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映画『空の青さを知る人よ』で最も空の青さを知っている人は誰なのか? ~レビュー・感想 ~

開始3分で感じた衝撃

 

外のベンチに腰掛けてベースを抱えて座っている主人公のあおい。VOXのヘッドホンアンプラグをベースに挿し、イヤホンを耳につける。そして1人演奏を始める。

 

映画「空の青さを知る人よ」のオープニングでの場面。始まって3分ほどしか経っていないシーン。まだどのような物語かもわかっていない状況。

 

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それでも、このシーンを観て「この映画は名作だ」と確信した。このシーンだけでも沢山のこだわりが詰まっていると感じたからだ。

 

例えばアンプラグをベースに挿した時の音。自分が使う時と同じ音がした。リアルな音だった。

 

主人公がイヤホンを耳に入れた瞬間もリアル。外の雑音が遮断される。でもほんの少しだけ雑音も聞こえる。そこにリアリティを感じる。

 

「空の青さを知る人よ」はアニメ映画。ファンタジー要素も強い内容。しかし細部にこだわっていて、そこに現実のようなリアリティを感じる。

 

ファンタジーと現実の中間な雰囲気。不思議な世界なのに一瞬で映画の世界に入り込んでしまう。

 

そしてオープニングのシーンが物語において重要な伏線だとも後々気づく。伏線になる部分は台詞ではない。主人公・あおい演奏するベースの音が伏線になる。

 

音が伏線になる。このような伏線を貼る映画は音楽が絡む映画でも珍しいと思う。

 

描写だけでなく物語としても、とんでもなく細部にこだわっているのだ。

 

音楽へのこだわり

 

オープニングを観ただけで楽器の音と演奏が丁寧に表現されている映画だと確信した。

 

丁寧と言うのは絵が綺麗とか音が綺麗と言う意味ではない。細部にこだわってリアリティのある表現をしているということだ。

 

例えばあおいのベースを弾く指の動き。1つ1つの指の動きの描写が細かい。現実の人間のように滑らかに指が動く。指の動きにしっかり連動してベースの音も鳴る。

 

まるで本当に現実の人間が演奏しているようなリアリティ。

 

映画内では様々な場面で演奏がされる。オープニングのヘッドホンアンプラグでの演奏だけでなく、神社の御堂、ライブハウス、駅前、リハーサルスタジオなどなど。

 

シーンごとに音の響きが違う。

 

神社の御堂での演奏ではアンプからのノイズも聴こえる。弦で指を滑らせた時の音や弦が振動する音も。アンプにシールドケーブルを指す音もリアル。自分が楽器を弾いている時と同じような、生々しさを感じる音。

 

ライブハウスでは低音も響きバンドの音が荒々しく混ざり合うような爆音。

 

リハーサルスタジオでは演奏者それぞれの楽器の音が綺麗に響き、バンドとして音が合わさった時もまとまっている。

 

音楽が関わっている映画ではあるが、音楽映画では無い。

 

主人公のあおいや主要人物の慎之介は楽器をやっているが、話の本筋は音楽ではない部分にある。本来はこだわる必要がない部分かもしれない。

 

しかし「音」にこだわるからこそ物語に深みが増すのだ。それは映画の進展によりわかる。

 

音で伝える伏線

 

文字にすることのできない「音」によって物語の重要なメッセージや伏線を表現していた。

 

オープニングのあおいの演奏に様々な意味が込められているように思う。

 

あおいがベースで弾いていた曲はゴダイゴのガンダーラ。慎之介たちが高校生の頃にバンドでカバーしていた曲。

 

ガンダーラ

ガンダーラ

  • ゴダイゴ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

ガンダーラは作品中で何度か出てくる。物語において重要なポイントで何度も。

 

そこに行けば

どんな夢も叶うというよ

 

特にこの歌詞のフレーズは物語のメッセージとしてリンクする意味を持つような使われ方がされている。

 

あおいのベースはメロディを奏でるように演奏している。

 

ガンダーラは歌のメロディをなぞるようにベース演奏していた。曲を知っている人は「ガンダーラを弾いている」と気づける仕組みになっている。

 

リズムを乱さずにバンドをサポートすることがベーシストの基本ではある。しかしあおいのベースプレイはリズムも乱れるしギターソロを弾くような演奏スタイル。オープニングの1人での演奏でも少しづつテンポが早くなっていたように思う。

