2023-08-05 若いバンドをディスる老害オッサンが多い コラム・エッセイ King Gnu SUPER BEAVER ハルカミライ 最初に説明しておきたいことがある。「若いバンドをディスる老害オッサンが多い」という、この記事のタイトルについてだ。 これは自分の言葉ではない。職場の同僚が話していた言葉である。 その同僚は現在40代半ば。20代の頃は音楽活動をしていた元バンドマンだ。そんな同僚と世間話をしていた時、自身を自虐するかのように「若いバンドをディスる老害オッサンが多い」と話していたのだ。 同僚はインディーズだったものの、200人規模のライブハウスを埋めれるほどの人気があるバンドのメンバーだったらしい。売れる前の175RやSHAKALABBITSと対バンしたことがあると自慢していた。複数のメジャーレーベルから声がかかったこともあるという。だが、その誘いは全て断ったそうだ。 当時はモンゴル800がインディーズで大ヒットを飛ばして、多くのインディーズバンドが飛躍していた。ハイスタの影響力もまだ強かったそうだ。「ロックバンドはインディーズである方がカッコよくて、メジャーデビューする方がダサい」という価値観を持つバンドマンが多く、メジャーデビューしたバンドは「売れ線に走った」「魂を売った」と馬鹿にされることも少なくはなかったらしい。 同僚もそのような価値観を持っていたし、一緒に活動していたバンドのメンバーも同じ考えだったという。他のバンドや音楽関係者と親密に交流することもダサいと思っていたから、他の人気バンドや人脈が広そうな関係者とも、同僚はほとんど話さないようにしていたらしい。 同僚は「沖縄出身のミュージシャンとインディーズのロックバンドは青田買いされていて、簡単にメジャーから声がかかったんだよ。俺たちもたまたま声をかけられただけかもしれない。でもあの時、メジャーデビューしとけば良かったかもなあ」と笑って話していた。でも、少しだけ寂しそうにも見えた。 175Rはメジャーデビュー曲がオリコン1位を獲得し、メディアに引っ張りだこの人気バンドとなった。SHAKALABBITSもアルバムを20万枚売って、全国ツアーを何十公演も行うほどの人気を集めている。「自分たちのバンドはそこまでの実力も才能も運もなかったから、同じようになれたとは思ってはいない。でも、バンドで成功している知り合いを見るのは、辛いものがあるよ」と、同僚は話していた。 年齢が20代後半になった時、同僚はバンドを脱退した。音楽で食べていく未来が見えなかったことと、恋人との間に子どもができたことが理由だ。 その後すぐに結婚と就職をして、今は妻と息子を養う立派なお父さんになった。感慨深そうに「メジャーデビューしてたら結婚してなかったし、子どももいなかったかもな。まあロックバンドはインディーズの方がカッコいいけど」と、同僚が話す姿が忘れられない。夢を諦めたからこそ、手に入れた幸せもあるのだろう。 そんな雑談をしていた時に、同僚は「音楽を本気でやって挫折した人は、若いバンドをディスる老害オッサンになるんだよ。そういう人が多いんだ。俺もそうだし」とも言っていたのだ。 たしかに音楽に詳しい元ミュージシャンや、人気が落ちて燻っているバンドマンが、若いミュージシャンをディスっているSNSの投稿を時折見かける。「最近の曲なんかもう、クソみたいな曲だらけさ!」という意見を素面で言ってしまう音楽オタクの老害オッサンと、自分は何度も会ったことがある。 逆に今でも人気の衰えがないベテランや、若者にもリスペクトされている大御所は、若い才能を素直に認める人が多い。時折若手の才能に言及したり対バンイベントにブッキングしたりと、フックアップもしている。もしかしたら自身の才能や実力だけでなく、音楽と素直に向き合えるかどうかも、成功する上で大切なのかもしれない。 そういえば本気でスポーツをやって挫折した人は、若いスポーツ選手を嫌うことが少ない気がする。例えば元甲子園球児の中高年が若い選手を応援したり、プロになれなかったサッカー経験者がワールドカップに熱狂したり、などなど。 むしろスポーツを本気でやった人は、若い才能に嫉妬することなく、純粋に認めて応援する人が多いのではないだろうか。知識や経験がある分だけ、より深くスポーツ観戦を楽しめているように見える。 それはスポーツの場合は勝ち負けが明確ではっきりとしているからかもしれない。技術があれば結果を出せる可能性は高いし、結果を出せば認められる。評価のシステムが単純明快で、プロになれる条件も成功する理由もわかりやすい。逆に成功しないし認められない理由もわかりやすい。基本的には結果が全ての世界なのだ。 だから自身の実力や才能の限界を知ることがたやすいのだろうし、限界までやったのならば悔いも残りにくく、諦めもつきやすいのかもしれない。スポーツは若者が活躍するものということが、人体の仕組みとして理解されていることも大きいだろう。 対して音楽はどうだろう。芸術かつエンタメなので、明確な勝ち負けは存在しない。音楽の良し悪しは、個人の趣味嗜好によって変わる。技術については「上手い」「下手」があるが、歌が上手いからと売れる訳ではないし、楽器が上手いから評価されるとも限らない。「才能」や「センス」という曖昧で掴みどころがないものが最も評価されるし、売れるために1番必要なのは「運」や「タイミング」だ。 だから音楽を本気でやったものの挫折した人は、若い才能を簡単には認められないのかもしれない。「私の方が良い声で歌えるのに」「俺の方がギターが上手いのに」と思ってしまい。実際に人気バンドのメンバーよりも、技術があるアマチュアバンドマンは沢山いる。