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別のバンドのTシャツを着てライブへ行くことはダメなのか? 別の音楽フェスのTシャツを着てフェスへ参加してはダメなのか?

2011年のROCK IN JAPAN FESTIVAで、自分の前に立っていた男性がRISING SUN ROCK FESTIVAL 2010のTシャツを着ていた。あれはGRASS STAGEでASIAN KUNG-FU GENERATIONの出番を待っていた時だ。

 

Tシャツの背中にフェスの全出演者が書かれていて、それをライブが始まるまで眺めていた。「ロッキンにも出てるあのバンドもいる!」「このバンドが出たのか!羨ましい......」「the pillowsとベンジーはロッキンには色々な事情で出てくれないよね(笑)」と思いながら。

 

良い暇つぶしになったし、自分もいつかRSRに行ってみたいとも思った。そして「この人も自分と同じように音楽が好きだから、いくつものフェスに行く人なのかな」と思い、親近感が湧いた。

 

時折「参加するフェスとは違うフェスのTシャツを着てきてもいいのか?」「出演者ではないバンドのTシャツを着て行っていいのか?」という議論が発生する。

 

先日「JOIN ALIVEにRISING SUN ROCK FESTIVALのTシャツを着ていた人がいた。それはJOIN側へのリスペクトがないのでは?」という趣旨のツイートを見かけた。

 

音楽を生で聴く場を作ってくれる運営会社にも心の底から感謝しているからこその考えだと思う。それぞれのフェスは運営会社が違うライバル同士なので、お互いに失礼ではないかという発想だ。

 

たしかに「売上や利益を考えたら自身のフェスのTシャツを買って着て欲しいと運営は思っている」と想像することは自然なことだ。それに別のフェスのTシャツを着ていては、自然と他社の宣伝にもなってしまうだろう。

 

だが自分は「音楽フェスならばTシャツなんて好きなものを着ればいい」と思っている。別の音楽フェスのTシャツだとしても、そのフェスに出演していないバンドのTシャツだとしてもだ。服装も含めて「ライブは自由」ではないのだろうか。

 

そういった意味で「ライブは自由」ということを証明するようなステージを、配信ではあるものの観たことがある。FUJI ROCK FESTIVAL’21に出演した時のサンボマスターだ。

 

2021年はコロナ禍の影響で中止になった音楽フェスやライブが多かった。音楽を含むエンタメのイベントを開催することが世間的には悪とされていた時期で、開催を決断したフジロックも多くのバッシングを受けていた。

 

そんなステージでサンボマスターは最後に演奏した『花束』という曲の演奏中に、2021年に中止になった音楽フェスのタオルをいくつも持ってきて、それを客席に向けて掲げていた。客席のスクリーンにも、中止になった音楽フェスのロゴがいくつも写しだされていた。そういえばベースの近藤洋一は氣志團万博のTシャツを着ていた。出演者でありながら別の音楽フェスのTシャツを着ていた彼は、音楽フェスへのリスペクトはなかったのだろうか。自分はむしろ最大限のリスペクトを持っているように感じた。

 

そんなライブをフジロックという場でやってのけたサンボマスターも、他社の宣伝に成りうるのに許可したフジロックも、最高だと思う。

 

日本では様々な地域でたくさんの音楽フェスが開催されている。運営する会社はそれぞれ違うし、開催地域が同じだったり、開催日が被っている音楽フェスも少なくはない。出演者だって被っていることが多い。

 

一部の金銭や時間に余裕がある人を除いては「どの音楽フェスへ行こうか?」という取得選択をし、行く音楽フェスを決める音楽ファンがほとんどだろう。そういった意味では音楽フェス同士は客を取り合うライバルだ。

 

でも、実際は、ライバルでありつつも、協力し合う仲間なのではとも思う。そうでなければフジロックでサンボマスターのステージが成り立つことはなかったし、あのライブを観て多くの人が感動することも有り得なかった。

 

コロナ禍が始まってから3年が過ぎ、ライブシーンを取り巻く環境も変わった。コロナ禍以前に戻ったと言って良いかもしれない。しかし、だからといって、コロナ禍で音楽業界やライブシーンが一致団結した記憶や記録は、リセットされないで欲しい。

 

そもそも最初から運営会社同士はライバルでありつつも、それ以上に音楽によって結ばれた仲間だったのではないのか。

 

例えば2011年の震災後。コロナ禍とは違う意味で「音楽の存在意義」や「エンタメをやる意味」について、様々な考えが飛び交っていた。そんな時に音楽フェスを開催することに、葛藤をしていた運営は少なくないだろうし、観客も2010年以前と同じように楽しんで良いのかと悩む人もいたかもしれない。被災地を思いやる人が多かったからこその、自粛ムードが長く続いていた。

