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スピッツの歌詞には作り手の人間性が滲み出ている

草野マサムネは、時折、ふわふわした歌詞を書く。綴る言葉も表現方法も、ふわふわしていて掴みどころがない。どっちつかずな内容もある。

 

例えば『チェリー』の〈ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ〉というフレーズ。ここに辿り着くまでの歌詞の文脈や流れは別として、この言葉だけがスっと耳に入ってきた時、「結局ズルいのか真面目なのかどっちだよ」と思う。ふわふわしていて、どっちつかずだ。

 

チェリー

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しかも〈気がしたよ〉というふわふわした言葉でフレーズを締める。そもそも誰もが知るこの曲の最初のサビの名フレーズも〈愛してるの響きだけで 強くなれる気がしたよ〉だ。実際は強くはなっていない。ちょっと気分が良くなっただけだ。

 

他のバンドなら聴いた者の背中を押すような、力強くて前向きな言葉で〈愛してるの響きだけで強くなれるはず〉と断言するかもしれない。もしくは優しい言葉で〈愛してるという響きだけで強くなれるよ〉と肯定するだろう。しかしスピッツは断言しないし、100%の皇帝もしない。ふわふわしていてどっちつかずだ。しかし、そんなスピッツの歌詞だからこそ、救われる人もたくさんいる。

 

人間の感情も思考も人生も、正しいか間違いかを、白か黒かではっきりわかることができない。だから一方的な断言する言葉は、強引に押し付ける言葉にもなり得る。スピッツはふわふわしている代わりに、強引に押し付けはしない。

 

ずっとズルい人はいないし、ずっと真面目な人もいない。その中間の時もある。そうやって人間はなんとか生きている。そんな人間の本質であり複雑な部分を〈ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ〉というたった一言で、草野マサムネは表現してしまった。断言しないからこそ、説得力を持つ言葉になっている。

 

ふわふわした表現を使うのは、人間の深い部分を理解しているからかもしれない。人間の行動は単純ではないし、感情の動きも複雑だ。人の数だけ人生がある。実際はふわふわしているのではないく、答えがないことに対して言葉を尽くし、全ての人を肯定するための言葉を紡ぎ、歌詞として表現しているのかもしれない。

 

そして言葉の力信じているからこそ、表現に気を使っているのだとも思う。〈愛してるの響きだけで 強くなれる気がしたよ〉という歌詞も、そうでなければ出てこないフレーズだ。

 

一般的には愛してるという実感を求める。しかしスピッツは言葉を信じているからこそ〈愛してるの響きだけで 強くなれる〉という〈響き〉の凄さを歌っているのだろう。そんな言葉を音楽に乗せて歌うことで、言葉は力を持っていることを、説得力を持った形で伝えている。『チェリー』のシングルが160万枚を売上げ、YouTubeでMVか1億回近く再生されていることが、聴き手に伝わっている証拠だ。

 

それでもやはり〈気がする〉と確信を持たない言葉で締めるところは、スピッツらしい。言葉の力を信じているからこそ、簡単には言葉で確信をつかないし押し付けない。

 

そして人間の感情や行動がどのように移ろいだとしても、変わらない世の中があることについても書くことが多い。その綴られた歌詞はどれもが、嘆くわけでもなくプラスに捉えるでもなく、当然の事として達観しているようだ。例えば『初恋クレイジー』の〈優しくなれない時も 優しくされない時も 隠れた空は青いだろう 今のまま〉という歌詞がそれに思う。

 

前向きなわけではない。かといって後ろ向きでもない。ただただ変わらないものについて歌っている。それなのに希望を感じる言葉になっている。それは〈青空〉を希望の象徴として比喩していることが大きな理由だが、それと同じぐらいに変わらないことをただただ歌っているからだ。

 

辛い思いをしている人や苦しい状態の人に前向きな言葉を力強く伝えても、それは希望にはならない。むしろ苦しめてしまう。悪意がないとしても無意識に伝える「がんばれ」は暴力的で無責任な言葉なのだ。言葉には力がある。力があるからこそ人を傷つけることもある。それをスピッツは理解しているから、彼らは気軽に前向きな歌はうたわない。

