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【歌詞考察】ゆずの夏色がロックンロールだということを証明する

ゆずが好きだった小学生時代

自分がまだ小学生の頃、ゆずがデビューして、めちゃくちゃ流行ってた。

クラスの女の子はみんな聴いてたし、友達から”おすすめの曲を入れたMD”をもらっても必ずゆずは入っていた。

その頃の自分は小学生のくせに椎名林檎が好きで、ロック以外は認めないほどイタい奴だった。

 

でもね、ゆずは気になる存在だった。

ゆずって世間のイメージからするとロックとはかけ離れていると思うんですよ。

デビューした時もフォークデュオとしてメディアで取り上げられていたわけだし。

 

それでもずっとゆずは気になって、耳から離れなくて、友達からもらったMDでゆずの曲は繰り返し聞いた。

特に好きだったのは『夏色』

ゆずの代表曲で誰もが知っている曲。

 

夏色

夏色

  • ゆず
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

なぜ、ロックが好きだった自分がゆずを好きになってしまったのか。

それは、ゆずはロックだったからだ。

今のゆずはステージでもエレキギター弾いてるとか、ロックなアレンジの曲もあるとか、そういうことを言っているわけではない。

精神論の部分でだ。

むしろ、今のゆずよりも初期のゆずの方が精神としてはロックを感じる。

 

特にゆずの夏色の歌詞には、ロックンロールの魂を感じる。

 

そもそもロックンロールとは何か?

でも、ロックンロールの定義ってあいまいなのだ。

歪んだ音のエレキギターを弾いてドラムがエイトビートを叩いていればロックというわけでもない。

 

例えば、三代目J Soul Brothersがバックバンドを従えて"リンダリンダ"を歌ったとしても、それは”ロック”とは感じないだろう。

しかし、甲本ヒロトが弾き語りで歌ったら、どんな曲でも"ロック"になってしまう。

例えば、忌野清志郎が生きていたとして、AKBの曲をカバーしたとしたら、それはきっとロックだと感じるだろう。

 しかし、AKB48が"雨上がりの夜空に"を歌ったとしても、そこからロックを感じないと思う。

 

これは三代目やAKBをディスっているわけではない。

どっちが良い悪いという話ではなく、音楽に取り組む際の方向性や考え方の違いがあるということだ。

逆に忌野清志郎はAKBのようにファンを癒す存在ではないのかもしれないわけだし、甲本ヒロトも三代目のようにダンスがクールだとはファンや世間からは思われていない。

 

”ロックとは何か”とうい定義については、以前くるりのロックンロールの歌詞を考察した時にも考えた。

 

ちなみにWikipediaには下記のように書かれている。

 

最初期の多くのロックは既成概念や体制に対する反抗心や怒りを強く表現することが主体で、対抗文化(カウンターカルチャー)としての存在意義を持っていた。

 

 自分が夏色の歌詞から感じるロックな部分はこれだ。

既成概念や体制に対する反抗心の部分だ。

 では、夏色のどの部分にそういったロックの精神があるのか考察していく。 

 

1番のAメロ

 

駐車場の猫はあくびをしながら今日も一日を過ごしている

何も変わらない穏やかな街並み

みんな夏が来たって浮かれ気分なのに君は一人さえない顔してるね

そうだ君に見せたいものがあるんだ

 

上記は1番のAメロの歌詞だ。

ここで注目してほしい部分は”みんな夏が来たって浮かれ気分なのに君は一人さえない顔してるね”という部分。

これによって歌の中の登場人物が主人公と、もう一人の”さえない顔してる君”の2人だとわかる。

 

この歌詞の展開から考えると、主人公は男で、”さえない顔の君”は女の子でヒロインだろう。

そして、このヒロイン、みんなが浮かれ気分の時にさえない顔をしている。

つまり、ヒロインは友人の間でもはみ出し者の、周りに馴染めない人なのではと推測できる。

つまり、ヒロインは夏だからと浮かれているみんなに対して、反抗心や怒り、もしくはコンプレックスを持っているのではないだろうか。

これは精神論で考えると、ロックの精神に近いものを持っているヒロインかもしれない。

 

そして主人公もそんな”浮いているヒロイン”に対して好意を持っているのだろう。

「見せたいものがあるんだ」とさりげなくデートへ誘う。

このことから主人公もヒロインと同じように、”夏に浮かれているみんな”よりもヒロイン側の考えに近い人物だと想像できる。

 

