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銀杏BOYZは本当に終わってしまったのか?新曲『エンジェルベイビー』を聴いての感想と歌詞考察

銀杏BOYZとの出会い

 

自分のパンクロックとの出会いは銀杏BOYZだった。

深夜のラジオで曲が流れた時に偶然聴いたことが出会い。

 

『あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す』という曲。

 

あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す

あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す

  • 銀杏BOYZ
  • ロック
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

 

曲が流れた瞬間、衝撃を受けた。

今まで自分が聴いてきた音楽と明らかに音が違った。

 

音が無駄にでかい。

音も汚い。

歌が下手くそ。

演奏もめちゃくちゃ。 

 

なんだこれと思っているうちに曲が終わった。

荒々しくて汚い音だと思ったけど、メロディと歌詞が耳から離れなかった。

 

“君のパパを殺したい 僕が君を守るから”

 

聴いていて耳が痛くなったけど、自分が今まで聴いたことなかった荒々しい音が気になって、他の曲も聴きたくなった。

不快なぐらいに耳に突き刺さるおとだったけど、聴いたときの衝撃が、メロディが、歌詞が、すべてが耳から離れなかった。

自分の中で音楽に対する価値観が一気に変わった。

自分の中の世界が変わった。

 

次の日、学校帰りにCDショップに行って銀杏BOYZのCDを買った。

『僕たちの第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』というアルバム。

それ以来、10年以上何度も聴く自分にとって大切なアルバムになった。

 

銀杏BOYZへの不安

 

銀杏BOYZは2009年以降、ライブ活動はほとんど行われなくなった。

リリースすると言っていたアルバムのリリース日も決まらないし、リリースすると

言っていたドキュメントDVDも発売する様子はなかった。

年に1~2回ほどシングル曲をリリースする程度。

 

レコーディングなどの活動はしていたのかもしれない。

しかし、外部から見たら実質活動休止にしか見えなかった。

 

銀杏BOYZについて何の音沙汰もなく日々は過ぎていったが、2013年11月に銀杏BOYZの活動についてのある発表がされた。

メンバーの安孫子真哉とチン中村の脱退である。

それを追うように12月には村井守も脱退した。

 

銀杏BOYZは峯田和伸のソロプロジェクトになってしまった。

バンドではなくなってしまった。

 

2007年に発売されたクイックジャパンではメンバーが「銀杏BOYZは峯田のワンマンバンドだけど峯田が鳴らしたい音は自分たちでしか表現できない」と語っていた。

そのことに共感し4人の銀杏BOYZが好きだった自分にとっては、峯田だけの銀杏BOYZは全く違う音楽としか思えなかった。

 

 

2014年には待望のアルバムも発売された。

決して悪いアルバムだとは思わないが、その音楽は自分が期待していた銀杏BOYZではなかった。

 

久々に銀杏BOYZを観た

 

しばらく銀杏BOYZの活動を追っていなかった自分。

しかし、今年に入ってから銀杏BOYZのライブを観る機会があった。

 POLYSICSと銀杏BOYZの対バンライブ。

銀杏BOYZは弾き語りの出演だった。

 

久々に観る峯田は少し変わった気もするけど、歌いだしたらやはり昔と変わらない歌声とオーラがあった。

自分が数えきれないほど聴いていた2枚のデビューアルバムの曲はやはり感動した。

懐かしさで感動したのかもしれないけど、自分が初めて銀杏BOYZを聴いたときと同じ気持ちで聴くことができた。

 

新曲のエンジェルベイビーと骨も演奏した。

この2曲も良い曲だと思った。

しかし、新曲はかつての銀杏BOYZとは違う雰囲気もあり違和感も感じた。

その違和感はマイナスの意味かと言うとそうではないような気もする。

それと同時に、新曲への違和感が今の銀杏BOYZについて感じている違和感の理由の一つかもしれないとも感じた。

 

エンジェルベイビーがシングル曲として発売された

 

エンジェルベイビーはシングル曲としてリリースされた。

キャッチーなメロディで音も昔の銀杏BOYZを感じさせるような録音と編曲。

活動再開後の銀杏BOYZにとってのキラーチューンになるような曲だと思う。

このような激しくも叙情的で切ない曲は銀杏BOYZの得意としている部分でもある。

 

 

銀杏BOYZの得意としている系統の曲だが、CD音源を聴いてもライブで聴いたときと同じような違和感を感じた。

矛盾しているようだが、まぎれもなく銀杏BOYZとも感じるけども、銀杏BOYZでもないように感じる違和感。

 

自分以外のファンでもこの曲や現在の銀杏BOYZに対して違和感を感じているファンは少なくないようだ。

違和感を感じつつもそれを受け入れているファンと、違和感を感じて「銀杏BOYZは終わってしまった過去のバンド」と感じているファンがいる。

もちろん、エンジェルベイビーは最高の曲だし銀杏BOYZは変わらずに最高だと思っているファンだっている。

 

自分はどちら側のファンだろうか?

