2022-09-05 アイドルのライブで客が声援やコールをする必要はないのでは? 乃木坂46 ももいろクローバーZ 私立恵比寿中学 コラム・エッセイ ももクロのライブを観る都度、「モノノフ、めちゃくちゃうるせえな」と思っていた。 コールや歓声がメンバーの歌声をかき消すぐらいに大きいからだ。むしろファンの方がメンバーよりも声が大きいかもしれない。服装も全身推しメンカラーで揃えている人が多くて目につく。聴覚だけでなく視覚にもうるさい。 でもそれは「愛すべきうるささ」だ。ファンからはグループやメンバーへの愛を感じるし、ファンの声がライブを盛り上げる要素になっている。これがなければももクロのライブではない。そう思うほどにライブの重要な要素だった。これがあるからももクロのライブを観たあとは幸せな気持ちになるのだと思っていた。 しかし現在はコロナ禍。感染症対策のガイドラインに従ってライブを開催する場合、収容人数を50%以下にするなど特定の条件が揃わなければ観客が公演中に声を出すことができない。 そんな状況の中、自分はROCK IN JAPAN FESTIVAL202で久々にももクロのライブを観た。コロナ禍になってからは初めてである。 ロッキンでのライブ中に観客は声を出さなかった。誰もあーりんわっしょいしなかったし、あーりんはわっしょいされなかった。ほとんどの観客がルールを守っていたので、かつて当然にライブで存在していた観客の声は消滅したのだ。 それなのにももクロのライブは楽しかった。笑顔と歌声で世界を照らすような多幸感に満ちている。コロナ禍以前に観た時と変わらない、温かな余韻で胸が満たされた。 観客の声はライブを盛り上げる要素かもしれない。しかしライブの本質ではない。それに気づいた。ライブの本質はステージに立つメンバーのパフォーマンスやスピーカーから流れる音楽なのだ。それがあれば最高のライブを成立させることは不可能ではない。 むしろ観客が声を出せくなったことで、パフォーマンスの魅力がより伝わるようになった。歌声や演奏を雑音無しでしっかり聴けるし、ダンスや表情も集中して見ることができる。あーりんのセクシーさだって堪能できる。 ライブ中の観客の大声は「盛り上がっている雰囲気」や「わかりやすい一体感」を作ることができるが、ライブにおいて絶対に必要なわけではないのかもしれない。 そういえば私立恵比寿中学はコロナ禍以前から「コール・歓声禁止」「着席指定」「ペンライト禁止」というルールがある『ちゅうおん』というライブを定期的に行っている。 コロナ禍以前は今以上にアイドルのライブでは、観客の声は重要なものとして捉えられていた。そのためアイドルライブとしてはかなり特殊な禁止事項がある公演だ。 なぜこのようなルールを設けたかというと「音楽を純粋に楽しんでもらう」というライブコンセプトにある。 観客が声を出してコールや声援を送るライブは楽しい。しかしそれはライブで「騒ぐこと」を楽しむという、エンタメの要素も強い。「音楽を純粋に楽しんでもらう」というコンセプトを実現するには、観客の声は不要なのだ。 このライブは素晴らしかった。エビ中の音楽が素晴らしいことを改めて実感できる内容だった。「音楽を聴く」という部分に注力するならば、観客の声は必要ないし、むしろ邪魔になる。 コロナ禍によって声を出せない環境でのライブが増えた。それによって強制的ではあるが「音楽やパフォーマンスを純粋に楽しむ」ことに適した環境が生まれた。今までのアイドルライブの楽しみ方と形は変わったかもしれないが、音楽やライブの楽しみ方は多様ということを実感できた人も多いだろう。音楽を純粋に楽しむことの魅力も知れたはずだ。 とはいえ「ライブに参加し一緒に作っている」という気持ちには、なかなかなれない状態かもしれない。「参加する」という体験はライブだからこそ味わえるものでもある。それが失われることは寂しくもある。 観客の参加意識を作る手段の1つが「観客の声」だった。それが失われたコロナ禍のライブは「参加」というよりも「鑑賞」に近い部分がある。それは悪いことではない。だからこその楽しみ方はある。 しかし特にアイドルのライブは観客が積極的に参加するスタイルだったので、そこに違和感を覚える人は多いかもしれない。 そのため今もライブでは演者も客も一体感を欲してはいる。