もしこれがポップスなら、”夏が来たって浮かれ気分になっているみんな”側の視点の歌詞になっているはずだ。

1番のBメロ

 

大きな5時半の夕焼け

子どもの頃と同じように

海も空も雲も僕らでさえも染めていくから

 

主人公がヒロインに見せたかったものは大きな夕焼けだった。

”子どもの頃と同じように染めていく”とはどういうことなのか。

 

意味としてはさえない顔をしているヒロインに元気になってもらいたかったということだろう。

周りみたいに浮かれ気分にはなれないかもしれないけど、夏は悪いものではないし、子どものころは夏が来たってだけで楽しかったでしょと伝えたかったのかもしれない。

 

主人公は”夏が来たと浮かれている”部分を少なからずもっているようにも感じる。

”さえない顔”のヒロインを励まそうとしているぐらい元気なのだから。

しかし、”浮かれているみんな”ではなく”うかない顔をしている君”を選んで励まそうとしている。

 

ロックの定義として下記のような説もよく言われる。

 

自分の信念を曲げることなく、

嘘偽りなく表現し伝えること

 

主人公の行動 は、ヒロインを元気づけたいとい気持ちや夏も悪くないよという気持ちを、嘘偽りなくまっすぐ伝えようとしている。

大きな夕焼けを見せるために、夕焼けが見れる時間帯も知らべて連れだしてまで自分の想いを伝えようとする主人公。

これはロックンロールと呼ばずに他に呼び方がない。

 

余談かもしれないが、「5時半の夕焼けって早すぎない?」という指摘をする人がもいるかと思う。

こういう人は表面でしか歌詞をくみ取れないんだなと思ってしまう。

子どもの門限はだいたい5時から6時前後であることが多いだろう。

子どもにとっては家に帰る時間=一日の終わりと言っても過言ではない。

つまり、実際夕焼けかどうかは関係なく、”子どもの頃と同じように”行動すること、景色を見ることが重要なのではないだろうか。

そのことを”子どもの頃と同じように”というフレーズの意味としてとらえると、”5時半の夕焼け”も自然に受け取ることができる。

(ちなみに北川悠仁曰く、メロディに合うゴロが5だっただけと語っていたけども・・・・・・)

 

1番のサビの歌詞 

 

この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せて

ブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下ってく

 

誰もが口ずさめるであろう、夏色のサビの歌詞だ。

読んでもらうとわかるように、サビのフレーズは反抗心の塊だ。

 

まず、”君を自転車の後ろに乗せて”というフレーズ。

これは2人乗りをしているのだろう。

自転車の二人乗りは道路交通法上、禁止されていることだ。

 

こういった反体制な内容をサビに持ってくるのは校舎の窓ガラスを壊して回った尾崎豊以来だろう。

賛否両論あるかもしれないが、こういった反社会行為もロックの表現としてはよくある表現だ。

 

そして、”ブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていく”というフレーズ。

 ここでBメロの歌詞を思い出してほしい。

Bメロの”子どもの頃と同じように”という部分だ。

 

子どもの頃は怖いものなしで危険な場所に飛び込んだり、大人になったら考え付かないような危険なことも平気でやっていた。

その無邪気さゆえに。

坂道を2人乗りでブレーキを握りしめる行為は危険だ。

このサビはBメロの”子どもの頃と同じように”というフレーズにかかっているのだろう。

子どもが友達とふざけてやりそうな行動だ。

夕日に照らされながら、自転車2人乗りで下っていく2人は、怖さと楽しさで「きゃーきゃー」言って騒いでる場面が想像できる。

その無邪気に騒いでいる姿は”子どもの頃と同じよう”だろう。

 

そして、”ゆっくりゆっくり下っていく”というフレーズ。

この曲のBPMはゆっくりではない。

むしろ少しテンポの速い曲だ。

ライブになるとそれは顕著で、BPMもCD音源よりも速くなっている。

つまり、ゆっくりゆっくりと歌いながらテンポは速いというひねくれた反抗心を曲全体で表現しているのではないだろうか。

つまり、曲が全体的にロックなのだ。

2番のAメロ

 

風鈴の音でうとうとしながら夢見心地でよだれを垂らしてる

いつもと同じ網戸越しの風の匂い

休日でみんなもゴロゴロしてるのに君はずいぶん忙しい顔をしてるね

そうだいつかのあの場所へ行こう

 

 ここでよだれを垂らしている人物が誰かというと主人公だろう。

そして、忙しい顔をしているのはヒロインだ。

つまり、この2人はすで一緒に暮らしているのではと仮定できる。

しかも”みんなゴロゴロしてる”というフレーズから主人公とヒロイン以外にも人がいるのではと思う。

これは、主人公とヒロインは夫婦で子どももしくは両親と同居しているのではないだろうか?

