オトニッチ

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「ガールズバンド」という言葉に差別的な意味を感じる理由について

「女優」という表記について

 

 

先日秋元才加のツイートが話題になっていた。自身が「女優」と呼ばれることに違和感があり、表記を「俳優」に統一してもらったという内容だ。

 

彼女の意思は尊重したい。ジェンダー問題として大袈裟に捉えるほどのことではなく、肩書きは本人が自由に決めるべきだと思う。

 

しかし女性も男性も区別なく「俳優」と呼ぶとしたら、様々な不都合も生まれるかもしれない。性別が役柄に絡んできたりと、どうしても性別で区別しなければならない状況もあるからだ。

 

俳優は女性か男性かによって、役柄や役割も変わってきてしまう職業である。

 

そもそも「女優」と呼ばれたいと思っている女性俳優もいるかもしれない。そちらの意思も尊重したい。

 

現代で使われている「女優」という言葉は、差別意識からくるものではないはずだ。

 

だが「男優」という言葉が使われることが少なく「俳優」という表記からは男性を想像してしまう現状を考えると、変えるべきかもしれない。LGBTの俳優は表記をどうするべきかという問題もある。

 

秋元才加があえて「俳優表記をお願いしている」と公に発表したことは、何かが変わるきっかけになるかもしれない。それは「女優」という言葉を無くそうという話ではなく、その使い方について考える機会になるのではという意味だ。

 

男女で表記を分けて問題ない職業について

 

俳優と同じように、性別によって表記を変えても問題ないと個人的に感じる仕事がある。

 

例えばモデルや声優、アイドルなど。これらは職業の持つ性質として、ジェンダーによる区別が影響する仕事だ。

 

モデルは男女の体型によって着る服が違う。そのため見せ方も魅せ方も違う。

 

女性モデルの着こなしやファッションは女性服を着たいと思う人が参考にするのだろうし、男性モデルも同様に男性服の着こなしを知りたい人が参考にするのだろう。

 

自分の体型と近いモデルを参考にすることもあるので「男性モデル」「女性モデル」と表記して問題ないと感じる。LGBTのモデルがいるのならば、本人の意思を尊重して表記や呼び名を都度考えれば良い。

 

声優も同様だ。

 

アニメ作品を作る場合低い声のキャラクターならば男性を、高い声のキャラクターならば女性を起用する。それは声優の性別による身体的特徴が作品作りに影響するので、必要で仕方がない区別に思う。

 

スポーツ選手の競技が男女別で分かれていることと同じようなものだ。LGBTの声優がいるのならば、これも俳優やモデルと同様に本人の意思を尊重しつつ、柔軟に対応して表記を考えれば良い。

 

これらは差別ではなく区別に思う。

 

しかし現状として「区別が必要ではない場合」でも、性別による表記の違いや差別や偏見が生まれている場合もある。差別と区別がごちゃごちゃになっていることも少なくない。

 

「ガールズバンド」という表記に、自分は違和感を覚えてしまう。これは区別のようで差別に近い言葉に思うからだ。

 

 

バンドを男性と女性で表記を分ける意味

 

男女比に差がある場合は、必要性がなくてもジェンダーで呼び方が変わる場合がある。

 

例えば保育士や看護師では今でも男性がいると、珍しがって「男性保育士」「男性看護師」と呼ぶ人もいる。タクシーやトラックでは女性が運転していると「女性運転手」と呼ばれることもある。

 

これらは必要性がないのに呼び方や表記をジェンダーで分けている。それに違和感を覚えてしまう。

 

だから「ガールズバンド」という表記にも疑問を感じるのだ。バンドも男か女かで表記を分ける必要がない。音楽が良ければいい職業なはずだから。

 

もちろん性別によって表現方法が変わる場合はある。

 

ジェンダーが女性だからこそ書ける歌詞もあるかもしれないし、男性だから作れる世界観もあるはずだ。男性よりも女性の歌声を好む人も多いだろうし、女性よりも男性のライブパフォーマンスに惹かれる人も多いだろう。

 

だから「ガールズバンド」という表記は必要と言われても納得はできる。

 

しかしそれならば「ボーイズバンド」という言葉を男性バンドに使わなければ不自然だ。女性がメンバーにいると「男女混合バンド」と紹介されることも少なくはない。「女優」の対義語が「俳優」になっていることと同じように、違和感を覚える。

 

バンドは俳優ほど男女で役割が分けられているわけではない。同性のバンドでも全く違う音楽をやっている場合は多いし、逆に異性のバンド同士で近い音楽性であることもある。

 

性別は関係なく、各自の個性によって表現が変わるのだ。

 

ではなぜ「ボーイズバンド」という言葉が使われずに「ガールズバンド」という言葉だけが使われるのだろうか。

 

それは女性がバンドをやることがマイノリティな時代が長かったことと、女性の立場を下に観ている業界関係者やリスナーが存在するからだろう。

 