違和感を受け入れているファンなのか、違和感で銀杏は終わったと思うファンなのか。

少なくとも手放しで今の銀杏BOYZが最高だとは言えないファンだから上記のどちらかに当てはまるファンだ。

考えてみたが、自分はどちらのファンの気持ちもわかるのだ。

 

矛盾しているが、銀杏BOYZは終わっているとも言えるし、終わっていないともいえるのではと感じる。

その理由について書いていきたい。

 

ストレートな歌詞に対する違和感

 

エンジェルベイビーの歌詞はストレートでわかりやすい歌詞だ。

内容的には↑THE HIGH-LOWS↓の14才や神聖かまってちゃんのロックンロールは鳴り止まないのようなロックとの出会いを歌った歌詞だ。

 

銀杏BOYZ エンジェルベイビー 歌詞

 

“どうして僕 いつもひとりぼっちなんだろ”というフレーズから始まる歌詞。

その歌詞の世界観は紛れもなく銀杏BOYZの世界観ではある。

しかし、歌詞のフレーズにかつての銀杏BOYZのような表現はない。

 

銀杏BOYZはストレートな表現も多かった。

しかし、銀杏BOYZのストレートな表現はストレートすぎるほどストレートなことが多かった。

 

例えばSKOOL KILLの歌詞。

この歌はストーカーじゃないと言いつつもヒロインへの気持ちが大きすぎてストーカーチックな行動をしている主人公の歌だ。

この歌詞も主人公のヒロインへの気持ちの表現はびっくりするほどストレートに表現されている。

そして主人公の行動もストレートに表現されすぎていて、リスナーによってはドン引きして銀杏BOYZに嫌悪感を抱く程の内容だ。

 

それに対してエンジェルベイビーの歌詞に嫌悪感を抱く人はいないだろう。

不特定多数の人が共感して聴けるような歌詞だ。

峯田和伸も歳を重ねて丸くなったとは思う。

様々な表現のある曲はうさ作れるようになったとは思うが、昔のような曲は書けないし書かないのだろうとは思う。

しかし、エンジェルベイビーに関しては昔の銀杏BOYZの曲の世界観に寄せようとしているように感じる。

正直、無理をして書いてるのではと思ってしまう部分がある。

その結果としてかつての銀杏BOYZのように尖った部分のない普通に良い曲になっている。

 

歌詞の比喩表現に関する違和感

 

銀杏BOYZはかつてもBABY BABYや銀河鉄道の夜のように、ロックやパンクに興味のない人にも受け入れられるような曲はあった。

エンジェルベイビーもそういった部分を持っている曲に感じる。

 

しかし、BABY BABYや銀河鉄道の夜とエンジェルベイビーとでは明らかに違う部分がある。

それは歌詞の比喩の表現だ。

 

“街はイルミネーション 君はイリュージョン 天使のような微笑み” 

“甘いシュークリーム 君はシュープリーム 月面のブランコは揺れる”

(BABY BABYより引用)

 

日々ひび割れ柿の実 夕焼けて夜は来た

空 水色 オーロラ 蜂蜜に濡れた月

(銀河鉄道の夜より引用)

 

歌詞の一部分だが、どちらも峯田和伸にしか書けないような独特の言い回しの比喩表現だ。

それが個性にもなっていたし、印象的に感じる部分でもあった。

 

エンジェルベイビーにはこのような表現はない。

歌詞の全編を読むと「良いこと言ってるな」とは思うが、かつての歌詞のように引っかかる表現や個性的な表現は皆無だ。

 

漂流教室からの歌詞を引用した理由

 

 ここまで否定的なことを書いてきた。

実際に今の銀杏BOYZの活動に幻滅しているかつてのファンは少なくはない。

しかし、自分はやはり銀杏BOYZ はまだ終わっていないとも思う。

 

エンジェルベイビーでは1stアルバムに収録された『漂流教室』という曲から歌詞を引用している。

 

