オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

あいみょんをSNSのクソみたいな悪ノリに利用するな

かつてフジテレビで放送されていた『ウケメン』というコント番組が好きだった。その中でも3時のヒロインの福田麻貴が演じる「まいみょん」というネタが印象に残っている。

 

「あいみょんに憧れた女」が主人公のものまねコントで、あいみょんを意識したであろうファッションの女の子がギターを弾きながら歌うコントだ。

 

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 3時のヒロイン 福田麻貴 (@fukuda_maki_3ji)


 

まいみょんにはオリジナル曲がある。『ツブヤキノヒ』という曲だ。あいみょんの『ハルノヒ』という曲を意識してつけられたタイトルなのだろう。曲調も特徴を上手く捉えていて「あいみょんの新曲?」と勘違いする人がいてもおかしくないクオリティだった。

 

しかし歌詞にまではあいみょんの個性を反映させられなかったのだろう。サビの文面だけを読むと、独特な表現であるあるネタを言っているだけにも見える。むしろ歌詞だけは全く違う方向性になっていたからこそ、コントとして面白さが生まれたのかもしれない。

 

色々な機械は1〜2時間で充電が済むのに

なぜニンゲンだけは7時間も充電しなければならないの

コーヒーは私にとってのおまじない

何か代わりの休憩所のような飲み物が見つかれば私は

それにすがるのだと思います

まいみょん / ツブヤキノヒ

 

ただこれは「コント」「モノマネ」「お笑い」という前提条件が観る者の中で、共有と理解がされているからこそ成立するものだ。その前提条件がない状態で同じようなことをすると、受け取られ方も変わってしまう。

 

数年前から「あいみょんの○○○○って歌詞が好き」という構文に、実際には存在しない歌詞を作り当てはめてツイートすることが流行っている。中には数万リツイートされるほどのバズを巻き起こしたものもある。まいみょんの歌詞だけを読むと、偽物の歌詞という部分では近いものがあるかもしれない。

 

 

数年前から流行り始めていたが、ここ数ヶ月でその数は莫大に増えていたように思う。本物のあいみょんの歌詞だと勘違いする人もいるようだし、それについて嫌悪感を抱いているあいみょんファンも多いようだ。

 

 

そして先日、あいみょん本人がこの件について言及した。かなり優しい言葉を使っているが、内心は腸が煮えくり返っているのかもしれない。自分には本気で怒って悲しんでいるように見えた。

 

あいみょんの音楽が好きだからこそ楽しんで「あいみょん構文」を投稿していた人もいるかもしれないし、ネットで生まれた一般人のミームに対し本人自ら止めさせることの賛否も考えたのかもしれない。

 

複雑な想いを感じつつも、今まではスルーしてきたのだろう。しかしここ最近は限度を超えるネタが増えてきた。下ネタや政治ネタ、投稿主の偏見や他人への悪口を、あいみょんの名前を使って投稿する人も増えてきた。

 

 

あいみょんの名前を使うことで、自身の責任をあいみょんに転換しようとしている。下品な発言をして他者から指摘された時に「ただの冗談」として逃げる道を残そうとするような、ゲスさやズルさも感じる。

 

これはあいみょんに対する風評被害や誹謗中傷だ。中学生の陰湿ないじめと同じだ。悪口も下ネタも政治的発言も、自分の名前で発言し語るべきである。関係ない他人を巻き込むな。

 

優しい表現を使っているので「あいみょんが気づいたw」「面白いならあいみょんも公認するのかw」「限度を超えない程度なら今まで通りツイートしていいのか」と受け取る人もいるようだ。あいみょんの優しさに漬け込んで、さらに死ぬほどつまらないツイートを重ねるアカウントもいる。

 

 

世の中には人の気持ちを察することができない人もいるし、言葉の意味や意図を汲み取れない人もいるのだ。だからはっきり言わなければ伝わらないと思う。なんならはっきり言っても伝わらない人すらいるのだから。

