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年間ベストアルバムを選ぶことは暴力的で危険なことかもしれない

「そういえば、去年はベストアルバムに何を選んだんだっけ?」

 

今年の個人的な年間ベストアルバムを決める前に、ふと去年自分が選んだアルバムが気になった。

 

自分で選んだはずなのに、何を選んだのかすぐには思い出せなかった。どのような評価や順位を付けたのかも忘れていた。

 

 

去年の文章を読み返して、ようやく思い出した。

 

それと同時に自分は、音楽に対して真摯ではなかったと反省した。順位だけでなく選んでおいて内容を忘れている作品もあった。

 

自分はその場のノリと気分で音楽を消費するように、気軽に選んでいたのだ。

 

ブログやSNSで誰もが気軽に発信できるようになった現代。音楽ファンがそれぞれの「年間ベストアルバム」を選んで発表することが定番となり、年末の風物詩となっている。その流れに乗るように、自分も毎年発表していた。

 

他人の年間ベストを知ることは楽しい。趣味嗜好が合わない相手が選んだ作品でも、興味深く読んでしまう。

 

自分が聴き逃していた新しい音楽と出会えることもある。それによって聴く範囲が広がった経験もある。同様に自分の年間ベストを発表し、好きな音楽を共有できることも嬉しい。

 

しかし自分がそうであったように、深く音楽を聴かずに順位をノリで決める人も少なくないと感じる。

 

音楽知識やアピールしたり情報量でマウントを取ることで、自分の承認欲求を満たすために音楽を消費し利用している人もいるように見える。

 

数十枚のアルバムを選んでいる人は、その全ての作品をどこまで聴き込んだのか疑問に思うことも少なくはない。

 

それは音楽雑誌や音楽番組などのメディアに対しても、思っている部分だ。メディアの選ぶ年間ベストは誰がどれほど深く聞いて選んだものなのだろうか。

 

「音楽を聴くこと」を楽しむのではなく、「年間ベストを決めること」を目的として楽しんでいる人もいるだろう。

 

自分は無意識ではあったが、そのような節はあった。音楽を消費していた。

 

音楽の楽しみ方は自由だ。

 

リスナーが消費するように音楽を聴くことも自由だし、順位を決めたり点数を付けることも、もちろん自由だ。それはアーティスト本人や音楽関係者だとしても、文句を言うことはおかしいと思う。

 

しかし気軽に決めた順位や点数を「インターネットで発表すること」は責任を伴うはずだ。気軽に無邪気におこなわれるそれらの行為は、暴力性を秘めていて危険だと感じる。

 

自分が去年発表した『年間ベストアルバム』では、ポール・マッカートニーよりもSexy Zoneのアルバムを上位にしていた。

 

それに対する反応の中に「ポールよりもセクゾの方が凄い!」というような反応があった。

 

実際にポールが下の順位になっているランキングだ。そう思われても仕方がないし、そう思った人に罪はない。悪いのは自分だが、意図した伝え方ができなかった。

 

音楽はスポーツのように、勝ち負けや順位を明確に付けられるものでは無い。売上枚数で順位を決められるとしても、作品の出来不出来には個人の趣味嗜好が強く影響する。誰かにとっての名作は誰かにとっての駄作にもなる。エンタメや芸術とは、そういうものだ。

 

年間ベストはその前提条件がある上での「個人的な順位」ではあるが、他人に読まれた瞬間にそんなことは関係なくなる。

 

音楽の受け取られ方が聴き手に委ねられるように、不特定多数に読まれる文章の受け取られ方も読み手に委ねられる。自分は気軽に無邪気に順位を付けてしまっていた。そのせいで意図しない受け取られ方をされてしまった。

 

一般人が気軽に発表した内容が伝言ゲームのように伝わり拡散されることで、切り取られて勘違いされたり、不要な権威や悪影響を持ってしまうことがある。

 

それは書き手の知名度もSNSのフォロワー数も関係ない。ネットの海に公開すれば、誰が書いたとしてもそのような可能性を持ってしまう。

 

例えば映画のレビューは、その傾向が特に顕著だと思う。

 

ネット上には気軽に点数を付けられる映画レビューサイトがたくさんある。SNSやブログでも好みに合わなかった作品を批判する文化が強い。

 

実際に作品を観ていない人も感想は書けるので、俳優や監督のアンチが低評価を付けていたり、ファンが過剰に評価を上げている場合もある。

 

それでも自分は気軽に書き込まれたレビューを参考にして、観る作品を決めることが多い。もしかしたらレビューを参考にすることで、出会う映画の数やジャンルを狭めている可能性があるかもしれない。実際に観ていない人が、レビューを読んだだけで「駄作」と決めつけてしまうことだってある。

 

レビューやランキングは新しい作品に出会う可能性を拡げることもあるが、逆に狭めてしまうこともある。特定の作品への偏見を生むこともあるし、視野を狭めさせる理由になる場合も少なくはない。

 

音楽も同様で、特に『年間ベストアルバム』を決めて発表することは、伝え方や発表の方法によって与える影響が変わってくる。

 

適当に選び気軽に並べたランキングによって、アーティストや作品にマイナスの影響を与えてしまうこともある。

 

特定のアーティストの作品の中で好みの曲を並べるならまだしも、洋楽も邦楽もジャンルもごちゃ混ぜで比較し順位を付けることは、暴力的なことかもしれない。それは食べ物という共通点だけで、カレーとラーメンがどちらが優れた食べ物かを選ぶようなものだ。

 

不特定多数の人が選んだベストをまとめてランキングにするパターンもあるが、これも恐ろしいことだ。数の暴力によって個人のランキング以上に、不要な権威を持ってしまう。

 

発表することを前提とした評価や順位は、慎重に丁寧に行うべきだ。良くも悪くも影響力を持ってしまう可能性があると意識するべきだ。

 

音楽に順位や点数をつけることは、プレイリストを作ったり個別に評価したり紹介することとは似て非なるものなのだと意識すべきかもしれない。

 

とはいえ年間ベストを選ぶことを、悪だとは思っていない。

 

音楽ファンが盛り上がって作品を改めて評価することで、埋もれていたアルバムが注目されたり話題作の隠れた魅力に気付かされることもある。新しい音楽との出会いもある。

 

それは素晴らしいことだし、音楽ファンによって音楽業界が盛り上がるきっかけになることもある。メディアがプッシュしたり事務所やレーベルがゴリ押しするよりも、ファンの声や評価こそが音楽が拡がるためには大切なことだ。

 

当然ながらアーティストや作品へのリスペクトを感じる『年間ベスト』を発表する人も沢山いる。音楽に対して真摯でありつつも、大量の作品を深く聴いて丁寧に評価する姿勢は尊敬している。

 

今年も自分は多くの音楽ファンの『年間ベスト』を楽しみながら読むだろうし、自分も『年間ベスト』と言えるブログを書くと思う。

 

順位を付ける度胸はなくなったし数十枚選ぶ覚悟はないので、できる範囲で自分の胸に刺さった名盤を振り返りたい。

 

音楽の聴き方は自由だ。評価の方法も取り扱い方も自由だ。大切にしようが消費しようが利用しようが自由だ。

 

でも、できれば、自分の身勝手な意見なので従えという命令ではないけれども、音楽を愛する人には慎重に丁寧に音楽を扱って欲しい。もちろんこれは自分にも言い聞かせる意味としても書いている。

 

自分はもっと真摯に音楽を聴こうと思う。