だから「声」の代替として「手拍子」がコロナ禍のライブで一体感を作り出すものとして、最重要なものとして扱われるようになった。しかし声を出すことと比べたら、やはり「参加している感覚」は薄まってしまう。 しかし先日、観客の大声を超える一体感や参加している感覚を覚えたライブに行くことができた。神宮球場で行われた乃木坂46の『真夏の全国ツアー2022』の千秋楽だ。 この日の中盤に披露された『Sing Out!』という曲のパフォーマンス時に、「手拍子が観客の声を超える一体感を作り出した」と思った。 Sing Out! 乃木坂46 J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes この曲は客席中央に設置されたセンターステージで披露された。ステージの中央には焚き火が置かれ、メンバーはそれを囲む様にして歌い踊る。 ステージの周囲は客席で囲まれている。まるで乃木坂46とファンが一緒にキャンプファイヤーをしているような感覚になる状況だ。 原曲とは違うアコースティックギターの音だけを使った編曲も良い。焚き火と同じぐらいに音色が温かい。 そんな中でアコースティックギターの音に合わせて観客が手拍子を鳴らす。手拍子に合わせてメンバーが笑顔で歌う。その雰囲気がたまらなく心地よい。 焚き火の灯りを活かすためか照明は薄暗かった。だからメンバーの姿も見づらい。しかも観客に背を向けて焚き火を見ているメンバーもいる。後半はメンバー全員が客席に背を向け、焚き火の方を向くタイミングもあった。齋藤飛鳥による間奏のソロダンスでは照明が落とされ、彼女のシルエットだけが浮かび上がる演出だった。 それでも明るい照明の曲やメンバーが花道やトロッコで客席に近づいた時よりも、ステージと客席とで心地よい一体感が生まれたと感じる。 それぐらいに『Sing Out!』では、乃木坂46と3万5千人の観客の心が一つになっていた。コールをしたり声援を送ることと同じぐらいに、ライブに参加している感覚になれた。 ステージと観客が一つになるためには、観客の声が必要とは限らない。なんなら手拍子でなくていい。手段はなんでもいいのだ。形や行動ではなく「想い」が大切なのだ。想いを共有し心をひとつにできた時が、自分は最高のライブになるのだと思う。 とはいえライブ前半は「参加」というよりも「鑑賞」に近いライブだったと思う。そんな雰囲気が大きく変わったのは『思い出ファースト』の披露を終えた後だ。 この曲が披露された時、客席から歓声が聞こえた。この日のライブは客席で大声を出すことは禁止だった。おそらく興奮したファンが思わず漏らしてしまった歓声だとは思う。人気曲だし盛り上がる曲だ。声が出てしまうことは理解できる。 しかしこれを許してしまっては、ライブの空気が壊れていたかもしれない。 実際に日産スタジアムで行われたワンマンライブでは、興奮した観客によって禁止だったはずの歓声やコールが当然のように行われてしまった。メンバーが注意しても収まらないほどに、荒れ果てた状況だった。 齋藤飛鳥が「声を出すんじゃないの!」と注意した直後ですら大歓声が聞こえる状態である。ライブの内容は良かったものの、ステージと客席との心が一つになったとは言えなかった。 それに近い「危うい状況」になる予感を察したのか、梅澤美波がライブの進行を止めてまで観客に話しかけた。 会場の皆さんにお願いがあります。 みなさんから声が出てしまっています。気持ちを抑えて心の中で歓声を出してもらえたら嬉しいです。 タオルを掲げたり、ペンライトを振ったり、手拍子をしたり、行動で応援してもらえたら嬉しいです 彼女が想いを伝えると、客席から盛大な拍手が鳴り響いた。観客は「その想いに応える」という意思表示を、声ではなく拍手で伝えたのだ。 次に披露された『僕が手を叩く方へ』からは、明らかに会場の空気が変わった。観客が一切声を出さず、盛大な手拍子を鳴らしたからだ。 僕が手を叩く方へ 乃木坂46 J-Pop ¥255 provided courtesy of iTunes 決して全員が同じノリをしようと合わせたわけではない。梅澤の想いを受けて、観客の誰もが自ら望んで自然と手拍子を鳴らしたのだと思う。それによって「鑑賞」ではなく「参加」のライブになっていた。 強く手を叩きながら君をここまで導きたいほらね ここへ来られただろうおいで おいで おいで 乃木坂46 / 僕が手を叩く方へ このフレーズを歌っている時、スピーカーからトラックの音が消えた。