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【歌詞考察】スピッツは新曲1987→でインディーズ時代の”泥だらけ”を引用した意味は?

スピッツの新曲に鳥肌が立つ

 

今年結成30周年を記念して過去にリリースされたシングル曲を収録したシングルコレクションが発売されるんですよ。

 

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ちなみに、過去のシングル曲だけではなく、新たに新曲も収録されたます。

その新曲もラジオでオンエアされたりYouTubeにMVアップロードされ始めているのです。

30周年を盛り上げるべく、全国アリーナツアー開催が決まったり、全国4か所のタワーレコードでは”スピッツカフェというコラボ企画もやっていたりとお祭り状態です。

 

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シングルコレクションに収録される新曲は、どれもスピッツらしく良い曲です。

コアなファンも、ライトなファンも気に入るような名曲。

でも、その中で1曲だけファンの想像の斜め上を行くような曲を発表したんですよ。

スピッツでMVのある曲でこのようにファンの想像の斜め上を行って、なおかつ昔からのファンを喜ばせるような曲を出してくることは初めてではと思う。

 

その曲は1987という曲。

これを聴いたときに自分は曲の始まりの最初の音を聴いた瞬間、鳥肌が立った。 

 

1987の何が衝撃的だったのか。

 

まずは曲を聴いてもらいたい。

 

👇画像をクリックで動画になります

 

ロビンソンやチェリーのイメージを持っているファン以外には、「こういうアップテンポの曲もあるんだ」という新鮮さを感じさせるような曲。

それでいてファンにとっては感動と衝撃を与えてくれる曲とMVなのです。

 

何がファンにとって感動的だったのか。

それは過去のライブを中心とした映像から現在までを遡っていくようなMVで、スピッツの集大成を感じるようなMVだから。

 

そして、何がファンにとっては衝撃だったのか。

それは、現在は入手がこんなんになっているインディーズ時代の楽曲『泥だらけ』のフレーズが曲に散りばめられていること。

これは最初のイントロや曲全体の雰囲気もそう。

そして、歌詞にも”泥にまみれても”というフレーズがある。

 

『泥だらけ』という曲は29年前にスピッツが発表したカセットテープに収録されていた楽曲。

しかもこのカセットは70本しか作られていない。

インディーズ時代というより、アマチュアと言ってもいいぐらいの活動規模の頃の曲。

当時の数少ないファンの中でもさらに数少ない人数しか手に入れることができなかったカセットテープ。

ファンでも存在を知らない人がいるぐらいの曲。

ちなみにYouTubeで泥だらけは検索すると聴けます。

 

一部のファンしか知らない曲で、聴いたことあるファンでも、正式な音源を持っているファンは少ない。

結成30周年でアマチュア時代の隠れた名曲をリメイクしたわけだ。

それは鳥肌たつでしょう。

 

では、なぜこのタイミングでアマチュア時代の曲をリメイクしたのか。

そして、なぜ『泥だらけ』を選んだのか。

それについて考察してみようと思う。

 

泥だらけの歌詞について

 

泥沼の中に落ちて 君の声が遠くなるなら
本気なんだといえばよかった
だけど僕にはいえなかった

 

はせていく街の中で ひどく涙に汚された
バカ正直な君の笑顔がいじめたいくらい好きだった

 

愛を愛を 粉々にしたい
今も今も 信じていたい
愛を愛を バラバラにしたい
今も今も 信じていたい 

 

生きるのはブザマだからあえてこの場所に求めよう
ぼくらの体は泥だらけ死ぬまで幸せ追いかける

 

今のスピッツも暴力的な言葉や汚い言葉を使うこともある。

例えば去年発売したアルバム“醒めない”の収録曲でも“ゴミ“という言葉や“反逆者”という言葉を使っている。

 

そして、この泥だらけ。

“泥沼の中に落ちて”や“生きるのは無様と”汚い表現も多い。

“愛を粉々にしたい”と過激な表現も多い。

 

それでもただの過激な歌に聴こえないのはスピッツの演奏や草野マサムネの声質にもあるが、伝えたいメッセージは決して汚くも過激でもないからだと思う。

 

決して綺麗に真面目に上手くは生きていけないけれど、死ぬまでずっと幸せを追いかけていくという歌詞だ。

メッセージとしても歌詞の方向性としても普遍的でありながら、スピッツのバンドとしての方向性もしてしているような歌詞。

 

1987→の歌詞

 

なんかありそうな気がしてさ  浮かれた祭りの外へ

ギリ ヤバめの箱探してカッコつけて歩いた

 

らしくない自分になりたい  不思議な歌をつくりたい

似たような犬がオオカミぶって  鳴らし始めた音

 

それは今も続いてる  泥にまみれても

美しすぎる君のハートを汚してる

 

ヒーローを引き立てる役さ

きっと雑魚キャラのままだろう

無慈悲な鏡叩き割って  そこに見つけた道

 

それは今も続いてる  膝を擦りむいても

醒めたがらない僕の妄想が尽きるまで

 

それは今も続いてる  泥にまみれても
美しすぎる君のハートを汚してる

 

 まだリリース前で歌詞も聴きとったものなので一部は実際と違う部分はあるかもしれないです。

 

1番のAメロの歌詞について

 

なんかありそうな気がしてさ 浮かれた祭りの外へ
ギリ ヤバめの箱探してカッコつけて歩いた

 

