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大森靖子の「音楽で人が救えるわけがない」という発言について

誤解しないで欲しい

 

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018に出演した大森靖子。

 

素晴らしいパフォーマンスだった。その場にいた誰もが圧倒されたと思う。心が揺さぶられたと思う。大森靖子もバックバンドも魂のこもったパフォーマンスだった。

 

歌や演奏に圧倒されただけでなく、大森靖子の話すMCの言葉にも心が揺さぶられる瞬間があった。

  

 

これは自分のツイートだが、大森靖子のMCの一部を切り取ったものだ。

 

「私の音楽は祈り」という発言にアーティストが音楽に込める想いの強さのことや、リスナーが想像している以上にアーティストは複雑で様々な想いを込めていると感じたことを伝えたくてツイートした。

 

しかし、これは発言の一部を切り取ったツイート。ライブを観ていない人の中には誤解してしまった人もいたようだ。自分の切り取り方も悪かったかもしれない。

 

「音楽で人が救えるわけがない」

 

この部分が気になる人がいるようだ。きっと「音楽に救われた」経験が沢山ある人ほど引っかかったのだと思う。「自分は音楽で救われたのに大森靖子が否定する」と思ってしまった人もいると思う。

 

しかし、それは誤解だ。

 

大森靖子は誰も否定していない。本当は音楽が人を救うことも否定していない。むしろ大森靖子は音楽によって人を救うことを信じていて、自身も救いたいと思っているはずだ。

 

ロッキンの開催から日数が経っても自分のツイートによって勘違いしてしまった人がまだいるようだ。今でも自分のツイートにマイナスな反応が来ることがある。

 

今更かもしれないが、改めて説明をさせて欲しい。あくまで自分が感じたこたについてではあるが。

 

人を救うのは音楽ではない

 

音楽に救われたと感じている人は多いと思う。しかし、実際は「音楽に」救われたわけではないはずだ。個人的に音楽が人を救うわけないと思っている。

 

人を救うことができるのは「人」だけだ。

 

音楽を作るのは人だ。作曲をするのも作詞をするのも演奏し歌うのも人。楽器を作っているのも人。

 

「音楽自体」が人を救っているのではなく、想いを込めて音楽を作ったり、魂を込めて演奏する人が人を救っているのだ。

 

自分は音楽が好きだ。好きなミュージシャンも好きな曲もたくさんある。自分にとって宝物のように大切な曲もたくさんある。音楽が自分の人生にも大きな影響を与えているとすら思っている。

 

しかし、自分にとって大切な曲のことを思い浮かべると、音楽以外のことも頭に思い浮かべてしまう。

 

曲を作っているアーティストの顔や演奏しているバンドの姿、笑顔で歌っているアイドルの姿、楽しかったライブや感動したライブのことなどなど。

 

自分が惹かれる音楽は聴いていて作り手やアーティストの顔が想像できたり込められた想いを感じる音楽だ。音楽に乗せられた作り手の想いに共感したり感動している。

 

自分も音楽に救われたと思った経験もあるが、よく考えると音楽自体ではなく、好きなバンドやシンガーやアイドルが救ってくれたのかもしれない。

 

やはり、「音楽が人を救う」のではなく音楽によって人が人を救っているのではと思う。

 

音楽は祈り

 

しかし、どれだけ魂を込めて音楽を作っても、ライブでパフォーマンスしても、必ず人を感動させられるわけでもない。人を絶対に救えるわけではない。

 

どんな万能薬でも治らない怪我や病気があるように、どんな名曲でも人を救えるわけではない。

 

腕が確かな名医が診ても治せない病気があるように、素晴らしいアーティストが魂を込めて演奏しても救えない時もある。

 

大森靖子も救えなかった人がいる。

 

 ロッキンのMCでは自殺してしまったファンのことにも触れていた大森靖子。

 

彼女のライブを観れば常人ではないぐらいに魂を込めて歌い演奏していることがわかる。多くの人が大森靖子の音楽に救われたと思っているだろう。それでも救えない時はある。

 

本当は「音楽で人は救えます」と言いたいのかもしれない。しかし、それは絶対ではないと理解しているから簡単に「音楽は人を救う」とは言えなかったのではと思う。

 