 

序盤で幼少期のあおいが慎之介にギターを教わっている場面がある。弾いていた曲は「ガンダーラ」。慎之介はギタリストだ。そのため慎之介から演奏を教わったあおいはギタリストのような演奏スタイルになったのだと思う。

 

慎之介に対して憧れていることが演奏スタイルから伝わる。

 

高校生のあおいは演奏のテンポが乱れることやベースなのに独りよがりで目立っていることについて大人になった慎之介に指摘されていた。

 

慎之介から指摘される前の演奏シーンではテンポが乱れたり荒々しい演奏になっているシーンが多い。オープニングのシーンもそれに当てはまる。

 

それまでの演奏シーンを観てから慎之介の台詞を聴くことで、台詞に説得力を強く感じるようになる。

 

それからはメトロノームを使って練習をするようになる主人公のあおい。その後の演奏はテンポを意識した演奏になり、ベーシストとして成長したことも感じる。

 

このように台詞ではなく音楽によって伏線を作り回収し、登場人物の成長やキャラクターを伝えている。

 

「空の青さを知る人よ」では説明をするような台詞は少ない。その代わり細部にこだわることで自然と物語に入り込める仕組みになっているのだ。

 

空の青さを知る人よ

 

井の中の蛙大海を知らず

されど、空の青さを知る

 

劇中であおいの姉のあかねの卒業文集に書かれていたあかねの言葉。

 

「井の中の蛙大海を知らず」とは自分の狭い知識や考えにとらわれ自分の知らない広い世界があることを知らないことを表すことわざ。

 

「されど空の青さを知る」はこのことわざに後から付けられた続き。狭い世界で一つのことを突き詰めたからこそ、深いところまで知ることができたという意味。

 

そして映画のタイトルとして引用された言葉。この映画には空の青さを知る人が何人か出てきている。

 

慎之介も空の青さを知る人だと思う。

 

井の中の蛙だった慎之介は地元を離れ東京という大海へ出た。しかし「そこに行けばどんな夢も叶う」と思い込み東京に出るという考えは、自分の知識や考えに囚われた「井の中の蛙」な考えかもしれない。

 

しかしギターをさらに上達されプロのギタリストになった。ギターを突き詰めて深い知識を得た空の青さを知る人だ。

 

あかねも空の青さを知る人だ。

 

地元に残り就職し他の土地を知らない井の中の蛙。その代わり地元で妹を1人で育て上げた。そのために料理や家事や裁縫も寝る間を惜しんで練習し上達した。それも映画では描かれている。

 

あかねはあおいを立派に育てたことによって空の青さを知る人になった。

 

あおいは空の青さを知る人ではないかもしれない。しかし映画内でベーシストとしても人間としても成長をしている。

 

あおいが空を見て空の青さについて話す場面はいくつかある。どれもがあおいは何かしら前に進んだり、そのきっかけになっているように感じる場面。

 

「空の青さを知る」という言葉には様々な捉え方ができるとは思う。映画の内容や含まれたメッセージの感じ方も人それぞれ違うかもしれない。

 

それでもこの映画を終わってこら今までの自分を褒めてあげたくたなったり、明日から頑張ろうと思えた人が多いのではと思う。

 

良い映画は観終わった後に何か自分を奮い立たせるような感情を起こさせる作品が多いと個人的に思う。「空の青さを知る人よ」は自分にとってそのような映画だった。

 

映画内で最も空の青さを知る人は誰か?

 

「空の青さを知る人よ」は細部までこだわって作られている。この記事で書いたように演奏シーンを1つ取り上げるだけでも様々なこだわりを感じる。

 

この映画を作った人達が「井の中の蛙」だとも「大海を知らない人」だとも思わない。

 

しかし「空の青さを知る人」によって作られた映画ではと思う。

 

1つのことを深く突き詰めたからこそできる表現で溢れている。絵も音楽も脚本も。なにもかも。

 

そんな人たちが集まって作った作品に感じた。だからこそ作り込まれた作品で多くの人を感動させているのだと思う。

 

「空の青さを知る人よ」の物語に心を動かされ、メッセージに説得力を感じる理由は、この映画で最も「空の青さを知る人」が登場人物ではなく、映画の制作陣だからかもしれない。

 

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「空の青さを知る人よ」オリジナルサウンドトラック

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