この部分に関しては“泥だらけ”のAメロの歌詞とリンクしているのではないないだろうか。

泥だらけでは“泥沼の中に落ちて”と表現していた。

それから30年経って今のスピッツの取り巻く状況から、泥沼の中に落ちたのではなく、自ら何かありそうな気がして浮かれた祭りの外へ行ったと言えるようになったのだろうか。

“本気なんだと言えば良かった”と後悔していたスピッツではなく、自らの意思でカッコつけて歩いていたと自信を持って言えるスピッツになったのではないだろうか。

 

かつてのスピッツはひねくれていたが、30年経って自分たちのやって来たことは間違いではなかったと自身を持って言えるようになったことを表現しているのだと思う。

 

らしくない自分になりたい 不思議な歌をつくりたい
似たような犬がオオカミぶって 鳴らし始めた音

 

スピッツは元々パンクロックをやっていた。

ブルーハーツに憧れていた。

草野マサムネはエレファントカシマシの宮本浩次のようなボーカリストになりたいと語ることもあった。

でも、なりたいと思っていた姿にはなれなかった。

 

どれだけブルーハーツぶって演奏してもブルーハーツにはなれなかったし、エモーショナルに歌おうとしてもえれかしにはなれなかった。

そこから試行錯誤や様々な葛藤があり、スピッツの音楽が完成していったのだと思う。

ここではそのことを歌っているのだろう。

 

サビの歌詞について

 

それは今も続いてる 泥にまみれても
美しすぎる君のハートを汚してる


“それは今も続いてる 泥にまみれても”というフレーズ。
ここからわかることは30年前のスピッツも今のスピッツも根本の考え方の部分や、なりたいと思っている姿は変わっていないという事だ。

 

つまり、『泥だらけ』の歌詞と同じように、1987→の歌詞は、今でも泥だらけの体で死ぬまで幸せを追いかけていることは変わらないという意思表示をしているのではないだろうか。

 

ただ、気になる部分がまだある。

美しすぎる君のハートを汚してる”とはどういう意味なのか。

 

これは聴いてくれているリスナーやファンの脳裏にスピッツの曲や存在を焼き付けたり、一生忘れられないような大切な曲を作ってきたんだという今日までのスピッツの活動を振り返っている内容ではないだろうか。

 

スピッツファンならご存知だろうが、スピッツは好きになればなるほど、ただ爽やかなだけでなくダークな部分やひねくれている部分、少し攻撃的な部分も知ることになる。

その部分にハマってしまったら、スピッツの音楽の泥沼に嵌って一生聴き続ける大切なバンドになる。

 

そのため、あえて“ハートを汚してる”と表現しているのではないだろうか。

 

2番のAメロの歌詞について

 

ヒーローを引き立てる役さ
きっと雑魚キャラのままだろう
無慈悲な鏡叩き割って そこに見つけた道

 

これはなりたい自分の姿は現実の自分たちの姿とかけ離れていることをりかいして、“引き立てる役さ”“雑魚キャラのままだろう”と皮肉じみた表現で歌っている。

しかし、それによって見つけた“スピッツの強み“もわかっているので、“無慈悲な鏡叩きわってそこに見つけた道”と歌っているのだと思う。

 

つまり、自分の成りたい姿や思い描いていた姿とは違うけれども、自分たちが最も伝えることができる方法で活動を続けて行くという意思表示に感じる。

 

最後のサビは意味が違う

 

それは今も続いてる  膝を擦りむいても

醒めたがらない僕の妄想が尽きるまで

 

2番のサビの歌詞だ。 

これはこれからもスピッツは自分たちにしかできない音楽をしていくとともに、”膝をすりむいても”というフレーズから全力でやるということを決意を表現していると思われる。

 

それは今も続いてる 泥にまみれても

美しすぎる君のハートを汚してる

 

最後サビの歌詞だ。

1番の歌詞と全く同じ内容だが、意味は1番から少しだけ変化していると思う。

 

1番では今までの活動を振り返って”君のハートを汚してきた”ことについて歌っていた内容だと考察した。

2番に関しては今のスピッツの音楽でもこれからのスピッツの音楽でも”君のハートを汚していく”ということを歌っているのではないだろうか。

 

それは2番のAメロやサビの歌詞からわかる。

2番のAメロや2番のサビではこれからもスピッツとして自分たちにしかできない音楽で活動を続けていくという意思表示や覚悟についての意味だと考察した。

その流れから考えると、最後のサビはこれからのスピッツのことを歌っているのではと考えられる。

つまり、1番のサビと最後のサビは同じフレーズだが、意味としては、”今までのことを歌ったの1番”と”これからのことを歌った2番”ということではないだろうか。

 

 なぜアマチュア時代の曲の”泥だらけ”を引用したのか

 

1987→を聴いてここまで考察を読んでくれた方ならわかるかと思う。

それはスピッツは30年前から根本の部分は変わっていないし、これからも変わらないというメッセージと、これからも泥だらけになりながらも活動を続けていくぞという決意を表明するためだろう。

 

だからこそ歌詞や演奏がリンクする部分があったのだろう。

そして、コアなファンでなければ知らないし、スピッツが結成後1番最初にリリースした70本限定のカセットテープにしか収録されていない曲を選んだのだろう。

あえてマニアックな昔の曲を引用することで、30年前からの想いは変わっていないということを示すために。

 

 

1987→でスピッツはまだまだとがっているし、自分は一生聴き続けるバンドの一つなのだろうと確信した。

これからも、『泥だらけ』の歌詞のようにスピッツとともに自分も泥だらけになりながら死ぬまで幸せを追いかけていきたい。