「ギターをただ弾いただけで何が救えるんですか?私の音楽は祈りです」

 

大森靖子はこのようにも話していた。そのあとに歌われた曲は「死神」という曲。その歌は祈りを込めるように歌っていた。それでいて物凄い熱量を感じる歌声だった。

 

死神

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  • 大森靖子
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 大森靖子は常に本気で自身の身を削るような、魂を込めたパフォーマンスをする。本気で自分の音楽で人を救いたいと思っているように感じる。それが簡単ではないことも理解しているように思う。

 

音楽の力を信じ、本気で救いたいと常に全力で音楽を届けようとするからこそ「音楽で人が救えるわけがない」と話したのだと思う。

 

大森靖子も「音楽が人を救う」のではなく「音楽によって人が人を救う」のだと思っているのではないだろうか。

 

音楽は魔法ではない  でも音楽は

 

「私は魔法が使えます」

 

大森靖子は中野サンプラザで行った弾き語りワンマンでこのように言っていた。本当に魔法を使ってあるかのような観客全員を惹きつけるような演奏だった。しかし、ステージに立っていない時の大森靖子は魔法を使えるようには見えない。普通の女性だ。

 

音楽は魔法ではないかもしれない。しかし、不思議で特別な力を持っているのかもしれない。演奏し歌うアーティストが魔法を使えるようにしてしまう「何か」が音楽にはあるのかもしれない。

 

音楽自体は魔法ではなく、音楽を作り奏でる人が時として使えるものなのかもしれない。

 

しかし、全ての音楽にそのような力があるわけでもないし、すべてのアーティストが音楽によって魔法を使えるわけではない。その魔法も世の中の全ての人に効果のあるわけではない。

 

大森靖子自身も音楽の力を信じているし、アーティストとしてもリスナーとしても音楽の魅力を心底感じているのではと思う。

 

大森靖子は自身の楽曲で「音楽は魔法ではない」と歌っている。

 

音楽が物凄い力を入れ持っていることも知っていて、逆に音楽は無力な時もあることも知っているのだと思う。音楽によって救えるひともいれば、救うことができない人がいることも知っているのだと思う。

 

だから簡単に「音楽は魔法だ」とは言えないのかもしれない。「音楽は人を救う」と言いたくても言えないのかもしれない。

 

去年の騒動以降「音楽は魔法ではない」というフレーズだけが独り歩きし勘違いされている部分もあるかもしれないが、このフレーズには続きがある。

 

「音楽は魔法ではない でも音楽は」

 

この歌詞のメッセージの重要な部分は「でも音楽は」の部分だ。そしてロッキンのMCも「音楽が人を救うわけがない。でも音楽は」という意味が込められていた。

 

簡単に一言では伝えられないようなことを伝えようとしているのだと思う。楽曲でもMCでも。そのため発言の一部分だけで勘違いされることが多いのかもしれない。

 

しかし、ロッキンで大森靖子を観ていた人には全員その想いは伝わっていたのではと思う。ライブを観ていた人で勘違いした人は誰もいないのではと思う。

 

「音楽は魔法ではない でも音楽は」のフレーズが歌われている楽曲のタイトルは『音楽を捨てよ、そして音楽へ』だ。もしかしたらこのタイトルに大森靖子が音楽で伝えたいことが詰まっているのではと思う。

 

ここまで長々と文章を書いてみたが、きっと実際にライブを観たり聴いたりしなければ本質の部分は伝わらないのかもしれない。

 


大森靖子『音楽を捨てよ、そして音楽へ』

 

映像ではあるが、大森靖子が演奏している姿を観て聴いてほしい。そこに音楽が人を救うかどうかの答えがあると思う。

 

大森靖子の曲を聴いても何も感じない人もいるかもしれない。それならば自分の好きなアーティストの好きな曲を聴いてみてほしい。そこにも音楽が人を救うかどうかの答えがあると思う。

 

どうだろう。それでも「音楽自体」が人を救えると感じただろうか。やはり自分は音楽を聴けば聴くほど、人を救えるのは人だと思ってしまう。

 

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