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ライブ終演後の規制退場を無視する客に心底ガッカリする件について

ライブ終演後に「ああ、またか......」と思って、ガッカリする時がある。

 

それは規制退場を無視し我先にと出口に向かう観客を見た時だ。ルールやマナーのへったくれもない自分勝手な行動に嫌悪感を抱いている。

 

ドーム以上の規模ではコロナ禍以前から行われることがあったものの、ライブ終了後に規制退場を行うという常識は、コロナ禍になってから生まれたものに思う。混雑や密を防ぎ感染リスクを減らすための取り組みだ。

 

だから戸惑っている人や納得できない人もいるのだろう。新しい常識や新しいルールを浸透させることは簡単ではないので仕方がない。

 

しかしほぼ全員が規制対象を守っているライブもある。それが当然の姿であるはずだ。「ルール」として明記されアナウンスされているのだから。それを守れない人が多ければ、民度が低いと思われても仕方がない。

 

だから自分が好きなアーティストのファンが、規制退場程度の誰でも理解し従うことができるルールを破っている姿を見ると、心底ガッカリする。自分もルールすら守れない、民度の低い奴だと思われないかと不安になる。

 

とはいえ規制退場を破る人の気持ちはわからなくもない。遠方から来ていたら終電に間に合わない可能性もあるし、ライブ後に用事がある人もいるはずだ。翌日朝早くから仕事がある人もいるだろう。

 

自分も日帰りで遠征した時は終電の時間が気になって焦ったし、無視して早く帰ろうとも思った。規制退場の必要性は低い気もしていた。

 

それでも自分は規制退場を守った。感染症対策に関するルールは守るべきだと思ったし、コロナ禍でもライブを開催してくれることへの感謝や敬意を示すためにも、守りたいと思ったからだ。

 

それに「遠方から来ている」「ライブ後に用事がある」などの自分の都合は、他人にとっては一切関係ない。無意味な言い訳だし、そのような人でもルールを守っている人はいる。余程の事情がない限りは、規制退場を無視することはワガママで自分勝手なことなのだ。自身のスケジュール調整が甘かったことが悪い。それを自覚すべきだ。

 

ここまで書いて気づく。自分が嫌なのはルールを破る行動自体以上に、他人のことを考えられない人がいることが嫌なのだ。

 

規制退場を破る人がいるということは、その分だけ守っていた人が会場を出る時間が遅くなる。卑怯なルール違反者によって、真面目に協力している観客が損をしてしまう。

 

ズルをした方が得という状況は健全ではない。それに規制退場を無視する人は、他人に迷惑をかけているという自覚がない。そもそも迷惑をかけている自覚を持って無視しているならば、より厄介だし最悪だ。

 

他人に迷惑をかけても、他人を犠牲にしても、涼しい顔をして自分勝手な行動をする。そんな人間が自分は大嫌いだ。

 

ライヴは自由だと思われがちだが、実際は不特定多数の人が1つの空間に集まった不自由な場だ。それが参加者それぞれが他者を気遣い思いやることで、自由に楽しめる空間が作られていた。

 

ルールはそんな最高のライブを作るための、手助けをするものとして存在する。それをすっ飛ばして自由に楽しもうとする姿勢は、好ましくない。自身の自由のため他者に不自由を強いるべきでは無い。

 

思い返すとコロナ禍以前もルールが破られることはあった。当時も自分勝手な客はいたとは思う。しかしルールが破られても、そこに思いやりを感じることもあった。その時はルールが破られていたとしても、自由に楽しめる空間だと思った。

 

例えばパンクバンドやラウドバンドのライブで、「モッシュ・ダイブ禁止」のルールが破られていた時に、自分はそれを感じた。もちろん全てのライブがそうだとは思わないが、そのようなルールが破られていても、会場のほとんどの人が楽しそうにしているライブを経験したことがある。

 

それは「思いやり」の心を参加者が持っていたからだ。

 

モッシュをして倒れた人がいれば周囲の人が壁を作って守っていた。手を差し出して起き上がらせてもいた。他人の顔に肘が当たったりして怪我をさせない様にと気遣っていた人もいたと思う。

 

ダイブをする客もそうだ。安全に転がれる様にと足を上げて靴が他の客にぶつからない様に配慮している人も多かった。スムーズに転がっていける様に、下にいる客はしっかりと前方に押し出そうとしていた。

