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山下達郎がサブスク解禁しないことを自分が現時点で100%支持する理由について

とても良いネット記事を読んだ。Yahooニュースに掲載された山下達郎のインタビューだ。濃度が高くて発見がたくさんある内容である。

 

 

しかしTwitterに投稿された見出しはいただけない。これでは「山下達郎がサブスクを全面的に否定している」と勘違いされてしまう。

 

 

様々な内容を話しているインタビューなのに、過激な見出しのせいで「山下達郎のサブスクに対するスタンス」ばかりが注目されてしまう。しかも本来の意図とは違う意味で受け取った人もいるようだ。このインタビューで語られている要のテーマやメッセージの本質は別の部分にあるというのに。

 

まず山下達郎は「サブスク解禁一生しない」とは言っていない。「恐らく死ぬまでやらない」と言っている。断定はしていないのだ。「恐らく」という言葉があるかないかでは、意味合いが大きく変わってしまう。

 

その理由については、下記のように語っていた。

 

だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに

 

「表現に関わっていない人間が儲けを取る」ということに懐疑的なのだろう。例えばSpotifyの収益構造に対しては、過去にも様々なミュージシャンが批判的な言及をしている。

 

例えばトム・ヨークは「君らがSpotifyで発見した新人アーティストには金が支払われていない」と2013年にツイートをして、自身のソロ音源の配信を停止した。

 

音楽ストリーミングサービスは、ユーザーから得た利用料から運営の取り分を抜いた額をアーティストやレコード会社に分配している。その部分では店舗販売のCDショップと似てはいるが、売上の分配方法は違う。

 

ストリーミングはユーザーから集めた利用料を「割合」によって全アーティストに分配している。つまりCDと違ってユーザーは聴いたアーティストに対して直接の売り上げをもたらしているわけではないのだ。

 

アーティストに分配される金額の計算方法は「全ユーザーの利用料×(アーティストの個別再生回数÷全アーティストの再生回数)」らしい。

 

極端な例えだが、月額1,000円の全加入者数2名の音楽ストリーミングサービスで、1人のユーザーが1組のバンドを1,000回聴いていて、もう1人のユーザーが1組のアイドルを9万9千回聴いたとしよう。

 

その場合バンド側の収益の計算式は「2,000円×(1,000回再生÷100,000回再生)」となる。

 

計算結果は20円だ。残りの1980円はアイドルの取り分となる。

 

つまり「好きなバンドの曲だけ聴きたくて加入した人が払った1,000円」のうち、バンドには10円しかお金が渡らず、1秒も聴いていないアイドルに990円が受け渡される仕組みなのだ。

 

ちなみに運営会社が得る手数料もある。それが売上の3割だとすると、1000円の利用料のうち300円が運営会社に行く。そうなるとバンドの取り分は14円まで減ってしまう。1,000回再生したバンドよりも、再生される場を提供した運営会社の方が20倍以上多い金額を取ることになるのだ。

 

再生回数が多い人気者や、再生回数キャンペーンをしてドーピングするアーティストや、運営会社ばかりが大きな収益を得る構造になっている。

 

人気者ほど再生回数に対する単価が高くなり得をして、運営会社は再生数など関係なくユーザーさえ居れば安定した収益を得られる。人気がないアーティストだけが、単価も売上も低くなり損をする仕組みなのだ。

 

まるで日本社会のように強者にとって都合の良い格差社会が、Spotifyの中でも生まれてしまった。富がある者には、さらに富が集まる構造である。

 

だからトム・ヨークは「君らがSpotifyで発見した新人アーティストには金が支払われていない」と語り、強者である自分の音源を引き下げたのだろう。当時は彼の発言や行動に賛否が分かれたが、その言葉の意図は後輩や未来の音楽シーンを想ってのことだったと思う。

 

アーティストに正当な利益が分配がされていない収益構造は改善すべきだ。アーティストへの敬意が全くない。運営側のビジネス的都合でアーティストが搾取されている。

 

山下達郎がストリーミングを解禁しないことも、収益構造に問題を感じているからだろう。おそらくトム・ヨークの発想や想いに近い。そして彼は決してサービス自体を否定はしていないし、システムとしては評価しているとすら感じる。

 

インタビュー内でも「Spotifyのグローバルチャート50はいつも聴いてます」と語っていたし、2021年4月22日に放送された『14歳のプレイリスト』というラジオ特番では「若者はSpotifyを使って沢山の音楽を聴いてください。サブスクはラジオのように新しい音楽と出会えるので」と語っていた。