同業者に才能が認められていても、運が悪くて成功できなかったミュージシャンも少なくはない。 努力が報われるとは限らず、結果に結びつかないことの方が多いのがエンタメおよび芸術だ。それに評価を集めたとしても「お金」に繋がる活動をしなければ、どこかで活動スタイルや日々の生活を変えるタイミングや、活動を諦めるざるを得ないタイミングが来るだろう。 悔いを残したまま夢を諦めた人が、音楽をはじめとするエンタメや芸術の世界には多いのかもしれない。 だが同僚曰く「俺は若いヤツらに嫉妬してることがわかってるからマシな方だよ。気づいてない老害もたくさんいるし」とのことだ。それに最近は若いバンドも少しは聴くようになったという。 同僚はSUPER BEAVERやハルカミライがお気に入りらしい。King Gnuについては凄すぎると言っていた。それでも「なんか気に食わないんだよなあ。泥臭さが足りないというか。気取ってカッコつけてるというか」とも言っていたので、完全には認められないようだ。やはり若者への嫉妬心はあるのだろう。 なぜ同僚は最近になって、若いバンドを認めるようになったのだろう。その理由を聞いて納得した。 同僚が聴いている3組のバンドは、全て同僚の息子が好きなバンドなのだ。 息子は高校1年生。軽音楽部へ入部しバンドを結成したそうだ。担当はベース。父親と同じ楽器だ。部屋で好きなバンドの曲を流しながら、ベースの練習をしているという。「家にベースがあったから、何となくベースを弾き始めたんだろ」と同僚は笑っていたけれど、その表情は心做しか嬉しそうに見えた。父親が元ベーシストということは、息子も知っていたようだから。 「まだまだ初心者レベルだけど、筋はいいんだよなあ」と言って親バカな姿までも見せつけてくる。それでも「俺はKing Gnuを弾けるけど、あいつはまだKing Gnuを弾けない」と敵対心を燃やしていた。どうやら息子の前で自慢げに自身の演奏を見せつけているようだ。というかKing Gnuをコピーするほどなのだから、若いバンドの音楽にガッツリとハマっているではないか。 『閃光ライオット』という音楽イベントがある。10代のアマチュアミュージシャンが集まりグランプリを決める、音楽の甲子園みたいなイベントだ。同僚の息子のバンドも、音源を作ってエントリーしたという。 その結果、1次審査を通過した。だが2次審査は残念ながら通過できなかったらしい。バンドは結成して1年も経っていない。十分すぎるほどに凄い結果だと思う。同僚は「運がよかっただけだろ」と言っていたものの、少しだけ誇らしげに見えた。 8月7日に『閃光ライオット』の最終審査が行われる。審査で勝ち残った9組が実際に観客を入れたライブハウスで演奏をし、その内容で評価されグランプリが決定する。同僚は息子と息子のバンド仲間を連れて、最終審査を観に行くという。 同僚は「音楽に勝ち負けはある」と言っていた。 息子は『閃光ライオット』の最終審査を観にいくつもりはなかったらしい。だが同僚が半ば無理やりに連れて行こうとして、息子はしぶしぶ承諾したという。「自分に勝った相手を知ることは大切だ」ということで。 「俺は音楽で負けたことがあるから。175Rがメジャーデビューした時、目を逸らしたことを後悔している。何もかもが負けていた。負けたことを自覚するために、これから勝ちに行くために、自分が負けた相手から目を逸らしちゃいけないんだよ」と話す同僚が印象的だった。 自分は「音楽に勝ち負けはない」と思っている。スポーツとは違い明確な勝敗がなく、聴き手の好みによって、その人にとっての価値が決まるのだから。ただの聴き手は勝ち負けを決めることができる立場ではないし、勝手な判断で勝敗を決めるなんて失礼極まりない。 でもそれは、音楽を聴くも者の立場からの話。音楽をやる側にとっては、きっと明確な「勝ち負け」があるのだろう。客観的な勝ち負けではなく、本人にしかわからない主観的な勝ち負けが。 その「勝ち負け」は主観的なものだから、本人が負けたと思っても簡単には負けを認められないし、逆に他人に「勝っていたよ」と言われても慰めの嘘に感じるのかもしれない。だから悔いが残りやすいし、成功者に嫉妬してしまうのだろう。 同僚は息子に「音楽に勝ち負けがある」と言う事実を、しっかりと見せたいのかもしれない。音楽で負けた経験がある先輩バンドマンとして。 同僚のやっていたバンドの名前や、息子のやっているバンドの名前を聞いても、絶対に教えてくれない。「息子のバンドがメジャーデビューした時に教えるよ」と言って、笑いながらスルーしやがる。 「インディーズの方がカッコいい」とか言っていたのに、やはりメジャーへの憧れや未練があるんじゃないのか。自分の想いを息子の活動に重ねて、エモーショナルになっているのではないか。同僚がバンド活動をしていた時は周囲に流されて、自分の意思とは違う結果となってしまったのだろうか。だから悔いが残っているのだろうか。 ちなみに息子は「バンドで食っていくから大学には行かない」と言っているらしい。親の立場としては複雑かもしれない。音楽で食べていける成功者は、音楽で勝った一握りの人だけなのだから。でも同僚は「俺の立場からじゃ反対できねえよ」と苦笑いしていた。 息子が『閃光ライオット』の最終審査に行こうとしなかったのは、最終結果を知ることで、自身が負けた事実を目にすることが嫌だったのかもしれない。ただのリスナーとしては音楽をやる者の気持ちを完全には理解できないが、それでも彼にとって最終審査を見ることが大切なことな気はしている。 はたして自分が同僚のやっていたバンドの名前を知る日と、同僚の息子のバンドの曲を聴ける日がやってくるのだろうか。息子さんのバンド、早くメジャーデビューできるといいな。