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サンプリングを止めたCreepy Nutsと、サンプリングを大胆に取り入れた米津玄師について

2020年。Creepy Nutsは『かつて天才だった俺たちへ』というEPをリリースした。この作品以降、彼らの創る音楽が、少し変わったように思う。

 

おそらく楽曲の制作方法を変えたからだろう。このEP以降、彼らは「サンプリング」をほとんど行わずに楽曲を制作しているのだ。

 

理由については2020年8月25日に放送された『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』の中で語られていた。要点をかいつまむと「サンプリングは早めに許可を取って作業しなければならないが、今の自分たちのスケジュールの早さでは、それが難しい」ということらしい。最近の曲については「もしも似ている曲があっても、それは偶然似てしまっただけでサンプリングはしていない」とも語っていた。2022年7月24日に放送された『トータス松本のGot You OSAKA』にDJ松永がゲスト出演した際は、はっきりと「今はサンプリングをしていない」と断言している。

 

「サンプリング」とは既存の楽曲や録音の一部を引用し、それを使って新しい楽曲を制作する手法だ。ヒップホップの楽曲制作としては、王道かつ一般的な手法であり、文化のひとつである。

 

かつてのCreepy Nutsはサンプリングを多用していた。彼らはヒップホップの王道的な制作を、丁寧になぞりながら行っていた。そのため新曲が出る都度、ファンは「サンプリング元の楽曲は何か?」を分析したり探したりしていた。ファンにとっては楽しみのひとつだった。

 

それをあえて捨てたのである。その代わりJ-POPの雛形に合わせた制作をするようになった。

 

おそらくメジャーデビューしたことが転機だった。メジャーデビューシングル『高校デビュー、大学デビュー、全部失敗したけどメジャーデビュー。』て、サンプリング元の許可がなかなか取れず、発売が延期したのである。結果的に、延期したものの内容を変更して発売された。

 

当然ながら他人の楽曲を勝手に使ってはならない。サンプリングするならば、引用元の許可が必要だ。簡単に許可されるとは限らないし、許可されるまで時間がかかることも多い。締切があったりスピード感を重視して楽曲を発表したいならば、サンプリングは効率が悪く面倒くさいのだ。

 

ただCreepy Nutsがサンプリングを止めた最も大きな理由は、他にあると思う。おそらく「ヒップホップを日本に拡げること」を最重視し「J-POPとしてのヒップホップ」を行う覚悟を背負ったからだろう。

 

サウンド&レコーディング・マガジン2022年11月号で、DJ松永はこのような趣旨の発言をしていた。

 

 

海外は2コードでワンループみたいな、理論は関係なく感覚でかっこいいと思える曲が売れる。

 

でも日本はJ-POP的な雛形ギチギチで、音楽理論を勉強した人の完成度が高い曲がチャートに入る。そこは避けて通れない。

 

かつては音楽フェスに出る都度「俺たちをヒップホップの入口にして、色々なヒップホップを聴いて欲しい」と語っていた。

 

自らがキャッチーな存在であることを理解し背負っていた。そのうえで彼らは心の底からヒップホップを愛していて、自分たちだけでなくヒップホップを多くの人に広めたいのだろう。それを活動の指針のひとつにしているのかもしれない。

 

実際に『かつて天才だった俺たちへ』以降、JPOPの雛形に当てはめたような楽曲が増えた。

 

メジャー2ndアルバム『Case』の収録曲もサンプリングしたものはない。音数が多くドラマティックな展開になるサウンドが多かった。リリックも真っ直ぐで前向きなメッセージをリスナーに送る内容が増えた。『のびしろ』や『Bad Orangez』はその筆頭だろう。

 

3rdアルバム『アンサンブル・プレイ』ではさらに音楽性は雑多になり幅広くなったものの、やはりJPOPの雛形に当て嵌められた、派手で華やかで音数が多いサウンドが中心である。収録曲の『堕天』やYOASOBIとコラボレーションした『ばかまじめ』は、特にJPOPのテイストが強い。楽曲構成もAメロ、Bメロ、サビという王道JPOPの雛形だ。

 

リリックも変化した。ヒップホップはリアルを歌うことが常識であり文化だが、今作のリリックは「フィクション」が多く、ストーリーを綴るような内容が多い。J-POPのアルバムとしてはクオリティは高いが、コアなヒップホップファンから批判されても仕方がない作風ではある。

 

いつしか「ヒップホップの王道」な楽曲制作をしていたCreepy Nutsは、「JPOPの王道」な楽曲制作をする音楽ユニットになった。

 

その方向性は間違いではない。実際に彼らの音楽は、今までヒップホップに興味がない層にまで届いた。ヒップホップを聴くようになったきっかけがCreepy Nutsだった音楽リスナーは少なくはないだろう。

 

しかし今のCreepy Nutsは「JPOPの雛形に合わせること」を意識しすぎてはいないかと、少し心配になる。雛形に合わせることを意識しすぎて、作る音楽の幅を狭めてはいないだろうか。彼らは「まだまだヒップホップを広められていない」と思っているかもしれないが、以前と比べるとヒップホップは多くの人に広まり愛される音楽になったと思う。ライトなヒップホップファンは莫大に増えた。

 