 

つまり音楽ストリーミングサービス自体は認めているし、良い部分もしっかり理解しているのだ。多くの人に聴いてもらうには最高のサービスだし、プロモーションの場としても優れていると知っている。偏屈な老害が時代遅れなことを言っているわけではない。

 

そもそも山下達郎は頑固で偏屈と思われがちだが、それは切り取られた発言やジョークが本気にとらえられたことが続いたことによる偏見や勘違いである。

 

音質にこだわっているアーティストではあるが、着うたや着メロは早くから配信していたし、ダウンロード配信も行っている。レジャーとして夏フェスが注目を集めバブル的な人気になった時から、数年置きではあるが夏フェスに参加するようにもなった。コロナ禍になってから配信ライブを行ったのもベテランの中では早かったし、その中でも音質や映像に深いこだわりを持った内容で配信を行っていた。

 

こだわりを持ちつつも、時代の変化に合わせて、柔軟に価値観や活動内容をアップデートしているのだ。むしろ古い価値観に囚われるどころか、常に新しいモノや価値観が好きな人だと思う。

 

では何故ストリーミングを解禁しないかというと、やはり「表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、その儲けを取っている」からなのだろう。レコード会社やCDショップとは違う、アーティストが搾取されやすい構造に自らの音楽を加担させたくないのかもしれない。

 

サブスクはユーザーにとっては便利ではあるが、アーティストやレコード会社にとっては音楽の大安売りでもある。今の収益構造だとストリーミングでミュージシャンが食べていくことは難しい。簡単にリスナーは「サブスクを解禁すべき」と言ってしまうが、それは「安価でサービスしろ」と言うことに近い。

 

もちろんプロモーションの場として割り切って解禁することはアリだとは思う。ヒゲダンにKing Gnu、あいみょんやYOASOBIや優里は、サブスクの恩恵を受けて国民的人気アーティストになった。瑛人もサブスクがなければ注目されることはなかっただろう。

 

サブスクから波及してライブやグッズ、ファンクラブなどで稼ぐ方法が今は音楽業界の稼ぎ方として王道だ。しかしアーティストの誰もが「日本中、世界中の多くの人に聴かれたい」とは思ってはいない。自分の届けたい範囲で、届いただけの範囲の儲けで音楽活動を続けたいアーティストもすくなくはないはずだ。

 

山下達郎は、このようにも語っている。

 

10代の時は音楽オタクで、誰も聴かないような音楽を聴いていたんです。全米トップ40も、トップ10にはあまり興味がなくて、目当てはいつも30位あたり。大ヒット曲には見向きもしませんでした。

 

そういう音楽の聴き方で育った人間が作ってる音楽なんて、誰が聴くんだ?っていう疑問をいつも自分に投げかけて。なので、拡大志向はやめようと。

 

僕のビジネスパートナーは海外進出しようと何度も言ってましたけど、僕はずっと拒否し続けてきた。90年代の頭ぐらいには、ブライアン・ウィルソンとコラボやらないかとか、いろんな提案もあった。でも、興味がない。

 

僕はドメスティックな人間なんで、ハワイとか香港とかマレーシアに行く暇があったら、山形とか秋田のほうがいい。そこで真面目に働いている人々のために、僕は音楽を作ってきたので。

 

山下達郎は「自分の音楽が届く範囲」をコントロールしたいのだろう。シティポップブームで自身の作品が海外で聴かれていることには感謝しているものの、それよりも日本国内に目を向けているようだ。

 

だから全国を隈無く数十公演回る全国ツアーを頻繁に行っているのかもしれない。自身の作品を雑に消費しない人に向けて届けようとしているし、雑に扱わない人と仕事をしたいと思っているのだろう。老若男女全ての人に音楽を聴かせようとはしていないのだ。

 

「違法音源がYouTubeに投稿されているならサブスク解禁して公式で管理すべき。その方が海外のファンも喜ぶ」という意見もあったが、サブスク解禁されても違法音源がなくならないことは、過去の歴史が物語っている。

 

今でもミュージックFMは存在するし、サブスク解禁されているアーティストの曲がYouTubeにはいくつも違法アップロードされている。違法音源で満足する人は数百円のサブスクにすら登録しない人もいる。

 

それに対抗する手段はサブスクではない。警察への通報と被害届だ。犯罪への対抗手段だとしても「サブスクを解禁したくない」というアーティストのポリシーや意思に反して解禁することは良くない。それは音楽やアーティストを雑に扱うことと同じだ。

 

