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マカロニえんぴつの新曲『恋人ごっこ』からOasisに似た雰囲気を感じる(歌詞・レビュー・感想・評価)

どこかで聴いたことある気がする

 

マカロニえんぴつの新曲『恋人ごっこ』を聴いた。良い曲だと思った。

 

バンドの個性も感じる。聴けばマカロニえんぴつの曲だとわかる。実力も個性もある。若手バンドの中で最も注目されていることも納得だ。

 

 

 

『恋人ごっこ』のMVではボーカルのはっとりが女優とイチャついてチューをヤりまくっている。キャリアが必要な大人の恋をしている。はっとりは世界を独り占めしているのだ。

 

曲もMVも良いのだが、なぜか懐かしさを感じる。新曲のはずなのに、どこかで聴いたことがある気がする。

 

ストリングスの奏でるメロディ。エレキギターの音色。何かと似ている気がする。

 

何度か聴いて気づいた。

 

これはOasisだ。

 

Oasis『Whatever』

 

 

『恋人ごっこ』のサウンドがOasis『Whatever』に似ているのだ。おそらく意識してサウンドを取り入れたオマージュだと思う。

 

Oasis自体が日本でも人気のバンドではあるが、その中でも『Whatever』は特に日本人に人気な楽曲だ。

 

『Whatever』は1stアルバム『Definitely Maybe』と2ndアルバム『(What's the Story) Morning Glory?』の間に発売されたシングル曲。人気が上昇している時に発表された楽曲だ。

 

全米位1位を記録したデビューアルバムはギターが印象的なバンドサウンドだった。それに対して『Whatever』はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を招きストリングスが印象的なナンバーになっている。1stアルバムからの変化が刺激的で新鮮に感じる。

 

テレビCMで何度も使われた。そのため日本では最も有名なOasisの楽曲かもしれない。

 

Whatever』を使用したCM一覧

ソニー・VAIO(2002年)、トヨタ・マークXジオ(2007年)、アサヒ・オフ(2009年 - 2015年)、ファミリーマート30周年記念(2011年)、大和証券グループ(2017年)

 

オリジナルアルバムに収録された曲ではないく、本国での人気は日本ほどではないらしい。

 

そのため作詞作曲したノエル・ギャラガーは日本で『Whatever』が人気であることに疑問を感じていたらしいが、日本人の琴線に最も響くサウンドだったのかもしれない。

 

 

『Whatever』のオマージュ

 

J-POPではストリングスを問い入れたサウンドが多い。そのためか海外の人気バンドがストリングスをフィーチャーした楽曲を発表しヒットさせたことは刺激的だったのかもしれない。

 

そのためか『Whatever』は日本人アーティストがオマージュとして楽曲に取り入れることが多い。特にストリングスの音色やリフから影響受けた楽曲が多いように思う。

 

 

GLAYの『HOWEVER』からも『Whatever』の影響を感じる。

 

フレーズやメロディを引用しているわけではないが、ストリングスの音色やエレキギターとストリングスの重なり方に近い部分を感じる。 しかしGLAYの音楽として昇華し唯一無二の名曲に仕上げている。

 

 

くるりは『Remember me』でリフを引用しオマージュしている。あえて『Whatever』から引用したことがわかるように楽曲を組み立てているように感じる。オマージュをおり入れた曲にくるりのメロディと歌詞が乗ることで、くるりとして個性を感じる楽曲になっている。

  

──ラストナンバー「春の嵐」は、これもはっとりさんのルーツであるOasisの「Whatever」のオマージュですね。なぜこういった楽曲を作ろうと思ったんですか。

 

はっとり 最初からこういう曲を作ろうと思っていたわけじゃないんですよ。この曲はけっこう前に弾き語りで歌詞も含めて1コーラスできていて。そのデモを自分でも気に入ってたし、スタッフの反応もよかったので、大事に大事にしていました。で、レコーディングが近付いてアレンジをしていく中で、なんの気なしにDAWソフトでOasisの「Whatever」みたいな質感でストリングスを入れてみたら、全然違和感がなくて。

 

──へえ。

 

はっとり そもそも乾いた音がマカロニえんぴつの特徴の1つだと思うから、これまで曲にストリングスを入れたことはなかったんですよ。でも今回入れてみたらすごく好きな質感になって、新しい発見でした。で、そこからアレンジを加えて「Whatever」らしさを足していって。すごくわかりやすくしましたけど、これは愛のオマージュであると僕は言い張りたいです(笑)。オマージュするなら中途半端にしたくないし、徹底的にやりたかった。実際のレコーディングでは、大学が一緒の長谷川の知り合いにストリングスを弾いてもらったんですよ。