 

そんな時に音楽フェスが開催され「非日常を楽しむ日常」を例年通りに提供されたことは、とても重要なことだったと思う。それは1つの音楽フェスだけの開催では大きな価値を生み出せなかった。多くの音楽フェスが被災地に想いを馳せつつも開催したことが重要だったのだと思う。被災地でも音楽フェスが開催されるようになった。それは被災地の方々にとって、ひとつの希望になったと信じたい。

 

だから自分は2011年のロッキンでRSRのTシャツを着た男性を見かけて、親近感が湧いたし仲間意識が芽生えたのだ。違うフェスのTシャツを着ていたとしても、音楽を愛する仲間で、音楽フェスを楽しむ同士だと思ったのだ。そんな時でも音楽フェスを楽しむ同士をリスペクトしたいと思ったのだ。

 

ロッキンとRSRの運営同士で過去に多くのトラブルがあったから、良好な関係とは言えないかもしれない。だとしてもお互いに敵でありつつも仲間であると運営同士は思っているかもしれない。

 

それに観客はそんな裏方のことなど気にする必要はない。あくまで我々は業界関係者ではなく、ただの音楽好きだ。服装もルックスも関係なく心の底から音楽フェスを楽しむことこそが、そのフェスへのリスペクトであるはずだ。

 

だからこそライバル会社の運営フェスのTシャツを着ていたからと「リスペクトがない」と、観客が別の観客を批判することを懐疑的に思う。

 

それに運営側からしてもプラスの面があるかもしれない。別のフェスのTシャツを着ている観客を見れば、自身のフェスに来る人がどのようなアーティストを求めているのかがわかる。自身のフェスに出演していないバンドのTシャツを着ている人を見れば、観客が求めている出演者が予測できる。自身の主催フェスをよりよくするためのマーケティングリサーチにもなるのだ。むしろそのことに運営側は感謝すらしている可能性もある。

 

そもそも「別の音楽フェスのTシャツを着て行ってもいいのか?」という議論以前に、音楽フェスへ参加するときの服装で「リスペクトがない」と判断することには、大きな問題がある思う。

 

なぜなら人を見た目で判断し、自身の価値観を正として他人を批判しているからだ。これはルッキズムに傾倒した差別とも言える。

 

服装に対するルールがある場所も存在する。例えばディズニーランドでは、他社のキャラクターのコスプレが禁止されている。マナーに注目するならば、特定のチームを応援して楽しむスポーツ観戦については、全く違うチームのユニフォームを着ていくことは良くないかもしれない。冠婚葬祭では明確な服装のルールやマナーがあるし、ドレスコードのあるレストランも存在する。公衆の面前で露出の高い服装をすることは法律違反にも成り得る。

 

しかし音楽フェスには服装の決まりがない。暑さ対策や動きやすさを重視した服装が推奨されている程度だ。

 

それなのに個人の価値観や決めつけによって、服装で判断して「リスペクトがない」「気遣いがない」と他人の内面を評価し批判することが許されるのだろうか。そのように批判する人は音楽フェスを愛するが故の価値観で悪意はないと思う。しかし見た目で人を判断し差別をしていることには変わりない。

 

30年ほど前にTHE BLUE HEARTSが『青空』という曲で〈生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう〉と歌っていた。

 

価値観は時代が進むにつれアップデートされている。過去の間違った歴史による差別がいけないことは、多くの人が理解しているだろう。人種差別や性別による差別、年齢や生まれた土地による差別には、ハッキリとNOを突き立てる人が今は多数派だ。だからこの歌詞に共感する人は、リリース当時よりも現代の方が多いはずだ。

 

だがマクロな視点での差別に反対する人が増えたものの、それ以外のもっとミクロな場所に、新しい差別が生まれてはいないだろうか。多くの人に音楽フェスや音楽ライブという場が受け入れられ、文化が浸透し変化したことによって、不必要なマナーやルールを作ってしまい、自由に楽しむ場を自ら壊していないだろうか。

 

音楽フェスおよび音楽のライブにおける「自由」は、音楽を楽しむ方法に対してのものだけではないと思う。他者の自由を奪わない限りは「何もかもを自分のありのままで過ごせる空間」という意味で、場所自体が自由なのではないだろうか。

 

今年も様々な場所で音楽フェスが開催される。”まぶしいほど青い空の真下”で行われる夏フェスもたくさんあるはずだ。できれば音楽フェスというピースフルな場所の青空の真下では、歴史に問い詰められることのない、誰もが自由にハッピーに楽しめる空間であってほしい。

 

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