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毎年代わり映えしない出演者のカウントダウンジャパンへの批判について

COUNTDOWN JAPAN 21/22の開催が発表され、第一弾の出演者発表がされた。

 

だいたい毎回いつも同じメンバーと再開するような、毎年出演している常連のアーティストが中心のラインナップだった。実力は確かではあるものの、他の音楽フェスにも頻頻に出演するアーティストばかり。目新しさは一切ない。

 

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ネット上ではそんな出演ラインナップに対し、批判的な意見を言う人もいる。正直なところ、自分も「代わり映えしないメンツだな」と思った。不満を持つ人がいることも理解はできる。

 

しかし「今の音楽シーンから遅れている時代遅れなメンツばかり」「毎年同じようなメンツでつまらない」という批判的な意見を見た時は、少しだけモヤモヤした。

 

確かにOfficial髭男dismやKing Gnuのような今が旬の超人気バンドも、backnumberやRADWIMPSのようにドームやスタジアムを埋めるバンドもいない。

 

YOASOBIや藤井風のように話題性抜群のアーティストもいないし、ネット上の音楽オタクに支持されているコアなアーティストも当然ながらいない。

 

そう考えると時代遅れのラインナップかもしれない。

 

しかし日本最大級の年末フェスだからといって、超人気者や大物ばかりを簡単に呼べるわけではない。音楽フェスのブッキングは難しく、100%主催者の思い通りになることは滅多にないのだ。

 

人気アーティストは予定を簡単に空けられない。関係者や動くスタッフの数も多い。特に年末はテレビ出演などライブ以外の予定もある。紅白歌合戦に出演する場合は、特に多忙になる。ギャラや効率を意識して仕事を選ばざるを得ない場面も多いはずだ。

 

夏フェスは全国各地で行われるため、ツアーを組むように夏の予定を空けているアーティストもいるが、年末フェスは夏フェスよりも数が少ない。

 

CDJのためにわざわざ予定を空けて、その為だけに準備やリハーサルを行うアーティストもいるだろう。その場合はアーティスト側の経費や負担も嵩む。他の仕事を入れづらくもなる。

 

だからか大物や超人気アーティストは、ワンマンツアーを終えたばかりだったり、ツアーの合間の空き日程に出演する場合が多い。

 

つまりタイミングが合わなければ、出演に見合うギャラがなければ、大物や超人気者は出演ができないとも言える。

 

アーティスト本人が良くても、本人たちに全ての決定権があるわけではない。関わる多くのスタッフを考えたら、簡単に出演承諾はできないだろう。

 

実を言うとアーティストの皆さんにも、例年とは違う条件での参加をお願いしています。感謝しかありません。とても心苦しいですが、今年のカウントダウン・ジャパンはこうした形で開催させてください。

 

ロッキング・オンの渋谷陽一社長はCDJの開催発表時に、このようなコメントを残している。おそらく出演料に関する話だとは思う。

 

1ステージのみではあるが、チケット代金は例年よりも安い11,000円。これでも赤字ギリギリだとも語っている。このチケット代金で満足いく出演料を払うことは難しいのかもしれない。

 

人気アーティストや大物ならば、最近は1万円を超える値段でワンマンをやることも多い。人気の規模が大きければ若手アーティストでも、ワンマンは約1万円である。それでもチケットは完売する。

 

それならば収益やファンの満足度を考えると、フェスに出るよりもワンマンをやった方がコスパが良い。彼らだってコロナ禍で大変な経験をしているのだから、シビアになるのは当然だ。

 

今のロッキング・オンが提示する条件では、CDJに対して強い思い入れや恩義がなければ、出演の承諾は難しいのかもしれない。フェスのメインステージに立てる人気のアーティストにとっては、特にそうだろう。

 

おそらく第一弾で発表された出演者は、思い入れや恩義があるアーティストなのだと思う。

 

夏や冬や春ににロッキング・オンのフェスへ毎年のように出演し続けてきたアーティストたちが中心。一緒に音楽フェスを作ってきた仲間とも言える。実力があることはハッキリしているので、安心して任せられる人選でもある。

 

もちろん音楽フェスはその時代の音楽シーンのトレンドや流れを提示し、業界を盛り上げる意味合いはある。

 

邦ロック界隈で最も大きなフェスを運営するロッキング・オンは、邦ロックを中心に新しい音楽や注目されている音楽を取り上げ紹介し、盛り上げる役割を最も持つべき主催者と言えるだろう。

 

その部分ではCDJのラインナップでは、ロッキング・オンは役割を全うできていない。しかし今は「フェスを続けること」を会社として最重要事項としているとも感じる。

 

 

 

渋谷陽一社長は、下記のようにもコメントしている。

 

音楽を止めない。フェスを止めない。このメッセージを私たちは掲げています。もうフェスを中止にしたくありません。例えこれまでと違う形になっても、フェスという音楽による祝祭空間を守っていかなくてはという強い思いが私たちにはあります。

 

