オトニッチ

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フジファブリックの志村正彦を最後に観たライブについて

フジファブリックが好きだ

 

自分にとって一生聴き続けるだろうなと思う曲やアーティストやバンドはいくつかある。そのうちの1つがフジファブリック。

 

中学生の頃に好きになり、今でもずっと好きなバンド。メジャーデビューする前に好きになった。記憶が曖昧だが初めて聴いたのはラジオだったと思う。

 

不思議なメロディと怪しい演奏。そして、上手くはないのに耳にこびりついて離れないボーカルの独特な声。他にはない個性的な音楽の魅力で、一目惚れならぬ一耳惚れをした。

 

自分の実家は静岡県。インディーズのマイナーバンドのCDは店舗に置いてあるわけもなく、わざわざ取り寄せて貰った。アラモードというミニアルバム。

 

それからメジャーデビューもし、大きなヒット曲はなかったものの、オリコンのトップ10にも入るヒットもあった。ホールツアーを行ったりフェスのメインステージに出演したりと、日本のロックファンでは知らない人がいないほどのバンドになった。

 

”若者のすべて”という曲はファンでなくても普段ロックを聴かない人でも知っている人が多いのではと思う。

 

 

 

別に自分が見つけたわけでもないけど、周りの友人がフジファブリックを知るよりもずっと前から自分はファンだった。そのことが学生時代の自分にはちょっとした自慢だった。そのため、思い入れも強いバンドだ。

 

初めてライブを観た日

 

ファンになってから2年後、初めてフジファブリックのライブを観に行くことができた。FABFOXというアルバムが評価されて人気も上昇してきていた頃。2005年に行われた『MONONOKE JAKARANDA TOUR』の浜松FORCEでのライブ。日付も覚えている11月19日。たしか日曜日だった気がする。

 

フジファブリックにとっての初めての静岡県でのライブでもあった。先行販売でチケットを取ることができず、チケットぴあに朝から並んで取ったチケット。

 

初めて行ったライブハウスで初めて観るフジファブリック。ライブハウスは縦長でステージもそれほど高くなかった。

 

ステージが低いからメンバーの頭がちらちら見えるぐらい。それでも感動した。そこに大好きなフジファブリックがいる。自分が家のスピーカーでも学校の通学途中のイヤフォンでも数えきれないほど聴いていた曲を生で演奏している。

 

どの曲を聴いても盛り上がったし、どの曲を聴いても感動した。MCもおもしろくて、ボーカルの志村正彦の喋りは少し変わっていて、”変なお兄さん”だった。

 

気づいたら圧縮で前方に流されてたし、モッシュにも巻き込まれたけど、生でフジファブリックを聴けることと、地元の多くのフジファブリックファンといっしょに音楽を聴けることが嬉しかった。高校生の少ない小遣いで当日買った2,500円のキツネが書かれたツアーTシャツは、汗でびしょぬれになって毛玉もできてしまった。

 

自分にとって一番大切な曲

 

フジファブリックの曲の中でもあまり聴かない曲もある。でも、全曲好きだ。

 

自分にとって大切な曲はたくさんあるが、個人的には”茜色の夕日”が最も好きだ。

 

茜色の夕日

茜色の夕日

  • フジファブリック
  • ロック
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

 

フジファブリックの代表曲の一つでもある名曲。この曲が1番好きだというと、一部のファンからは”にわか”扱いされるけど、心の底から本当に好きな曲。

 

メロディも歌詞も歌い方も演奏もタイトルも何もかもが好きな曲なんだ。

 

特に高校時代、進学先を東京の大学に決めてからはよく聴いていた。大学に合格して東京で1人ぐらしをしてからも変わらずに聴き続けた。

 

東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

見えないこともないんだな

そんなことを思っていたんだ

 

この歌詞のフレーズが1人暮らしをしてからは特に好きになった。渋谷や新宿や池袋では星は見えなかった。でも、錦糸町を歩いていた時とか星は見えたし、彼女とお台場の観覧車に乗った時も少しだけ星は見えた。綺麗には見えなかったけど、見えないこともなかった。

 

この歌詞のこのフレーズのみを切り取っても特別な意味はないかもしれない。でも、なぜかこのフレーズに励まされた。辛いと思ったときは、なぜかこのフレーズを思い出した。

 

今でも大好きな曲だし、よく聴く曲。

 

東京での生活について

 

大学生として楽しいキャンパスライフではあった。それなりに勉強し、それなりに遊んで。

 

大好きなバンドやアーティストのライブに簡単に行けるようになったし、大きなCDショップにも簡単に行けるようになった。実家の静岡では好きなバンドもツアーで来ないこともあるし、ライブへ行くなんて特別なイベントで年に数回行けるかどうかだった。

 

しかし、東京は毎日のように行きたいライブがある。ライブに行きまくった。タワレコやHMVで色々なCDを視聴して聴きまくった。好きな音楽はどんどん増えていき、行きたいライブにも好きなだけ行った。

 

もちろんフジファブリックのライブもたくさん行った。ワンマンも何度もみたし節目になるライブも行ったし、フェスでも観た。

 

今までは特別だった”ライブへ行く”という行動が、日常の一つになっていた。

 