 和久利「中音(ステージ内の音量)を大きくしちゃったりね(笑)」

福岡「わかるわ〜! 中音を大きくするの、めっちゃわかる。(チャットモンチーの地元である)徳島でもガールズ・バンドはすごく少なかったし、最初は女のバンドとして見られるのがすごく嫌で、〈ジーパンとTシャツ〉みたいな格好で、絶対に女の子らしくはしない、ということもやってた。あと、楽器に詳しくならなきゃ、とか思ったりね。男性の先輩って楽器教えたがるんですよ」

一同「ああ〜(笑)」

福岡「その人が勧める楽器を使わないと気にくわない、みたいな人も出てきて(笑)。〈これはあんまり好きじゃないな〉とか思いながらも、〈あ、わかりました〉みたいに答えたり、そういうのはありましたね(笑)。でも〈私も知ってます〉って会話をできたほうが対等に見てもらえるかなと思ったから、楽器屋でバイトをしはじめて」

一同「へえ〜!」

真舘「私たちもライヴハウスに出はじめたときは、高校の先輩たちがヴィジュアル系だったのもあって、そのなかに私たちだけがいる感じだったんです。そのときもPAさんとかが男の歳上の人で、結構強めに来られたりとかして。舐められないように、しっかりしなきゃという気持ちはすごくありました」

(引用:The Wisely Brothers × 福岡晃子(チャットモンチー済)対談 〈女たち〉が切り拓いてきた道、これからの航海)

ここ1、2年くらい、テレビを観ている人たちが思っているSHISHAMOと実際の自分たちとの間でズレが出てきて、しんどいと思うことがあったんですよ。極端に言うと、楽器を弾いていないんだろうとか、自分たちで曲を作っていないんだろうとか。そんなことを思われるなんて、思ってもみなかったんですが、女の子が3人並んでバンドをやっていると、そう思う人もいるんだなって、逆に驚いたり。

(引用:SHISHAMO史上最も自然で最も自由な最新作『SHISHAMO 6』を宮崎朝子が語る

 

上記はThe Wisely Brothersと元チャットモンチー福岡晃子の対談記事と、SHISHAMO宮崎朝子のインタビュー記事の引用だ。

 

「女性がバンドをやっている」ということには、今でも偏見が多い業界であることがわかる。バンドシーンは「女性の生きづらさ」を痛いほどに感じるような時代遅れな状態に見える。

 

そういえば自分も無意識に女性バンドマンを偏見の目で観ていたかもしれない。

 

「女性なのに力強い音を出すなあ」「女性だけなのにカッコいい」と思ってしまったことが何度もある。それは自分の中にある差別意識だ。「女性なのに」と思ってしまった時点で、無意識に悪意なく差別していた。

 

「ガールズバンドという言葉に違和感を覚える」と言いつつも、自分は純粋に音楽を評価していなかった。

 

むしろ「ガールズバンド」という言葉に、必要以上に囚われていたのかもしれない。

 

 2021年4月15日放送の『THE TRAD』というラジオ番組に、リーガルリリーがゲスト出演していた。女性3人組のロックバンドだ。

 

東京

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彼女たちは自らを「東京都出身ガールズスリーピースバンド」と名乗っている。

 

その理由について「プロフィールはわかりやすい方が良いと思って。人間がやってますよってことを表したくて。逆に女性とか男性とか拘ってないし関係ないと思っているから”ガールズですけど何か?”て感じです」と番組内で語っていた。

 

目から鱗だった。その通りだ。自分の考えが浅はかだった。

 

名乗ることに問題はないし、本人にとって当たり前のプロフィールを名乗っているだけだ。むしろ必要以上に言葉の持つ意味に囚われている人間の方が、差別意識を持っているのかもしれない。

 

ジェンダーのことを深く考えていると思い込んだ人の方が、ジェンダーの意味や価値に囚われていて、実際はジェンダーの区別にこだわって不自由になっているかもしれない。

 

秋元才加は例のツイートで「ゲイの先生」「女性の先生」とジェンダーで分ける必要がない職業に対して、ジェンダーで区別をしていた。

 

それを差別だと感じる人もかもしれない。彼女自身が悪意もなく無意識に発言したことだとしても。

 

ジェンダーの問題は複雑で人それぞれ考えや想いが違う。時代によって価値観も変わる。10年前の常識と今の常識は違うし、今の常識は10年後には非常識になっているかもしれない。

 

全てをわかり合うことは難しいということをわかり合って、それぞれが深く考えることが必要で、それぞれが認め合うことが必要なのだ。

 

秋元才加が「女優」という言葉を使いたくないという意思も、リーガルリリーが「ガールズバンド」という言葉を使うことへの想いも、たとえ自分の考えと真逆だとしても、それぞれを尊重して支持したい。

 

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