 

ではスピッツが前向きな言葉を歌うときは、どのような時なのか。それは「人生はふとした瞬間にプラスに働くこと」を歌う時だ。

 

例えば『君は太陽』の〈こぼれ落ちそうな 美しくない涙 だけどキラッとなるシナリオ〉という歌詞。

 

君は太陽

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自分の感情や行動に反比例して、思わぬ幸せが訪れることを歌っている。努力だけではどうにもできないことはあるが、人生は常に下り坂ではない。どん底から予想外のどんでん返しが起こることもある。そんなことをふわふわした表現で包み込みつつつも、しっかりと着実に伝わる言葉で歌にしている。

 

『スピカ』の〈幸せは途切れながらも続くのです〉とう歌詞もそうだ。

 

スピカ

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現状が不幸なわけではなく、幸せが途切れているだけという発想の歌詞に、救われた人はたくさんいるだろう。力強く「絶対に幸せになれる」「生きていればいいことがある」と歌われるよりも、本当に辛い経験をしている人には響く歌詞ではないだろうか。

 

そしてスピッツにしては珍しく〈続くのです〉と断定した言葉を歌っている。言葉を大切にしているバンドが、このような歌詞を書いた時、そこに重みと説得力が加わる。それも聴き手に希望を与える理由だろう。

 

ただそんなスピッツも、時折、力強く真っ直ぐな言葉で歌う時がある。

 

『醒めない』のサビがそうだ。この曲では〈任せろ 醒めないままで君に 切なくて楽しい時をあげたい〉と歌っている。いつもはふわふわしていて、断言することは少ないのに、〈任せろ〉と力強くファンを引っ張っているようだ。

 

醒めない

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スピッツはこのサビで、自身のことについて歌っているのかもしれない。

 

彼らは音楽に対しては、絶対的な自信を持っているはずだ。だからこの歌詞は、ファンに向けて自信を持って音楽を届ける宣言なのかもしれない。実際にスピッツは〈切なくて楽しい時〉を与えるバンドであり続けているし、たくさんのファンがそれを受け取っているのだから。

 

そもそもスピッツ自身ののバンド活動は、何もかもが理想通りに上手くいったわけではない。日本を代表するベテランロックバンドではあるものの、もともとはパンクロックをやっていた。現在の音楽性とは全然違う。

 

草野マサムネは甲本ヒロトや宮本浩次への憧れを語ることは多かった。かつてのインタビューでは「有線で宇多田ヒカルの後にスピッツが流れて、カッコよさで負けた気がした」という趣旨の話をしていたし、『隼』というアルバムをリリースした際は「激しい音楽をやろうとしても、自分たちにはナンバーガールにはなれない。だから自分たちのやり方でやった」と後輩への憧れすらも語っていた。だから活動当初に思い描いていたバンドの姿とは違うのかもしれないし、全てが理想通りの音楽ができているわけではないのかもしれない。できないことがあることも理解しているのだ。

 

それでも自分たちの音楽を突き詰めてたくさんの名曲を作ってきたし、唯一無二の個性を持つバンドへと進化した。まるで自身の作ってきた歌の内容を体現したかのような軌跡をスピッツは辿っている。〈幸せには途切れながらも続く〉ということを自身が体感したからこそ、彼らの音楽には説得力があるのかもしれない。

 

そんなバンドに〈任せろ〉と歌われては、スピッツにずっと着いていくに決まっている。ロック大陸の物語を一緒に育てたくなるのは当然だ。

 

「作品と人間性は別」という意見を見かけることもあるし、それは間違いだとは思わない。しかし人間性が滲み出た作品は、他にはない唯一無二の魅力が生まれるものだとも思う。

 

スピッツの音楽には人間性が滲み出ている。だから多くの人の心を掴み続けている。これがスピッツの大きな魅力な、気がしたよ。

 

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