どのような形だとしても、どのような出演者だとしても、音楽フェスを文化としてもビジネスとしても続けることを今は大切にしているのだろう。

 

コロナ禍によって全てが壊されて新しくスタートを切らなければならない現状の今。目新しさのない常連組中心の出演者たちを発表したことは、ここ数年間一緒にフェスを作ってきた仲間と、これからも音楽フェスを守るという意思表明の意味があるのかもしれない。

 

今回だけでなくコロナ禍以前からロッキング・オン主催フェスは、出演者のラインナップが批判されることが多かった。

 

例えば「集客力がないのにDragon AshやNICO Touches the Wallsはいつまでメインステージに立たせるんだ」とか「アジカンやサカナクションや[Alexandros]はトリが多すぎる」などなど。

 

それらが理由で代わり映えしないラインナップになっている部分もあるので、批判されることは理解できる。しかしそこには音楽フェスを通じて伝えたい、ロッキング・オンがとしての意思や想いがあると思う。

 

新しい音楽を紹介したりフックアップすることは必要だ。それと同時に時代を作った過去の音楽をリスペクトすることも大切だ。古くなったからと切り捨て、冷遇することが健全だとは思えない。

 

2019年に行われたROCK IN JAPAN FESTIVALで、メインステージの大トリはDragon Ashだった。

 

正直なところ、今のDragon Ashにフェスのメインステージを埋めるほどの集客力はない。その日もフロアはガラガラだった。一回り小さいキャパで十分なほどだった。

 

それでも彼らは大トリに相応しいと感じる、素晴らしい内容のライブを行っていた。最後にKjが「自分たちを育ててくれたフェスです。お世話になりました」と言って頭を下げた姿が忘れられない。主催者にとってもバンドにとっても、特別な想いが込められたステージだったのだろう。

 

日本のロックシーンの一時代を築いたバンドへのリスペクトや、一緒に音楽フェスの歴史を作ってきた仲間への感謝を表明するため、大トリとしてブッキングしたのだと感じた。

 

きっと全盛期の人気を知らない若者でも、偶然ライブを観た人もいるだろう。彼らにもきっと、Dragon Ashの偉大さが伝わったはずだ。

 

「代わり映えしないメンツ」「今の音楽シーンから遅れている」などと言われるかもしれないが、それは彼らがフェスに出演し続けて音楽シーンやフェスを盛り上げてきたからこそ「代わり映えしない定番のメンツ」になれたのだ。

 

長年続けているからこそ、最新ではなく定番のアーティストになれたのだ。そこにリスペクトを持つことも必要だ。

 

音楽シーンやトレンドの話を出して、140文字のツイートに収まる文字数で「つまらない出演者ラインナップだ」と批判する人は多い。

 

客観的な視点から語っているつもりだろうが、実際は主観的な立場で語っていると感じる。「自分の好みに合わないから微妙なラインナップだ」と包み隠さずに正直に告げればいいはずだ。自分を守るために客観的に正しいという装飾を付けたがる。

 

反射的に自分の気持ちの向くままに批判することは簡単だ。「嫌い」という感情は共感されやすい。だから反応は大きい。

 

同じ気持ちの仲間を見つけることは、安心するし心も平穏になる。場合によっては「好き」を共有するよりも「嫌い」を共有して共感し合う方が、仲間も見つけやすく楽しいかもしれない。

 

しかしそこに生産性はない。敬意や愛も感じない。誰かを傷つける危険性だってある。物事の背景を想像したり、理由や現実について考えたり、言葉や意見を発することの恐ろしさを知ることも必要だ。

 

自分も気軽に批判やヘイトをツイートしてしまうことがある。その都度反省し後悔する。

 

時には批判も必要だ。それがより良いものを作り出すきっかけにもなる。何もかも賛美する必要は無い。

 

それでも、だからこそ、批判をする時は慎重になる必要がある。気軽な批判は内容がなく、本人が気づかずにただの暴言や誹謗中傷になっている場合も多い。その言葉は暴力になっていないか、よくよく考えるべきだ。

 

インターネットでの発信にフォロワーの人数は関係ない。ネットの海に言葉を投稿すれば、きっかけさえあればSNSのフォロワーが0人のアカウントだとしても拡散され、影響力を持つ言葉になってしまう。読者が0人のブログでも注目され炎上の火種になることもある。

 

インターネット及びSNSは、何もかもが自由な場ではない。社会の一部だ。日常の一部だ。人との繋がりによって成立している世界だ。

 

自由に好き勝手ネット上に投稿したいならば、フォロワー0人の鍵アカウントを作るしかない。気軽に批判やヘイトを共有し共感し合いたいならば、友人と少人数の飲み会を開けば良い。

 

批判をする時は慎重に。言葉の暴力性を理解すること。それを意識するべきだと思う。自分も完璧にはできていない自覚がある。自戒をこめて、気をつけたい。

 

自分が気に食わないと批判した対象の裏側には、様々な意味があって想いを持って動いている人達がいる。それを忘れてはいけない。無責任な批判は、言葉の暴力だ。

 

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