オトニッチ

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tetoがコロナ禍の中で行われたライブでダイブやハイタッチをしたことについて思うこと

BAY CAMP 10th anniversary “DOORS”

 

『BAY CAMP 10th anniversary “DOORS”』というライブイベントが、9月13日に新木場スタジオコーストで行われた。

 

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開催日から2週間以上経過し、運営から出演者やスタッフ、参加者から新型コロナウイルス感染者が確認されなかったことが発表された。

 

ライブハウスで1日かけて行われた長時間のイベントが、無事に終わり成功したことには安心した。自分も参加者の一人ではあったが、感染者が出てもおかしくない状況もあったからだ。

 

 

入場時の感染症対策は徹底していたと思う。

 

検温や消毒もしっかりしていたし、入場列も間隔を開けて密にならないようにしていた。会場内のフロアには床に立ち位置が書かれたシールが貼られていたし、マスクの着義務もあった。

 

開演前やステージ転換中には主催会社A.T FIELDの代表である青木Pが、注意事項について細かく説明していた。その際に「今後もマスクを着用してライブを観ることは、コロナが治ったとしても変わらないと思う」という言葉が印象的だった。

 

業界関係者はこの状況を楽観的には見ていない。それでも前進するために、こうやってイベントを開催している。今日だけの成功を目指すわけではなく、安心安全にライブができることを証明して、かつてのように当たり前にライブができる世の中を取り戻そうとしているのだ。

 

音楽が大好きでこのご時世にライブハウスに来たお客さんは、主催者と同じ想いだったのだろう。

 

ほとんどのお客さんがルールを守り、ほぼ全ての出演者が「コロナ禍でも成立するライブ」を意識してパフォーマンスしていた。どの出演者も素晴らしいライブだった。

 

その中で1組だけ向いている方向が違う出演バンドがいた。それはtetoである。

 

tetoはいつも通りにライブを行った

 

出番前の機材セッティングとリハーサルの時点から、他の出演者と様子が違った。ステージとフロアの間で向いている方向が違うことによる違和感がある空気になっていた。

 

「これってお客さんは声を出したらいけないの?」

「立ち位置があるみたいだけど、その距離感は密だと思いますよ」

 

ボーカルの小池貞利の発言に戸惑ったり不快に感じたお客さんもいただろう。面白がっている人やコロナ禍になる前と変わらないバンドの姿に喜んでいる人もいたと思う。

 

自分は戸惑ってしまったタイプの客だ。運営側の発言とは真逆のことをtetoは発言している。それにモヤモヤしつつもリハーサルの時点で演奏はロックバンドとして素晴らしかった。

 

『光るまち』や『高層ビルと人工衛星』などライブ定番曲を惜しげもなく披露する。

 

高層ビルと人工衛星

高層ビルと人工衛星

  • teto
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

リハーサルから既に本番さながらな盛り上がり。モヤモヤした感情と音楽への感動を同時にやってくる。このアンバランスさにも戸惑ってしまった。

 

リハーサルを終えてからの本番。『溶けた銃口』で勢いよくライブをスタートした。腕を上げたり体を揺らしたりとフロアは盛り上がる。しかし前に詰めたりモッシュやダイブをする観客は一人もいなかった。

 

2曲目は『拝啓』。かつてはフロアでダイブする客が出てくるような激しいロックナンバーだった。しかし今日の観客は誰もダイブはしない。

 

その代わり小池が歌いながら、フロアに飛び込んできた。

 

「これが俺のソーシャルディスタンスだ!」

 

そう叫びながらステージからフロアに飛び降りた小池。そして前方の客へ順番にハイタッチを求める。それにノリノリで応える客もいれば、戸惑いつつ応じる客もいた。引きながら拒絶する客もいた。

 

ステージ袖では青木Pが慌てて驚いている。tetoの音楽やパフォーマンスは激しいし、破天荒なバンドかもしれない。しかし青木Pの慌て方からすると、今回は想いをしっかり共有して信頼してステージを任せていたように思えた。。

 

tetoはいつもどおりのライブをやろうとしていたが、観客の反応は違った。

 

それは彼らの音楽が心に響いていないということではない。コロナ対策を徹底したイベントのルールについて、ほとんどの観客がしっかり守る意思を持っていたのだ。

 

だからバンドが破天荒なパフォーマンスをしても、羽目を外して騒ぐ客や暴れる客はいなかった。基本的には床に貼られたシールの立ち位置から離れずに楽しんでいた。

 

