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【レビュー】あいみょん『裸の心』に懐かしさと新しさが共存する理由は歌詞とメロディに秘密がある

不思議な感覚

 

聴いているとメロディもサウンドも古い気がしてくる。70年代フォークソングのような懐かしさ。しかし聴いているうちに新しさも感じる。なんだこれは。変な感覚だ。懐かしさと新しさが共存している。

 

それが聴いていて癖になる。約5分の曲。サブスク全盛期のポップスとしては少し長めの曲。それなのに最初から最後まで耳が持っていかれて集中して聴いてしまうのだ。

 

テレビドラマ『私の家政夫ナギサさん』主題歌であるあいみょんの新曲『裸の心』を聴いているとそんな気持ちになる。

 

 

 

この曲は懐かしさと新しさをハイブリッドさせている。あいみょんとしても新しい挑戦をしている。

 

だから『裸の心』を聴くと不思議な魅力を感じ、惹きつけられてしまうのだ。

 

過去のあいみょんになかった編曲

 

あいみょんはギターの音が印象的な楽曲が多い。元々はギターの弾き語りをしていたアーティストだし、ヒット曲はどれもギターが目立つ曲ばかりだ。

 

ところが『裸の心』はピアノソロから曲が始まる。

 

ピアノソロから始まる曲は過去にもあった。最近の曲なら『空の青さを知る人よ』はピアノから始まる。初期の作品なら『分かってくれよ』がピアノから曲が始まっていた。

 

 

しかし『裸の心』はそのままAメロもピアノだけをバックにあいみょんが歌う。このような曲は初めてだ。音数もメジャーデビュー後の作品内では少ない方だ。Bメロではアコースティックギターやドラム、ベースの音が入って少しづつ盛り上げていく。サビでアコーディオンのようなキーボードの音が重なる。

 

アコースティックなサウンドで少しづつ慎重に音を重ねていくのだ。 そして2番では1番と違う編曲になっていたり、メロディも1番と2番とでAメロが一部違ったりと工夫されている。そのため演奏時間5分のバラードだが中弛みすることなく最後まで聴ける。

 

それはあいみょんとしては新しい挑戦ともいえる今までにない編曲だ。

 

編曲はトオミヨウ。『夢追いベンガル』や『ひかりもの』などであいみょんの作品に参加したことがある音楽プロデューサーだ。つまり新しいことを突拍子に行なったわけではなく、今までの関わりがあり信頼関係があるからこそ新しいことに挑戦できたとのだと思う。

 

 

懐かしさを感じる理由

 

『裸の心』が70年代のフォークソングを感じるメロディだ。演奏はアコースティックをベースにしている。その演奏もフォーキーでメロディの魅力を引き立てている。

 

あいみょんの歌は休符が多い。フレーズごとに区切るように歌メロに休符がある。歌詞をメロディを詰め込まないのだ。それはあいみょんの曲の特徴でもあるが。それは60年代から70年代の日本のフォークソングに多いメロディでもある。

 

いったいこのまま/いつまで

一人で/いる/つもりだろう

だんだん自分を/憎んだり

誰かを/羨んだり

(あいみょん / 裸の心)

 

言葉ごとに区切るので話しかけられているような聞こえ方になる。そのため歌詞が頭に残りやすい。赤い鳥『翼をください』などを聴くとわかりやすいと思う。この区切り方に近い。

 

翼をください (アルバム・バージョン)

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また母音を強調して歌っていることも『裸の心』の特徴だ。

 

いったいこのまま/いつまで

ひと/いる/つもり

だんだん自分を/にくんだり

だれ/うらやんだり

(あいみょん / 裸の心)

 

 スローテンポの楽曲で母音の音を強調して歌うと、和を感じるメロディになる。

 

英語は母音よりも子音が強調した発音がされる。洋楽の歌も同じだ。逆に日本語は子音と母音が組み合わさっているため、日本のポップスは母音が強調されることが多い。

 

そのため歌でも母音が強調されると和を感じるメロディになりやすい。日本語に近い発音になるからだ。そのようなメロディは日本の歌謡曲やフォークソングに多かった。そのためあいみょんのメロディからは懐かしさを感じる。

 

また『裸の心』の2番Aメロは歌詞が字余りで無理やりメロディにねじ込んでいる。これは『葵』のAメロでもあったが、これも懐かしさやフォーキーな匂いを感じる理由だ。

 

 

このメロディの作り方は吉田拓郎が始めたと言われている。桑田佳祐の登場以降は日本語を英語的な発音にして字余りの歌詞をメロディに綺麗に当てはめる方法が増えてきた。そのため吉田拓郎的な歌詞の当てはめ方をするアーティストは少なくなっている。

 

全部だきしめて

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『裸の心』は吉田拓郎的に歌詞をメロディに当てはめている。それは過去のあいみょんの楽曲からも感じていたが、今作は特に顕著だ。

 

しかし古臭さは感じない。曲全体としては新しさも感じる。それはJ-POPの要素も加えているからだ。

 

 

新しさを感じる理由

 

いつかいつかと

言い聞かせながら

今日まで沢山愛してきた

そして今も

(あいみょん / 裸の心)

 

Bメロの〈そして今も〉というフレーズでは音階が上がっていく。それによってサビに向けて盛り上げていく。このような展開は90年代以降のJ-POP的だ。

 

70年代のフォークソングはBメロがなくAメロからサビにいくことが多い。Bメロがあってもあっさりしている。しかし『裸の心』はBメロも長く、サビに向けてしっかりと盛り上げるように作られているのだ。

 

サビの最後も歌い上げるようにキーが高くなっている。ストリングスの音もJ-POPによくある音色だ。あいみょんは懐かしさを感じるメロディでJ-POP的な構成の曲を作っている。

 

編曲のトオミヨウはアコースティックな演奏を軸に現代のJ-POP的に進化させた。全体的に定番のJ-POP的な編曲にも思うが、2番のサビが終わった後のリズムの変化は新しいJ-POPの形に思う。

 

過去の音楽の良い部分と取り入れているが、それだけでは面白いがない。だから今の音楽の魅力を付け加える。それによって新しさが生まれる。あいみょんが歌うことで唯一無二の個性も加わる。

 

だから『裸の心』には懐かしさと新しさが共存しているのだ。だからあいみょんの音楽は幅広い世代に愛されているのかもしれない。

 

そしてあいみょんファンに『裸の心』が愛される理由はもう一つある。

 

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『裸の心』を配信リリースする直前には全裸になるファンが複数いた。

 

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ネットで配信番組をやる時にも全裸になるファンがいた。

 

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以前『さよならの今日に』を配信する直前にも全裸になるファンが続出している。テレビで流れることを心待ちにして全裸になったファンもいた。「全裸待機で待ってるみょん❤️」は一歩間違えればセクハラだ。

 

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Mステ出演時も全裸になるファンが続出した。出演一週間前から全裸待機しているファンもいた。

 

あいみょんファンは裸になりがちなのだ。「裸」という言葉も好きなはずだ。

 

つまり『裸の心』は全裸になりがちなコアなあいみょんファンほど響く曲ということだ。裸になりがちなあいみょんファンの心理について歌っているのかもしれないみょん。

 

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