会場にメンバーの歌声と観客の手拍子だけが響く。 その瞬間は、この場だからこそ生まれた一体感があったし、観客もライブに参加していたし、メンバーと観客とで一緒に最高のライブを作っていた。 声を出して応援できたら楽しい。声を出してライブを盛り上げたい気持ちもわかる。しかし形や行動にこだわる必要はない。 これは「声を出すのがNG」「手拍子ならOK」という話ではない。場合によっては手拍子もノイズになるし、ライブをぶち壊す要素にもなり得る。静かにしていることが正解とは限らない。 大切なのは「心」だ。必要なのは「ステージと客席とで想いを共有し一致させること」だ。 それができているならば、どんな形で聴いても問題ない。棒立ちでも良いし、踊り狂っても良い。ライブの楽しみ方は自由だ。 しかし想いが一致していない状態ならば、どのような楽しみ方も、ライブをぶち壊す要因になってしまう。 演者が求めていない時に観客がコールをしたり大声で歌っても、それはライブを盛り上げる要素になるはずがない。演者が手拍子をして欲しくないタイミングで観客にされてしまっては、ライブの空気は壊れてしまう。 逆に不安を感じている観客が多い時にステージから声出しを煽られても、それは良いライブになるはずがない。心が繋がっていないし想いが一致していないのだから。 「禁止事項が多いから守れ」「周囲に合わせたノリ方をしろ」と言いたいわけではない。ルールは当然守るべきではあるが、楽しみ方はむしろバラバラで良い。行動はバラバラだとしても、心や想いは一致させた上で、自由に楽しめている時が最高なライブ空間ではないだろうか。 Scoobie Doというバンドはライブで全員が自由にバラバラな動きで楽しんでいる様子を「統一感のない一体感」と表現していた。くるりの岸田繁は「ライブ中にお客さんの身体が揺れる方向やリズムが偶然同じになった時、良い演奏ができていると感じる」とかつて公式サイトで連載していたブログで語っていた。 つまり観客の動きがバラバラだとしても、動きが同じだったとしても、それは関係なく最高のライブ空間は作れるのだ。 現在はまだコロナ禍である。客席から大声を出されると不安に思う人もいる。観客に不安を感じて欲しくない演者もいる。ほとんどの演者や運営が感染症対策ガイドラインを守って公演を行い、安全と安心を守りたいはずだ。 かつては観客の声援や歓声コールを好意的に受け取って喜んでいたアイドルでも、今は声援も歓声もコールも求めていないし、求めるタイミングではないと思っているだろう。それを求めるならばガイドラインに従ってキャパを50%以下に減らさなければならない。本当に観客の声を求めているならば、キャパを変更しているはずだ。 それでもステージに立つ者の想いを汲まずに、ルールを破ってまでも意図的に声を出す観客もいる。これはアイドルのライブに限らない。音楽フェスやロックバンドのライブでも見かけたことがある。 そのような人はライブを楽しみたいわけでも、音楽を聴きたいわけでもないのだろう。ステージに立つ者へのリスペクトも、周囲の観客への思いやりも持っていない。騒ぐことを楽しみに来ているのだろう。これはアイドルのライブに限った話ではないかもしれない。 たしかにライブ中に歓声を挙げたりコールをしたり声援を送るのは楽しい。それにアイドルが反応してくれれば嬉しい。でも今はそのタイミングではない。今アイドルに声援を送って反応が返ってきたとしても、それはマイナスの反応だ。決して喜んでいるわけではない。 コロナ禍での満員キャパのライブでは、観客が大声を出すことは、想いを共有する手段でもライブを盛り上げる要素でもない。アイドルを傷つける行動のひとつだ。 どうせならいつか観客がライブ中に問題なく大声を出せるようになった時、アイドルが再び観客の声を求める様になった時に、好きなアイドルや推しているメンバーに向けて声援や歓声を送りたいじゃないか。 そんな時が訪れた時に全力でコールしたら、ルールを破ってコールをするよりも絶対に感動的で楽しいはずだ。 だから自分は乃木坂46のライブに行っても、今は与田ちゃんに声援を送らない。 好きというのはロックだぜ! (Type-A) (CD+BD)(全国イベント参加券orスペシャルプレゼント応募券1枚封入)(メンバー生写真) アーティスト:乃木坂46 SMR Amazon