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ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021が中止になったことについて個人的に思うこと

「茨城県医師会は、なぜ今のタイミングで要請書を出すのか?」という一言に尽きる。

 

もっと早いタイミングで出せなかったのかと。コロナ禍での開催に懸念があることなんて、開催発表時にはわかりきっていたことではないのかと。

 

人の流れを作る大規模なイベントを行うことは、安全とは言い切れない。どれだけ対策をしても、全ての危険を拭い去ることはできない。茨城県医師会が懸念する理由は理解できる。至極真っ当な意見だ。

 

しかしこのままでは感染症ではなく、感染症対策の犠牲によって命を落とす人も出てくる。すでにそのような人がいるかもしれない。

 

だから今は折り合いをつけて経済は回っている。緊急事態宣言が発令されても、毎朝東京の電車は満員。昼間の都心は人で溢れている。収入を得て生活するためには仕方がない。家で引きこもったまま生活できる人は一握りしかいない。

 

心の健康も大切だから、エンタメも続いているし動いている。生でエンタメに触れることが生活に必要な人もいる。それにより心の平穏をギリギリ保てている人もいる。エンタメが仕事で収入の手段の人もいる。それを少しでいいから理解し考慮し想って欲しい。

 

 

茨城県で行われるROCK IN JAPAN FESTIVAL2021の中止が発表された。

 

中止を決断したきっかけは、7月2日に茨城県医師会がフェス主催者である茨城放送の代表に要請書を渡したことらしい。

 

渋谷陽一社長が綴る文章からは、無念さと医師会への怒りを感じる。既に地元の自治体や国営の会場と協議を重ねて承認を得ていたのだから、開催1ヶ月前に要請書が渡されたことは寝耳に水だろう。

 

とはいえ自分はROCK IN JAPAN FESTIVAL2021が中止されることに異論はない。間違った選択だとは思わない。こんな世の中だから「中止もあり得る」と心の隅ではずっと考えていた。

 

しかし憤りを感じている。それは中止に対してではない。このタイミングで中止に追いやられた状況に、憤りを感じている。

 

茨城県医師会も決してロッキンに恨みがあって要望書を出したわけではないだろう。それぞれの立場で考えることも想うことも違ってくる。

 

だから自分は医師会の意見自体は否定しないし、正当な意見や要望の1つだとは思う。それでも憤りを感じてしまうのは、あまりにも悪すぎるタイミングでの要請書が提出されたからだ。

 

既に全ての出演者が発表され、日割りやタイムテーブルも公表されていた。グッズのラインナップも決まっていた。チケットの販売は既に行われているし会場へのバスツアーの申し込みも行われている。

 

設営以外の準備はほとんど終わっていたのだろう。渋谷社長の文章に書かれているように、アーティストのリハーサルやスタッフの確保も進んでいたようだ。

 

大きな損失を被ったのは、きっとロッキング・オンだけではない。

 

出店予定だった飲食店は、食材の発注やスタッフの確保を進めていたかもしれない。旅行会社はフェスに関わる全てのツアーを中止することになったし、地元の宿泊施設は繁忙期に収入が途絶えることとなる。

 

イベントに関わるスタッフはフリーランスの人も多い。フリーターとフリーランスの区別がつかない首相がいる国なのだから、彼らへの保証や補償があるのかが特に心配だ。

 

きっと今回の中止で、破産する企業や倒産する会社が出てくる。路頭に迷う関係者もいるだろう。首を吊る人や電車に飛び込む人もいるかもしれない。

 

これは大袈裟な話ではない。収入が途絶えることと仕事がなくなることは、人生に大きな影響を与える。

 

人は病気だけで死ぬわけではない。収入や将来への不安から「死」を考える人もいる。感染症で身体が弱るのではなく、精神的に病んで弱る人もいる。

 

感染症で亡くなる人と経済的に死んでしまう人と、どちらを救うべきなのだろうか。どちらも救うべきではないのか。どちらかに偏ることは命の選別だ。

 

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要望書が提出された翌週の7月5日(月)、茨城県医師会のホームページに、提出時の写真と要望書の内容がアップされていました。何故か数時間で消えていましたが、多くの方が情報共有できるように再掲載いただけたらと思います。