志村正彦を最後に観た日

 

志村正彦を最後に観た日。日付も場所も覚えている。2009年11月12日。新宿ロフトでのメレンゲとの対バン。

 

自分が初めてフジファブリックや志村正彦を生で観たのも、最後に志村を観たのも同じ11月だ。

 

メレンゲもフジファブリックもかつては新宿ロフトが運営するレーベルからCDをリリースしていたレーベルメイトだった。そんな2組の対バンイベント。チケットはプレミアでキャパの10倍近く応募があったらしい。運よく自分はチケットを取ることができた。

 

良いライブだったと思う。メレンゲもフジファブリックも。でも、自分はそのライブを全力で楽しめなかった。

 

新宿ロフトという小さい箱でのライブだ。そしてインディーズ時代からゆかりのある場所。インディーズ時代の名曲やマニアックな曲を披露してくれると思っていた。

 

でも、違った。

 

この日のフジファブリックはライブでの定番曲やこの年に発売したアルバム『クロニクル』の曲が中心だった。

 

そして、ライブを斜めに構えて観ている自分がいた。

 

最近は志村全然声が出てないなとか思いながら腕を組みながら後ろで観ていた。

 

自分が大好きな茜色の夕日も歌ってくれた。でも、演奏は良いのに志村の声の調子が悪いし、サビとか全然歌えてないじゃんとか思いながら聴いていた。大好きな曲を新宿ロフトという特別な場所で演奏してくれたのに。

 

MCで志村は「フジファブリックは過去を振り返らずに未来を見ています。新曲もどんどんできているので楽しみにしてください」と言っていた。それはわかるし、新曲は楽しみだ。でも、今日は昔の曲を聴きたいと思っていた。

 

アンコールはライブの鉄板曲の銀河。内心、また銀河かと思っている自分もいた。もちろん盛り上がるが、初期の曲も聴きたかったと思った。

 

不完全燃焼のままライブは終わってしまった。これが、自分が最後に志村正彦がいたフジファブリックを観たライブだ。

 

12月もZepp Tokyoでライブに出演することは知っていたが、それは行かないことにした。年末には幕張メッセで行われるカウントダウンジャパンに出演するし、セットリストも変わらないだろうから、そこで観ればいいかと思って。

 

2009年12月24日。

 

志村正彦は急逝してしまったので幕張メッセで観ることはできなかった。

 

笑ってサヨナラはできなかった

 

東京に来て好きな音楽を好きなだけ聴いて、行きたいライブは行きたいだけ行っていた自分。気づいたら、好きな音楽や好きなバンドのライブを素直に楽しめなくなってしまっている自分がいた。

 

ただの学生のファンでしかないのに、評論家や音楽ライターや関係者のような目線で音楽を聴いてライブを観ようとしている自分がいた。

 

特にフジファブリックはツアーやイベントがあれば関東のライブはほぼ毎回行っていたぐらいのバンドだ。ライブの楽しさや自分の目の前で好きな音楽を生で聴ける特別さや喜びに慣れてしまったのかもしれない。

 

今でも最後に志村のいたフジファブリックを”楽しもうとしなかったこと”を後悔している。

 

志村が亡くなって、東京に来てから自分の日常の一部であった”フジファブリックのライブ”がもう2度と体験することができない非日常になってしまった。

 

志村の訃報を知った時、もちろん悲しみやショックで涙が出てきた。

 

でもそれと同時に、最後に観た新宿ロフトのライブでなぜTAIFUを演奏したときに素直に盛り上がらなかったのか、茜色の夕日を真剣に聴かなかったのかとかそういった後悔の感情も強くなった。そこで鳴っていた音楽は自分が大好きな音楽のはずなのに。

 

真摯に音楽を届けようとしていたフジファブリックに対して、自分は真摯でもなかった。初めから「今日はどんなライブを見せてくれるのかな?」と斜めに構えて観ていた。CDなら何度でも聴き返すことができても、あの日のライブは二度と体験できないものだったのに。

 

悲しさや悔しさや後悔とか、色々な感情があふれてきた。そのどうしようもない感情を抑えるために、自分は、音楽を聴くしかできなかった。

 

CDの再生ボタンを押せば、フジファブリックの音楽はそんな自分さえも癒してくれた。聴くと色々と負の感情も思い出してしまう部分もあったけど、それさえも癒してくれた。

 

最後のライブでの後悔さえもフジファブリックの音楽が癒してくれた。全く関係ない歌詞のフレーズなのに、「茜色の夕日」は自分を励ましてくれた。

 

自分の大好きなことや大好きなものを素直に楽しめないって、とても後悔する。

 

志村が亡くなってから残されたメンバーはバンドの再始動をしてくれた。そうとう悩みに悩んでの再始動だと思う。今でもフジファブリックは人気バンドとして活動している。

 

この記事を書いた2017年7月10日は志村正彦の誕生日。37歳になるはずだった。

 

自分が初めて観た12年前のライブで”変なお兄さん”だった志村が37歳になって”変なおじさん”になってライブをやっている姿を観たかった。

 

そういえば、今日の東京の空の星も見えないことはないです。

 

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