 

フロア内で「どのようにライブを楽しみたいか」という価値観に合わせ、自然と観る場所が決まっていたと思う。ゆっくり観たい人は後方の見やすい位置にいたし、暴れたい人や歌いたい人は前方に固まっていた。背の高い男性ファンが後方にいる背の低い女性ファンに気遣い、少しだけ場所を動いているシーンを見たこともある。

 

つまり多くの人が思いやりを持ち、自然と他者のことを考え気遣える空間になっていたのだ。モッシュやダイブは禁止事項ではあったが、ロックミュージックの文化の一つでもある。それを納得した上で、ルールを破ってしまっていることも理解した上で、「全員が楽しめる空間とは?」を考えて行動していたと感じる。

 

もちろん当時から自分勝手な客はいた。強引に前に詰めてくる輩もいたし、どさくさに紛れて痴漢をする犯罪者もいた。不特定多数が集まれば、ヤバい人間も一定数集まることは必然である。

 

それでもコロナ禍になって、他者のことを考え思いやる行動を取る人が、ライブ会場から減ったと思ってしまう。

 

コロナ禍以前からいたヤバい人間だけでなく、まともだった人まで自分勝手な行動をすることが増えてしまった。規制退場を破ってしまう客は、ヤバい人だけで なくまともな人も少なくないように見える。

 

ではなぜ規制退場を破ってしまうのかというと、それは自分が損することが嫌だからではないだろうか。

 

モッシュで倒れた人を助けても自分に損害はないが、会場を出ることが遅くなれば帰宅が遅くなるという損害が発生する。自分に余裕がなければ、他者を思いやる余裕なんて生まれないのだろう。もしくは他者に迷惑をかけていることに気づいていない可能性もある。しかしそれは物凄く自分勝手でズルい行動だ。

 

それでも様々な事情で規制退場を破ってでも、早く帰らなければならない事情の人がいることは理解できる。自分はその人たち全員を悪にしたいわけでもない。

 

先日富士急ハイランドで行われた日向坂46のライブに参加した。自分の周辺では殆どの人が規制退場を守っていたが、何人かは規制退場を破っていた人もいた。

 

その中で印象的だった人がいる。それは途中まで規制退場を守っていたものの、立ち上がりスタッフに相談して、申し訳なさそうに近くの座席に頭を下げて帰っていった人だ。

 

この日は規制退場に時間がかかっていた。おそらく規制退場を無視して出口に向かった人の影響もあったと思う。予想以上に時間がかかってしまったため、その人は帰らざるを得ない時間になってしまったのだだろう。

 

事情があるならば早く帰っても仕方がないと思う。だからスタッフも相談されたから許可して帰らせたのだろう。その人は規制退場を破ったものの、周囲に配慮や感謝をしつつ帰っていた。我が物顔で帰ったわけではない。周囲の人も受け入れていたと思う。

 

これも「思いやり」だ。困った時はお互い様だし、助け合うことが大切なのだ。

 

「ライブは自由」とはよく言われるが、自分勝手に好き勝手楽しめる場所ではない。実際はそれぞれが少しだけ我慢して配慮し合っている場所だ。100%の自由はないかもしれないが、90%の自由はあるから多幸感に満ちている場所が、最高のライブ会場なのだ。

 

コロナ禍初期まではそのような会場がたくさんあったが、コロナ禍が始まって2年半経った現在では、最高のライブ会場は減ってしまったと思う。それは「思いやりの心」を持たない客が目立つ様になってしまったからだ。

 

やはり自分は思いやりがない空間が嫌なのだ。たかが規制退場を破るだけのことかもしれないが、そこで目にしてしまう自分勝手な人たちが嫌なのだ。

 

不必要なルールはあるかもしれない。しかし納得できないからと、他者に迷惑をかけてまで破ることは待ちがっているはずだ。それに必ず守るべきルールも存在する。そこの判断を自身だけで行ってはならない。本当の意味で自由でピースフルなライブは、他者を思いやってこそ完成するのだから。

 

これ以上ライブ終演後に「ああ、またか......」と思って、ガッカリしたくない。「規制退場ぐらい破っていいだろう」と思っている人は、「規制退場ぐらい守ってやるか」の精神を持って欲しい。