漂流教室

漂流教室

  • 銀杏BOYZ
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  • provided courtesy of iTunes

 

君と僕は一生の友達なのさ

 

上記のフレーズは漂流教室のサビで歌われているフレーズの1つだ。

エンジェルベイビーではBメロの歌詞で歌われている。

歌詞全体の内容としては漂流教室とエンジェルベイビーに共通点は少ないように感じる。

ではなぜエンジェルベイビーは漂流教室から歌詞を引用したのだろうか。

 

漂流教室のサビではこのように歌われている。

 

このまま僕等は大人になれないまま

しがみついて忘れないんだ

 

このサビの歌詞があるからこそ引用したのではと思う。

銀杏BOYZは結成されて10年を超えるバンドだ。

リリースやライブを殆どしていない期間があったとしてもフォロワーもたくさんいるし、なんだかんだ峯田はカリスマだ。

 

メンバーも減ってしまい、音楽性も変化している。

昔ほど尖ってなく丸くなったなと思うときもある。

しかし、それでも銀杏BOYZは、峯田和伸は尖っていたいとは思っているのではないだろうか。

今でも銀杏BOYZは”大人になれないまましがみついて忘れない”でいるのではないだろうか。

 

だからこそロックとの出会いについて歌ったエンジェルベイビーを今このタイミングで作ってリリースしたのかもしれない。

この気持ちを峯田が持っている限り、銀杏BOYZは終わっていないと自分は感じる。

 

ロックンロールは世界を変えたの?

 

銀杏BOYZがまだ終わっていないと感じる理由はもう1つある。

 

ロックンロールは世界を変えて

涙を抱きしめて

ロックンロールは世界を変えて

エンジェルベイビー

ここではないどこかへ

 

上記はエンジェルベイビーのサビの歌詞だ。

銀杏BOYZが”世界を変えて”と歌うことに驚いたファンも多いかもしれない。

 

銀杏BOYZは「僕たちは世界を変えることはできない」というタイトルのドキュメントDVDを2007年にリリースした。

そこには必死でもがいてバンド活動を行ってバンドを楽しんでいるメンバーの姿が映っていた。

世の中という意味では世界を変えられなかったかもしれないが、銀杏BOYZファンひとりひとりの世界は変えてきたと思う。

それでも自分たちは世界を変えられないという結論を出してタイトルにしていた。

 

その後「僕たちは世界を変えることはできない」という曲も発表した。

そこでも銀杏BOYZは世界を変えることはできないと歌っていた。

歌詞の内容を考えると世界を変えたのは銀杏BOYZではなくロックンロールだ。

考え方がぶれているわけではない。

 

自分は今作で銀杏BOYZが「ロックンロールは世界を変えた」と歌ったことで銀杏BOYZは終わっていないと確信を持てた。

 

この歌はロックとの出会いを歌っている。

ロックを聴いて世界が変わったような感覚になったことを歌っている。

そのことを今の銀杏BOYZが歌う意味は音楽性は違えど、銀杏BOYZの音楽活動としての「原点回帰」の意味や決意もあるのではと感じた。

 

銀杏BOYZは終わったのではなく、新しい銀杏BOYZが始まったのかもしれない。

 

銀杏BOYZが終わったと思う気持ちもわかる

 

今の銀杏BOYZの活動や新曲は、10年前とは方向性も雰囲気も違うものになっている。

かつての銀杏BOYZに魅かれていた人たちが「銀杏BOYZや峯田は終わった」という気持ちもわからなくはない。

 

エンジェルベイビーも手放しで絶賛できるような曲ではないと個人的には思っている。

昔の銀杏BOYZの歌詞のような切れ味も独創的な表現もないし、音もメロディもあえてかつての銀杏BOYZに寄せているようで寄せ切れていない感じもある。

良い曲だとは思うけども。

 

しかしこれが”新しい銀杏BOYZの始まりの歌”だと考えると聴いていてわくわくしてくる。

まだ銀杏BOYZが何か凄いことをしてくれるんじゃないかという期待感も感じるし、まだまだ銀杏BOYZが気になる存在であることは変わらない。

むしろ活動再開直後よりもわくわくしている。

また銀杏BOYZの歌が自分の中の世界を変えてくれるような予感もする。

 

エンジェルベイビーを聴いたことで、銀杏BOYZの音楽や存在はこれからも自分にとって”一生の友達”で居続けるような音楽だと確信できた。

だから、これからはもっと活発にライブもリリースもお願いします!

僕は いつまでたってもドキドキしてたいんだ。