品ごとに雰囲気がガラッと変わる作風によって、ファンを振り回すようなバンドだった。

 

でもメロディは初期からずっと個性に溢れていたし、この4人が演奏するとどんな曲でも「きのこ帝国の音楽」になっていた。きっと試行錯誤しつつも軸はぶれないように音楽性の幅を広げようとしていたのだと思う。

 

現時点のラストアルバム『タイム・ラプス』は、様々な音楽に挑戦したバンドの集大成とも言えるようなアルバムだ。奇を衒うような楽曲はないし、他とは違う唯一無二な作品を目指しているわけでもなさそう。

 

その代わり様々な音楽を吸収したからこそ鳴らせるような上質な王道ロックで、多くの人の心を掴むようなポップスとしても成立するような素晴らしい作品だった。

 

『タイム・ラプス』は個人的には2010年代後半に発表された日本のロックアルバムではトップクラスの名盤に思っている。しかし様々な音楽に挑戦しファンを振り回した後にリリースされた作品だからか、あまり注目されなかったように思う。

 

評価される以前に聴かれる機会が少なかった。名曲が聴かれずに埋もれてしまっているように感じた。

 

このアルバムに『金木犀の夜』は収録されている。この曲も埋もれていた。「隠れた名曲」にするにはもったいない名曲なのに。

 

 

安本彩花が歌う『金木犀の夜』

 

2020年9月19日・20日に私立恵比寿中学が久々に観客を入れてライブを行った。

 

このライブには各メンバーがソロでカバー曲を歌うコーナーがあった。その中でメンバーの安本彩花が『金木犀の夜』をカバーした。これは意外な選曲だった。

 

 

他のメンバーが歌った楽曲は中島みゆきや奥田民生、Superefly、Official髭男dism、iriなど大物アーティストや話題のアーティストの楽曲ばかり。

 

他の楽曲はカバー楽曲は原曲を知っている人が多かったとは思うが、会場にいた観客のほとんどが『金木犀の夜』を聴いたことがなかったはずだ。きのこ帝国の存在も知らなかったと思う。

 

だからきのこ帝国が選ばれたことが嬉しかった。他の選曲と比べると異質かもしれないが、純粋に楽曲も魅力だけで選んでもらえたのだと思う。

 

きのこ帝国ボーカルの佐藤千亜妃は繊細で儚い声質だ。『金木犀の夜』では戻らない過去について達観したような気持ちを感じる表現をしている。

 

それに対して安本彩花は柔らかく包み込むような優しい歌声で表現していた。戻らない過去を後悔しつつも受け入れて前に向かっているように聴こえる。

 

そんな安本の歌声は素晴らしかった。

 

演奏は原曲を忠実に再現したものだったが、歌は違う表現方法をすることによって新しい楽曲の魅力を引き出した。それは彼女だからこそ引き出すことができたことに思う。

 

きのこ帝国はナンバーガールやフィッシュマンズ、andymoriのようにフォロワーを大量に生んだバンドではない。ミッシェルやブランキーのように伝説のバンドとして扱われているわけでもない。

 

楽曲がカバーされることなんて滅多にないし、改めて再評価されたり語られる機会もないバンド。もしかしたら活動休止後は、ファン以外に存在を忘れられているかもしれない。

 

でも自分にとっては今でも大切なバンド。もっと売れるべきだったと今でも思っているし、過小評価されていると今でも思う。

 

だから歌い継いでくれる人が出てきたことが、心の底から嬉しかった。

 

それも「カラオケ」として歌うのではなく、新しい楽曲の魅力を引き出すように大切に丁寧に歌ってくれたことが嬉しかった。

 

真剣に楽曲に向き合って練習し表現したのだと思う。きのこ国を知らなかった人にもしっかり届いて感動させたはずだ。そのこともきのこ帝国のファンとして嬉しかった。

 

エビ中が行ったライブはライブアルバムとして11月にリリースされる。

 

そこには安本が歌った『金木犀の夜』も収録される。CDという形になって、きのこ帝国の音楽がまた拡がっていく。それも嬉しい。

 

秋になって金木犀の香りに気づいた時に、『金木犀の夜』を聴いて感傷的になるぐらい感動する人がもっと増えますように。

 

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