ということで、今更だが、主人公とヒロインはそれなりに良い年齢の大人の夫婦と仮定してみる。

 

2番のBメロ

 

真夏の夜の波の音は不思議なほど心静かになる

少しだけすべて忘れて波の音の中包み込まれていく

 

 このBメロからわかることは、ヒロインは1番のAメロから一貫して、”夏だから浮かれ気分”ではなく、”夏なのにさえない顔”をしていることがわかる。

そして、主人公もそのことがわかっているので、”夏で浮かれている人”が来ない夜の海へ連れていき、波の音を聞かせてあげたかったのだろう。

 

2番のサビ

 

この細い細い裏道を抜けて誰もいない大きな夜の海見ながら

線香花火に二人でゆっくりゆっくり火をつける

 

2番のサビの歌詞が2番のBメロと同様に、1番のAメロの歌詞の伏線がまだ張られており、ここで回収したことがわかる。

ヒロインは夏に浮かれるのではなく、大切な人といっしょに、ゆっくりと落ち着ける時間を過ごしたかったのだとわかる。

線香花火をやるとしても、みんなで騒いで盛り上がってやりたいわけではない。

大切な人と2人でゆっくりと静かに楽しみたかったのだ。

 

つまり、ヒロインは1番のAメロで”さえない顔”をしていた理由は夏が嫌いなわけでも、”夏が来たと浮かれ気分な人”が嫌いだったわけではなく、大切な人と2人で過ごす時間を楽しみたかったのだ。

 

線香花火にゆっくり火をつけるという表現も流石だ。

線香花火はすぐに終わってしまう。

線香花火にゆっくり火をつけたところで、線香花火の時間が長くなるわけでもない。

では、なぜゆっくり火をつけたのか。

それは、時間がゆっくり進んで欲しいと思うぐらい、2人の時間をお互いに大切にしたいと思っているからではないだろうか。

大サビ

 

いつか君の涙がこぼれ落ちそうになったら

何もしてあげられないけど少しでもそばにいるよ

 

これね、もうロックですよね。

何がロックかというと、主人公の「俺はお前のために何かするわけじゃないけど、そばにいてやるよ」ていう男らしさ。

黙って俺について来いよと言いたげな男らしさ。

 

ここで「泣きそうになったら励ましてあげるね!涙をこぼさないで!元気出して!」とか言うのは美しくない。

ロックを感じない。

 

何もしないのに、そばにいるだけなのに安心感を与えてしまう包容力。

かっこいい。

ろっくんろーる。

 

まとめ

 夏色の歌詞をまとめると、周りの人が浮かれてるときに、同じように浮かれることができず、冴えない顔をしている奥さんと、そんな奥さんのことを心の底から想っている旦那の歌だ。

そして、ヒロインの奥さんは少しマイノリティな考えの人。

それを支える旦那は真の通ったまっすぐな男。

 

少しひねくれていて、少しだけ反抗心とコンプレックスを持っている、ロックな精神の奥さん。

そして、自分の気持ちにまっすぐで”奥さんが喜ぶこと、励ますこと”に対しての行動を貫く男前なロックンローラーな旦那。

この2人のロックでありながらも、普通の仲の良い夫婦の幸せな日常物語なのだ。

 

正直、この考察はこじつけだ。

ぶっちゃけノリと勢いでふざけて書いた部分もある。

しかし、こういった考察もできる奥の深い曲や歌詞であることが『夏色』の魅力だろう。

このような魅力があるからこそ、当時ロックしか聞かなかった自分にもゆずの音楽が響いたのかもしれない。

 

ところで、夏色とはいったい何色なのだろう?

いつか『夏色』が何色なのかについても考察したい。

 

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