犯罪被害者が犯罪加害者のせいで望んでいないことを無理強いさせられることは、健全だとは思えない。痴漢被害者に「スカートを履かずにズボンを履くように」「通勤ラッシュの時間を避けて電車に乗るように」と指示して被害者に負担を与えることと同じだ。

 

むしろファンが好意でやっている違法アップロードならば「表現に携わらないのに儲けを取っている」わけでないし、YouTubeならば著作権者に広告料が行く仕組みになっているので、許したいと思っている可能性すらある。

 

「表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、その儲けを取ってる」ことが許せないことなのだと思う。ユーザーとしては自身もSpotifyを利用していて若者に勧めるぐらいなのだから、その問題点が改善されたら即座に解禁するかもしれない。

 

頑固で偏屈だから解禁しないのではなく、音楽業界の未来や若手ミュージシャンの為に、影響力が強い立場として戦っているのだ。

 

ベテランや大物ならばサブスク解禁しなくても、今の時代でも活動に支障はないだろう。しかし若手ミュージシャンや駆け出しのバンドにとっては、知名度や人気を獲得するためにサブスクを解禁せざるを得ない。かといって正当な利益を得られない場合がほとんどなので、プロモーションとして割り切るしかない状態だ。

 

しかも「イントロは短く」「ギターソロは飛ばされるから入れない」などと、サブスクで聴かれやすい音楽を作りチャンスを掴もうとしていうアーティストもいる。「ラウドネスノーマライゼーション」(音量感の平準化)に対応するために、編曲や音作りや音量のバランスを変える場合もあるようだ。ストリーミングサービスに縛られ、自由な表現ができなくなっているとも言える。

 

音楽ストリーミングサービスにはメリットがたくさんある。しかしアーティストにとっては表現の場としてもビジネスの場としてもデメリットも多いのだ。

 

山下達郎は、このようにも語っている。

 

若い人が音楽表現をどうやっていくのか。この年になると引っ張り上げる責任を感じるので。僕らは若い頃、音楽表現を貫徹することに関しては、わりと恵まれた環境でやってこられた。今の若い世代が自由にできているかというと、かなり疑問があってね。

 

音楽表現をすることより、しばしば名声や金もうけが優先される。音楽でお金がもうかる時代が続いて、特に90年代の残滓がまだある。でも現実にはここ10年ぐらい、次第に苦しい時代になってきています

 

やはり自身の利益やプライドや価値観を優先して頑固になっているのではなく、業界の中で立場が低い若手のために戦おうとしていると思ってしまう。サブスク解禁せざるを得ない若手が、自由に表現できる場をベテランで影響力ある立場として守り変えようとしているのではないだろうか。

 

自分はただの音楽リスナーだ。だから全ての音楽はストリーミングで聴けるようになって欲しいし、全てのアーティストが解禁することを望んでいる。

 

しかし自ら望んでではなく「致し方がなく」解禁するアーティストがいるとするならば、ビジネスとして成立せずアーティストが困憊するのならば、解禁する必要はないと思う。

 

音楽リスナーは気軽に「サブスク解禁すべき」と語ってしまう。時には「アーティストの魅力を拡げるため」「こんなに素晴らしい音楽がCDでしか聴けないのはもったいない」などと、作り手の立場になったつもりで語ったりもする。

 

しかし実際はリスナーとしての立場しか考えず、自らの利便性やお得感を求めているだけの人は多いのかもしれない。そうでなければ明確な理由を持って解禁をしない山下達郎に対して、インタビューを読んだ後に「サブスクは解禁すべき」と気軽には言えないはずだ。

 

先日までの自分は、最新アルバム『SOFTLY』がリリースされるタイミングで、山下達郎はサブスク解禁されると予想していた。

 

自身のラジオ番組で流す音源も、ラジオ用に毎週自宅でマスタリングするようなミュージシャンだ。彼が懸念しているのは音質面だけだと思っていたので、そこが解決されればすぐに解禁されると思っていた。もともとサブスクに好意的な発言も多いアーティストだったので、その日は遠くはないと思っていた。

 

だが解禁しない理由は違った。もっと深くて業界全体を考えた上での、解禁をしない理由があった。

 

この時代にサブスク解禁しないことについて、賛否は分かれるだろう。もしかしたら否定的な意見の方が多いかもしれない。しかし自分はストリーミングサービスの収益構造が改善されないうちは、山下達郎の意向や業界の中で戦い続ける姿を、100%支持する。

 

だから自分は山下達郎の、心深く秘めた想いが叶うことを願い続けたい。