2019-04-20 【視聴あり】うんこミュージアムサウンドトラックがクソ良いから聴くべき レビュー うんこミュージアム うんこについてどう思う? うんこ。 誰もが知っているもので、誰もが何かを理解できる言葉。そもそも自分自身が生み出すものでもある。 しかし、世間では「うんこ」を日常会話で使用することはタブーとなっているように感じる。 例えばトイレでうんこをしたくなっても「お手洗いへ行きます」と伝えなければならない。飲食店で「うんこ」と言ったらマナー違反。アイドルはうんこはしない生き物。うんこの話題を出してもスルーされ流されてしまう。うんこだけに。 うんこ。 その言葉自体を面白がって使いたくなる人は多い。しかし「うんこ」に好感を持っている人は少ない。うんこを積極的に見たいと思う人も、うんこを触りたいと思う人は変態。うんこ好きはマイノリティだ。 うんこはアングラな存在だと思う。少し危ない感じもするが惹きつけられるものがある。それは音楽で例えるとノイズミュージックやハードロックに近い存在だと思う。 うんこ。 これを音楽で表現したミュージシャンは少ない。歌詞にうんこが出てくる楽曲はあるが、うんこそのものを音楽として表現したしたものは珍しい。 しかし、見つけた。うんこを音楽として表現したものを。 横浜で開催されている『うんこミュージアム』のBGMとして制作された『うんこミュージアムサウンドトラック』だ。 自分の想像を裏切る音楽だった。自分はうんこをアングラなものだと思っている。音楽にするならうるさくて耳を塞ぎたくなるようなノイズロックだと思っていた。 しかし、聴こえてくる音は美しかった。美しいのに、うんこの音楽として成立していた。 うんこの美しさ 1曲目に収録されている『U.N.K.O』。うんこの曲としては衝撃的な曲だ。 とても美しい曲なのだ。 楽曲制作に関わったアーティストは水曜日のカンパネラのサウンドメーカーであるケンモチヒデフミと、ポップユニットのFrasco。 作り込まれた打ち込みのサウンド。美しい旋律。一つ一つの音が洗練されている。うんこに対して嫌悪感を持っている人もいるかもしれないが、そのような人も心地よく聴けるような楽曲。 音のバランスにもこだわりを感じる。ボーカルは「ブリブリブリブリボットン」と歌ったり「うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ」と歌っている。 擬音とうんこを連呼している歌詞。しかし心地良く聴こえる。ボーカルとバックトラックのバランスが絶妙なのだ。 フレーズごとにボーカルの音量やエフェクトの強弱を調整している。「ブリブリブリブリボットン」ではエフェクトを強め音量を下げる。「うんこのように美しく」では音量をあげエフェクトを控えめにする。1番と2番の「ブリブリブリブリボットン」でも音量やエフェクトは調整されている。 この工夫により心地よさを感じ、うんこの美しさを感じる耳障りになっている。 うんこのように美しく うんこのように優しく うんこのように温かく うんこのように激しく 歌詞も美しい。うんこは世間では汚いものとして扱われているが、この歌詞はうんこの美しさを際立たせている。うんこの汚い部分を一切歌っていない。うんこの美しい部分を懸命に伝えようとしている。 運命 運動 蘊蓄 雲泥 運行 運営委員会 雲霞之交 運斤成風 雲水行脚で雲集霧散 内容だけでなく言葉の並びも美しい。中盤のラップパートでは綺麗に韻を踏む。言葉の響きは美しい。歌詞を文字にして並べても美しさが際立つ。 『うんこミュージアムサウンドトラック』を聴くとうんこに対する偏見や固定概念がブリ壊される。うんこの新しい一面を知ることができるのだ。実際に『U.U.K.O』を聴くことで「うんこ」の美しい部分を知ることができた。 他の楽曲もうんこの偏見をブリ壊した。うんこの楽しさも教えてくれた。 うんこが人生を楽しくさせる Hop!Step!Jumpoo! - Fever- 面白法人カヤック サウンドチーム サウンドトラック ¥250 provided courtesy of iTunes うんこを見てワクワクした経験はあるだろうか。自分はない。 しかし『Hop!Step!Jumpoo! - Fever-』を聴いて、初めてうんこによってワクワクした。 この曲は跳ねるようなリズムが特徴的。テンポもアップテンポ。使われている音は明るい音が多い。聴いていると楽しい気分になる。 これはうんこについてイメージされ制作された楽曲だ。 うんこをした後は清々しい気分になる。生き物にとってうんこをすることは重要なこと。うんこをすることで人生が豊かになるとも言える。 例えば美味しいご飯を食べて良い気持ちになった後、必ずうんこをする。