小池がステージに戻ってからも、コロナ以前と同じようなパフォーマンスでライブを続けるteto。

 

ライブの終盤に演奏された『手』で、再び小池はフロアに飛び込んだ。今度はフロアに背中を向けて勢いよく飛び込んだ。

 

先ほどは「フロアに降りた」という形だったが、今度はステージからダイブをした。

 

密を避けるように間隔を開けていたフロア。そんな状態でダイブをすれば床に落ちて大怪我をするかもしれない。前方の観客は小池を支えるために、観客は密集して受け止めた。このイベントで最も密になった瞬間かもしれない。

 

このご時世でイベントを行うならば、感染症対策は最も大切なことだ。コロナ禍になってライブハウスは様々な風評被害を受けてきたし、ライブ・エンタメ業界は様々な批判を受けてきた。

 

それを変えるためにも、安心安全にイベント行えることを証明しければならない。BAYACAMPにもその意図があった。そのことを考慮するとtetoのパフォーマンスは最低だ。褒められたものではない。

 

もしもこのライブから感染者が確認されたら、大変なことになっていた。より一層ライブやイベントへの風当たりが強くなっていただろう。

 

しかし、自分はtetoのライブを、カッコいいと思ってしまう部分もあった。破天荒ではあったけれども、この日のライブは心に刻まれた。

 

 

tetoがライブで伝えようとしたことは何か?

 

以前はすし詰めのライブハウスで、汗だくになりながらライブを観ることもできた。

 

かつては感情を爆発させて暴れるバンドの姿を観ることもできたし、その演奏に応えるように観客も感情を爆発させて音楽を楽しんでいた。

 

ライブハウスで行われるロックバンドのライブでは、当たり前に観ることができた光景。たった1年前の「普通の光景」が、今では遠い昔のように思う。

 

でもtetoのステージは「あの頃のライブハウス」の片鱗を観れた気がした。それに胸が熱くなった。

 

tetoはあの頃のライブハウスを取り戻したかったのかもしれない。そういえばMCでは「この夏を取り戻しましょう」と何度も言っていた。

 

「あの頃のライブハウスを取り戻したい」という想いは、音楽を愛する人ならば誰もが同じなのかもしれない。

 

それを取り戻すためにBAYCAMPの運営は徹底的に観戦時対策して、未来に向けて少しづつ前身しようとした。それに対して観客は賛同し協力した。tetoは色々なものをすっ飛ばして「あの頃」に強引に戻そうとした。

 

つまり最終的な目標は同じなのだ。だから同じ想いを共有しているtetoのライブに、自分は心を動かされたのかもしれない。

 

先日は長野で『りんご音楽祭』という音楽フェスが開催された。観客がマスクをしていなかったり、密になっている写真がネットで拡がり炎上してしまった。「あの頃の音楽フェス」に近い雰囲気の写真に思う。

 

 

でも「あの頃のライブハウス」や「あの頃の音楽フェス」を取り戻したいという気持ちは、誰もが同じなのだと思う。tetoのパフォーマンスやりんご音楽祭に否定的な人でも同じ想いかもしない。

 

tetoのステージで最後に演奏された曲は『9月になること』だった。

 

9月になること

9月になること

  • teto
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

9月にさえなれば全て笑える気がしたんだ
何もかも身も蓋も無い話になって

(teto / 9月になること)

 

この日は歌詞が妙に胸に響いた。彼らの方法が正しいとは思わないし、全てを受け入れるつもりはない。それでも音楽やライブへの強い想いは本物だと思った。

 

しかしほとんどの客が運営が示したルールを守っていたことを考えると、tetoのパフォーマンスは今やるべき内容ではなかったし、観客に支持されるライブではなかったかもしれない。

 

tetoのライブが終了した後に青木Pは「“みなさんは“ルールを守ってくださりありがとうございます」と話していた。

 

だからtetoのライブは絶賛するべきでは無いし、非難されても仕方がないとは思う。

 

でも、それと同時に、この日の彼らの演奏に、どうしようもなく感動してしまった自分もいる。ライブを観て同じような気持ちになった人が他にも居るはずだ。

 

 モヤモヤしつつも音楽に感動し、受け入れられない行動だけど共感してしまう気持ちもある。こんな複雑な感情を持ちながらライブを観る必要がなくなる世の中に早くなってほしい。