そろそろ次の段階に進むタイミングではないだろうか。J-POPリスナーの中からコアなヒップホップリスナーを生み出す段階だ。J-POPの雛形にヒップホップを合わせるのではなく、ヒップホップの雛形をJ-POPに食い込ませることが可能な時代になったと思う。

 

そういえば米津玄師の新曲『KICK BACK』は、J-POPとしては珍しくサンプリングをしている。

 

KICK BACK

KICK BACK

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

サンプリング元はモーニング娘。『そうだ!We're ALIVE』。〈努力 未来 A BEAUTIFUL STAR〉という歌詞と一部のメロディを引用しているのだ。

 

その理由についてはタイアップ元のアニメ『チェーンソーマン』の時代設定がモー娘。がデビューした1997年であったことや、原作85話のタイトルが『超跳腸・胃胃肝血』で、それが『恋愛レボリューション21』の歌詞をオマージュしていたからなど、様々な考察がされている。

 

それが事実かはわからないが、コアなファンや調べなければわからない理由でサンプリングを取り入れることが、ユーモアと愛を感じるので最高だ。このうように「文脈がありリスナーが想像や分析ができるサンプリング」はヒップホップの文化に近い。

 

当然ながらサンプリングには許可がいる。『KICK BACK』でサンプリングを取り入れることができたのは、作詞作曲者のつんく♂が許可をすぐに出してくれたからだ。米津玄師は運が良かった。Creepy Nutsは許可が降りることが遅くなり、サンプリングを諦めた過去があるのだから。

 

楽曲も素晴らしい。King Gnu常田大希が編曲に入ったこともあり、米津玄師とKing Gnuのコラボレーションと言っても過言ではないほどの、刺激的なサウンドの攻めた楽曲になっている。

 

演奏に関してはロックの文脈をなぞっているものの、中盤で壮大なストリングスが鳴らされたりと、一筋縄ではいかない斬新な編曲となっている。イントロと間奏がないことも面白い。この楽曲は約3分10秒あるが、ボーカルが途切れることがない。常に歌が聴こえる楽曲なのだ。これによって歌の勢いが増し、リスナーのテンションが最初から最後まで常にハイになれる。

 

米津玄師はタイアップ曲が多いしメジャーシーンで活動しているので、多くの人に聴かれる音楽を作ることは意識しているとは思う。制作において大人の事情や縛られる条件もあるだろう。

 

しかし彼は「J-POPの雛形」に当てはめることは意識していないように見える。むしろそんな雛形を壊そうとしているのではないだろうか。その上で関係者が納得するクオリティの作品を作っているように見える。彼は新しいJ-POPの雛形を作っているのだ。

 

そもそも米津玄師は楽曲をリリースするごとに、J-POPの雛形とは違う楽曲でヒットを飛ばし、J-POPをアップデートし続けている。

 

例えばKing GnuやOfficial髭男dismや藤井風のように、ビートの力強さが印象的な編曲のJ-POPがヒットするようになったのは、米津玄師の存在が間接的には影響しているはずだ。今ではこちらがJ-POPの雛形になりつつある。

 

Aメロ、Bメロ、サビの構成で、音を重ねて華やかにして聴かせるJ-POPの雛形は、過去のものになりつつある。この雛形が悪いとは思わないし、この雛形だからこその名曲もあるとは思う。Creepy Nutsの『堕天』は雛形に当て嵌められているが、自分は好きな曲だし名曲に思う。

 

しかし本当の意味でJ-POPシーンに大きな爪痕を残すのは、雛形をぶち壊す音楽ではないだろうか。過去を遡ってみてもそうだ。例えばDragon Ashや宇多田ヒカル、椎名林檎がヒットした時、J-POPの雛形が大きく変化した。サザンオールスターズの登場も衝撃的だったという。

 

そのような変化が定期的にやってくるし、その変化に対応できなかったり、変化を作り出す側に行けなかった者は、ヒットしても一時的なブームとして消費されてしまうだろう。

 

自分はCreepy Nutsに期待し続けている。彼らのメジャーデビュー時は「何かを変えそう」な雰囲気を強く感じたし、実際にメジャーデビューを皮切りに変えてきた。だが最近は多くの人に愛されるアーティストになったものの、以前の「何かを変えそう」という雰囲気は無くなった気がする。それは「J-POPの雛形」を意識しすぎたからではないだろうか。

 

許可を取ることは難しいかもしれないが、サンプリングを取り入れた楽曲をどんどん作っていいと思う。海外のように2コードでワンループの曲を作ることも良いと思うをそのような音楽だとしても、Creepy NutsならJ-POPシーンに食い込むカッコいい曲を作れるはずだ。そのようなものではなく、もっと違った新しいアプローチもあるかもしれない。

 

2人はJ-POPの雛形に合わせるような器ではない。J-POPの雛形を作る立場のヒップホップアーティストだ。さらに自由になったCreepy Nutsの音楽を聴きたいのだ。

 

ここに書いたことは本人たちも分かってはいるし、その上での今だとは思う。わざわざファンが心配することではないかもしれない。

 

でもだからこそ、J-POPシーンのCreepy Nutsが、時として主役を食っちまう瞬間を、自分はずっと期待している。