うんこには美味しいご飯を食べた思い出もつまっている。 遊園地で楽しむとしても、うんこを我慢していては楽しめない。うんこをしてスッキリすることで楽しむことができる。 人間の生活を楽しくし豊かにする場面に、必ずうんこは存在する。 排便が面倒に感じることもある。排便の時間をもっと有効活用したいとも思う。出先ならばトイレへ並ぶことも億劫だ。 うんこに時間を奪われてしまう。そう思っていた。 しかし、それは違う。うんこによってステキな時間をより一層ステキにしてもらっているのだ。 『うんこミュージアムサウンドトラック』によって、うんこへの感謝の気持ちも生まれた。 シャウトするのは肛門 うんこシャウト タカノシンヤ サウンドトラック ¥250 provided courtesy of iTunes 用法として、動詞「叫ぶ」「大声を出す、大声で(言う・笑う・喋る)」名詞「叫び」「大声」そのものの意を表す。また、日本語の用法として、歌い方や発声などで「がなり声」の類語、または英訳とされる場合が多い。 上記は「シャウト」について描かれたWikipediaの文章だ。 自分が『うんこシャウト』という言葉を見た時、イメージする音は激しいものだった。「ブリブリブチョォォブチョプーブーブチャチャァァアブリリリ」のような音をイメージした。 しかし、「うんこシャウト」は激しい曲ではない。優しい音。聴いている人を包み込むような優しく温かい楽曲だ。 「ブリブリブチャチャァ」と音を出すものは、よく考えるとうんこではない。うんこを出す肛門だ。つまり、シャウトしているのは肛門を持っている人間とも言える。 叫びたくなるほどの強い想いを持っていたり、叫びたいほど辛さを感じたり悩みを感じた時、シャウトをしたくなる。 シャウトは大声を出すだけでない。胸の内に秘めた想いを吐き出す魂の叫びでもある。 「うんこシャウト」は優しい楽曲。まるで人間の吐き出した魂の叫びを、優しく受け止めて包んでくれているよう。 シャウトするのは肛門だ。それなのに、なぜ「うんこシャウト」という曲名を付けたのだろうか。 もしかしたら、うんこは心の底から人の叫びを包み込み癒したいと思っているのかもしれない。「生み出してくれた人の魂の叫びを包み込みたい」ということがうんこにとっての「シャウト」であり「魂の叫び」かもしれない。 それを音楽を通して伝えたかったのかもしれない。 うんこは優しいのだ。 「うんち」ではなく「うんこ」である理由 うんことうんちの違いをご存知だろうか。 これには諸説ある。どの説が正しいかはわからない。 個人的には「誰が排便したか不明なものがうんこで、誰が排便されたか特定できるものがうんち」という説を支持している。 つまり道端に落ちていたり公衆便所で流し忘れたものは「うんこ」で、星野源が排便したとわかっているならば「うんち」なのだ。「星野源のうんこ」という表現は間違いだ。正しくは「星野源のうんち」だ。 自分の排出した「うんち」に対して愛着が湧くことがある。臭いが気にならないこともあるし、万が一の事態には触ることもできる。 誰が排出したかわからない「うんこ」はそうはいかない。臭いも嗅ぎたくないし姿形も見たくない。うんこなんてクソみたいな存在だと思う。 しかし『うんこミュージアムサウンドトラック』を聴いてからうんこのことを考えてみて欲しい。 うんこ。 この言葉を見た時、読み上げた時、『うんこミュージアムオリジナルサウンドトラック』を聴く前と聴いた後では印象が変わっているはずだ。 うんこは汚く臭いものだ。しかし、良い部分も沢山ある。美しい部分も、楽しい部分も、優しい部分も。『うんこミュージアムサウンドトラック』がそれを教えてくれた。 人間も同じかもしれない。 生理的に受け付けない人間や、軽蔑するような人間と出会った経験が誰しもあるはずだ。クソな人間は世の中にたくさんいる。 しかし、そんなクソみたいな人間にも、気づいていないだけで良い部分があるのかもしれない。 もしかしたら『うんこミュージアムサウンドトラック』にはそんな想いが込められているのかもしれない。だから「うんち」ではなく「うんこ」をテーマにしたのかもしれない。 このサントラは「うんこ」について改めて考えさせてくれると同時に、「人間」についても改めて考えさせてくれる作品だ。 うんこ。 その言葉や存在は、我々が想像する以上に深いものかもしれない。 うんこ。 今一度声に出して読み上げてみよう。 うんこ。 うんこ。 うんこ。 もしこの文章でうんこやうんこミュージアムの魅力が伝わらないのならば悲しい。悔しくて悔しくて叫びたくなる。 クソ!!! うんこミュージアム サウンドトラック Various Artists サウンドトラック ¥1800