(引用:マカロニえんぴつ「CHOSYOKU」特集|メンバー4人インタビュー&sumika片岡、ビーバー柳沢ら関係者からの賞賛コメント (3/4) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

 

実は過去にもマカロニえんぴつは『春の嵐』という曲で『Whatever』をオマージュしていた。

 

春の嵐

春の嵐

  • マカロニえんぴつ
  • ロック
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 

 ボーカルのはっとりはOasisを自身のルーツの一つと発言したこともある。Oasisへの愛があるゆえのオマージュのようだ。

 

しかし同じ曲をオマージュして2曲作ることは珍しい。なぜ『恋人ごっこ』でも『Whatever』をオマージュしたのだろうか。

 

歌詞から感じる「オマージュした理由」

 

英詞

Free to be whatever you
Whatever you say
If it comes my way it's alright

和訳

俺は自由になんでも言える

何が好きだったとしても

間違っていたとしても正しかったとしても

なんでもいい

英詞

Whatever you do
Whatever you say
Yeah I know it's alright

和訳

君が何をしても何をを言っても構わない

それは俺も君ももちろん知っていることだ

 

解釈の方法によって訳し方も変わるとは思うが『Whatever』の上記の歌詞について、自分はこのように和訳し理解した。

 

どことなく『Whatever』の歌詞が『恋人ごっこ』の歌詞の世界観と繋がるように感じるのだ。

 

「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命をしよう
愛を伝えそびれた
でもたしかに恋をしていた
恋をしていた

 

缶コーヒーで乾杯
シーツは湿って どうにもならない二人だ
言う通りにするから、
恋人ごっこでいいから
今だけ笑っていてほしい

 

余計な荷物に気付くのは
歩き疲れた坂道だ
忘れていいのはいつからで
忘れたいのはいつまでだ?

 

「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命でいよう
愛を伝えそびれた
でもたしかな恋をしていた
恋をしていた

 

無駄な話に頼るのだ
隠し疲れた罪を運ぶため
忘れていいのは君なのに
忘れたいのは僕だけか

 

「ねえ、もう一度だけ」
もう無しにしよう?そういう運命を取ろう
愛を伝え損ねた
またこんな恋をしてみたい
恋をしてみたい

 

裸や、撫で肩や、キスや乾かない髪

 

もう一度あなたと居られるのなら
きっともっともっとちゃんと
ちゃんと愛を伝える
もう二度とあなたを失くせないから
言葉を棄てる 少しずつ諦める
あまりに脆い今日を抱き締めて手放す

 

ただいま さよなら
たった今 さよなら

(恋人ごっこ / マカロニえんぴつ)

 

 

 『Whatever』の主人公はどんなことでも言うことで伝える。相手に対しても同じようにどんなことを言っても構わないとメッセージを贈る。そしてそれを受け止めるという言っている。

 

しかし『恋人ごっこ』の主人公は言いたいことを言いそびれている。伝えられなかったことを後悔している。

 

『恋人ごっこ』の内容は「言えなかったこと」だらけの歌詞だ。

 

オマージュ元の『Whatever』は言いたいことを言っている。『Whatever』をオマージュとして曲中に隠すという表現により、主人公は本音を伝えられるに隠しているということを表現しているのかもしれない。

 

「Whatever」を日本語に直訳すると「なんでも」という意味になる。

 

Oasisの『Whatever」も「なんでも」という意味で使用している言葉だとは思うが、この単語はスラングとして使われる場合がある。

 

スラングとして使われる場合は「無関心、興味がない、どうでもいい」という意味になる。

 

Yeah, sure, whatever.→そうですか。どうでもいいです。

 

このように使われる。

 

『恋人ごっこ』の主人公とヒロインは恋人同士ではないようだ。しかしかつては惹かれ合っていて、主人公は今でもヒロインのことが好きなように感じる。「恋人ごっこでもいいから」と関係が続くことを望んでいる。

 

歌詞にヒロイン側の視点はないが、ヒロインは主人公に関心を持っていないような表現で歌詞が綴られている。ヒロインにとって主人公はWhatever(どうでもいい)という状態だ。

 

だから『Whatever』をオマージュしたのかもしれない。

 

しかしこれはマカロニえんぴつのメンバーが語った話ではない。自分の想像であり妄想だ。

 

偶然『Whatever』に似ている部分があったのかもしれない。「こういう感じ方をする人もいるんだなあ」ぐらいの感覚でいてほしい。

 

つまり、この記事もWhatever(どうでもいい)記事なわけです。