 

 

ファンを中傷をする人まで現れた。

 

大事に囲っているわけではなく、あいみょんの気持ちにファンは寄り添っているのだ。そもそも大事に囲うことに悪い部分など一切ない。彼女が悪いことをしたわけでもないのだから、大事に囲うことは良いことではないか。

 

こういう態度をとる人を、自分は心の底から軽蔑する。斜めに構えているやつが一番ダサいしつまらない。

 

 

 

 

「面白いならば認めている」と思った人もいるだろうが、それも違うのではないだろうか。あいみょんはどのツイートが面白いかについては言及していない。

 

「あいみょん構文」を投稿したアカウントの一部に、本人自らリプライを送っていたが「面白かった」とも「許す」とも言っていない。「面白いのもあるけど」という言葉は、ファンの中で楽しんで構文を作っていた人もいることを察しての配慮だろう。

 

これは「面白いツイートをしている自信がお前はあるのか?本人を面白がらせることができるのか?私より良い歌詞を書けるのか?」と遠回しに言っているのだと思う。決して「やるなら面白くやってくれ」というお願いではない。

 

あいみょんは言葉を大切にしていうシンガーソングライターだ。それでいて紡ぐ言葉は個性的で、耳から離れない歌詞も多い。だから最初は彼女の個性的な部分を真似てネタにすれば、印象に残りやすくバズるので流行ったのだと思う。自分のツイートがバズれば承認欲求が満たされて気持ちいいのだろう。その気持ちはわかる。

 

しかし本人の言葉だと勘違いさせる方法で偽物の歌詞を投稿することは、表現への冒涜だ。アーティストに対しても最も侵してはならないデリケートな部分に、土足で入り込み荒らすようなものだ。

 

アーティストではない人も、自分のものではない偽物の発言を、勝手に他人に自分のものとして発表されることは耐えられないだろう。それによって自分の印象が悪いものになったり勘違いされてしまうことを、どれだけの人が許せるのだろうか。

 

ちなみに福田麻貴のコントをあいみょんは受け入れている。それは「あいみょんに憧れた女」という設定のコントでモノマネであり、それが視聴者に伝わる形で見せていたからだろう。そして根底にあるリスペクトを感じたからだろう。

 

よく本人に認められて共演するものまねタレントがいるが、それも同様に「偽物である」ということが観るものに伝わっていて、本人に対するリスペクトの気持ちもきちんと表現できているからだろう。本人から否定されるものまねは、それが足りない場合がほとんどだ。

 

根底にリスペクトがあり、それが本人に伝わるのならば、愛情表現として成立するし誰もも不幸にならない。

 

 

 

 

SNSで流行った「あいみょん構文」の中にも、本人へのリスペクトの気持ちが込められたものはあったかもしれない。しかし「偽物」と誰もがわかる表現のものを、自分は見かけたことがない。

 

それにリスペクトが一切ないバカにしているだけのものも多い。むしろバカにしているツイートがほとんどではないだろうか。個人的にはそんな奴らに気を遣う必要はないと思うから、あいみょんはSNSの悪ノリにもっとブチギレて良いと思う。

 

でも、そこでブチギレずに優しさを見せる部分も、あいみょんの魅力なのかもしれない。彼女の歌詞は過激な表現や尖った表現は多いが、根底には優しさと愛があるのだから。

 

 

最後に自分が好きなあいみょんの歌詞を書いておこうと思う。このフレーズを初めて聴いた時は、心の底から痺れた。

 

あいみょんの「どうせ死ぬなら二度寝で死にたいわ」って歌詞好き。

 

偽物のネタツイートよりも、ずっと心に刺さる歌詞を書いている。偽物の歌詞よりも本物の歌を聴いてほしい。

 

あいみょんの音楽はネタにして楽しむのではない。ネットのつまらない流行りとして消費するべきものでもない。音楽を聴いて楽しみ感動し、込められた想いや魂を感じ取るべきものだ。