 

渋谷陽一社長が上記のように書いていたので、スクリーンショットを掲載させてもらった。

 

こんなペラッペラの紙切れ一枚で人生を狂わされる人が、きっとたくさんいる。

 

その重みを茨城県医師会は理解し考慮しているだろうか。3人集まって密状態で記念写真を撮る暇がるのなら、少しは思いを馳せて想像してほしい。

 

今年のロッキンがどのような形で開催する予定だったのか、コロナ禍になってからのロッキング・オンがどのような運営をしていたのか、それらを知った上で要請書を出しているのだろうか。申し訳ないが紙切れ一枚だけの要望書を出すような団体が、きちんと運営内容を把握していたとは思えない。

 

要望を出すならば具体的に理由を述べるべきだ。医師の立場として、感染防止対策について具体的な意見を伝えてほしい。あなたたちは医療のプロでしょう。医療従事者でない民間の会社を相手に、抽象的な短い文章で丸投げしないでくれ。

 

もしも全てを把握した上で対策が足りないというならば、未知のウイルスに対して正当な手段が医師でも判断が難しいというならば、どうすればより安全に開催できるかを一緒に考えてほしい。

 

どうしても開催が危険ならば、その理由を徹底的に検証してから要請すべきに思う。もしくはフェスの運営や地元自治体や会場と協議する必要があった。

 

なんなら要請でなく要求をするべきだ。強制的に医師会の意見を通すぐらいの、強い抗議をすればいい。数億円が動く民間の音楽フェスに中止や開催内容の変更を求めるのならば、それぐらいの強い意思と覚悟を見せるべきだ。

 

ふんわりとした表現で逃げるなよ。多くの企業の仕事と関係者の収入を潰すことになるのだから、そこに対して責任を持てよ。と自分は思ってしまう。

 

関係者全員が納得した形で中止になるならば仕方がない。きっとほとんどの参加者が決断を受け入れる。

 

でも今回は違う。中止に追いやられたとすら思える。見せしめとして音楽フェスが選ばれたように疑ってしまう。

 

これではロッキンの参加者や音楽ファンは、医師会への怒りが収まらないだろう。自分も憤りを感じる。

 

しかし最も憎むべき対象はウイルスだ。茨城県医師会は恨む対象ではないと、頭では理解している。きっと医療のことや県民のことを考えた上で要請書を出したのだろうから。

 

医療も経済も平等に同様に大切だ。心の健康も重要なので、エンタメだって必要だ。エンタメがどんな薬よりも効き目がある、特効薬になる場合も少なくはない。

 

だからロッキング・オンと医師会は、本来ならば協力関係にあるべきだった。お互いに考え想い合って、どうするべきか協議する必要があった。

 

それなのに今は敵対関係になっている。これでは経済も医療も崩壊してしまう。医療VS経済になってはいけない。それでは誰も幸せにならない。不幸しか呼ばない。

 

もっと早くに要請書が渡されていて、早めに中止を決断していたとしたら、違う未来があったかもしれない。

 

早めに中止を決断できていたならば、オンラインフェスとして開催する手段もあった。今からオンラインに切り替えるには、準備時間が足りず難しいだろう。

 

ブッキングされていたアーティストやスタッフは、他の予定を入れることができた。旅行会社や地元の宿泊施設や出店予定の飲食店も、フェスに頼らない収入手段を考える時間もあった。

 

もしくは徹底した対策をさらに熟考し、開催ができていたかもしれない。そんな未来もあったかもしれない。

 

でも開催1ヶ月前になってから変更することは、簡単ではない。不可能なことが多い。

 

要請に強制力はない。中止を決断したのは主催者。だから医師会は「お願いしてみただけ」と突っぱねることもできる。企業や関係者の損害に責任を負う必要はない。そもそも医師会に話を通してなかったならば、ロッキング・オンにも落ち度がある。

 

しかし茨城県医師会が思いつきのように要請書を出したことがきっかけで、1つの音楽フェスが中止になったことは事実だ。開催1ヶ月前に中止になったことで、たくさんの人が多くのものを失ったことも事実だ。

 

だからこそ思ってしまう。「なぜ今のタイミングで要請書を出したのか?」と。

 

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