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「戦争にはちょっと反対さ」と歌う曽我部恵一『ギター』という曲の歌詞を聴いて思ったこと

曽我部恵一の『ギター』

 

この歌を聴いた時、衝撃を受けた。歌詞が頭から離れなくて、胸がざわついた。そんな気持ちは初めてだった。

 

戦争にはちょっと反対さ

ギターを弾いている

 

曽我部恵一の『ギター』という楽曲を初めて聴いた時の話だ。

 

ギター (Live)

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この歌の主人公は、なぜ「戦争にはちょっと反対さ」と思ったのだろうか。それでもなぜ、ギターを弾き続けているのだろうか。

 

主人公の感情と行動の差に、違和感を感じた。違和感を感じているのに、自分がこの歌の主人公の気持ちに共感してしまう部分があった。それにもショックを受けた。

 

自分の心の中を覗かれて、自分のことをれを歌にされた気分になった。

 

戦争が日本で起こるとは思ってもいなかったし、自分には関係ないことだと思っていた。戦争を良いとは思わないが、声を高々に反戦を訴えようとも思わなかった。わざわざ発言することが、ダサいように思っていた。

 

そんな自分の姿を、音楽によって客観的に見させられた気分になって、胸がざわついた。

 

 

井上陽水の『傘がない』

 

井上陽水の『傘がない』という曲を聴いた時に感じた気持ちと、少しだけ近いかもしれない。

 

テレビでは我が国の将来の問題を

誰かが深刻な顔をしてしゃべってる

だけども問題は今日の雨 傘がない

 

傘がない

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学生運動に参加することや、そういった社会の動きよりも、君に会いに行かなければならないのに傘がないから行くことができないことが重要だと思っている主人公の歌。楽曲制作当時の社会情勢に対して、皮肉を込めた歌詞だ。

 

『傘がない』は1972年に発表された井上陽水の代表曲の1つ。1972年に発表されたが曲だが、楽曲のテーマは2020年に聴いても重みを感じる。これが正しいのかと、考えてしまう。

 

『傘が無い」に込まれれたメッセージは、曽我部恵一の『ギター』の主人公と似ているように思う。社会に目を向けずに自分自身の身の回りのことだけに目を向けている主人公だからだ。

 

しかし自分は『傘がない』はフィクションの物語の登場人物を見ている気分になる。発表当時をリアルタイムで知らないからという理由もあるが、最も重要な理由は違う。

 

冷たい雨が今日は心に染みる

君のこと以外は考えられなくなる

それはいいことだろう?

 

『傘がない』の主人公は社会のこと考えていない自分のことを、自身で疑問視し悩み考えている。その悩みや思考の深さが、曽我部恵一の『ギター』の主人公とは違うように思う。 

 

そして僕はギターを弾いている

心の中のこの場所で

 

いつもとはちょっと違うよね

ギターを弾いている

 

『ギター』の主人公は自分のことしか考えていないのだ。その姿はまるで、自分のようだと思った。

 

9.11

 

今2001年の10月の真ん中

ちょっと肌寒くなってきた季節

 

『ギター』の歌詞のフレーズを聴くと、当時の記憶や世間の空気感を思い出してしまう。2001年9月11日にテレビで観た映像が、あまりにも鮮明に記憶されているからだ。

 

NYの空には

朝から雨が降っている

街じゅうが濡れて光る

 

直接的な表現はしていない。でも当時を知っている人にはフレーズ1つで何を歌っているのか伝わる。アメリカ同時多発テロ事件のことだ。

 

9.11は間接的には日本にも影響があった。しかし日本にする人々の生活が変わったかと言うと、大きくは変わらなかったと思う。

 

アメリカ同時多発テロをきっかけに『対テロ戦争』が始まった。

 

アメリカ政府と有志連合がテロリズムとの戦争のことだ。アメリカに協力する形でイギリスやカナダやオーストラリアなども参戦した。

 

テロに対して法的措置ではなく、武力行使で対応したことで発生した戦争。オサマ・ビンラディンが殺害されたことで一区切りついたが、テロリズムはなくなっていない。今でも対テロ戦争は続いている。

 

しかし日本で戦争が発生したわけでもない。日本が軍事的に参戦したわけでもない。気にしなくても生きていける。

 

遠い国で起こっていることで、自分には一切関係ないことで、ニュースを観ても映画と同じような感覚で観ていた。戦争が起こる理由は理解していなかったのに、理由があるのなら仕方がないかもしれないと思っていた。

 

まさに「戦争にはちょっと反対さ」という気分だった。

 

戦争反対は言うべきではないのか?

 

「戦争反対」とわざわざ発言することをダサいと思っている部分があった。斜めに構えていたのだ。

 

でも曽我部恵一の『ギター』を聴いた時の胸騒ぎをきっかけに、様々なことを考え、調べることで、少しづつ考え方も変わった。

 

斜めに構えることの方がダサいことと思うようになった。自分は「思考停止」していたのだと気づいた。

 

 

 

 

元でんぱ組.incの夢眠ねむは「戦争反対」という意思をTwitterに投稿した。2014年7月の投稿。安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したタイミングで投稿されたツイートだ。

 

集団自衛権とは国家が武力攻撃を受けた際に、直接攻撃を受けていない別の国家も協力して防衛を行うという、国際法上の権利だ。ここでいう「防衛」の中には「武力行使」も含まれている。

 

アメリカと日本で例えるならば「アメリカがテロリストに武力攻撃を受けた際に、それへの報復として日本もアメリカと共同して防衛をする」ということだ。

 

つまり集団自衛権を容認するということは、日本が他国のために戦争への加担をする可能性もあり、それを容認するということでもある。「日本が戦争に参戦する可能性」も現実味増したとも言える。

 

 

夢眠ねむの「戦争反対」ツイートには賛同意見は多かったが、批判意見も少なからずあった。

 

「アイドルなのに政治的な発言をするの?」「戦わずにテロを放置するの?」「唐突に戦争反対と言われても気持ちが悪い」「安全な日本で言っても意味がない」などなど。

 

集団自衛権の行使に賛成の人もいるかと思う。欧米からは「国際テロの被害があっても何もしないのか」と非難されることもあった。これに関する問題は単純ではなく、複雑だと思う。様々な考えがあるだろう。

 

しかし夢眠ねむの発言への批判に、自分は違和感を感じた。簡単に批判をする人たちは、思考停止をしていたり、斜めに構えているだけに思えた。

 

戦争を行うとはどういうことなのか。戦争はどのように発生するのか。

 

自分も少しづつ知識が増えてきた。少しづつ自分で考えるようになってきた。日本で戦争が行われなくても、日本が原因で戦争が発生しなくても、もしかしたら自分の生活にも大きく影響するかもしれないと気づいた。

 

思考停止したまま「戦争にはちょっと反対さ」と想い続けることは危険ではないだろうか。

 

 

第三次世界大戦

 

2020年1月3日。アメリカ軍がイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害した。 

 

ソレイマニ司令官はイランの保守派には英雄として支持されていたが、アメリカはテロリストの1人として認識していた。

 

ソレイマニ司令官が司令していたコッズ部隊は海外での破壊工作を担当する特殊工作部隊だった。多くのアメリカ兵士や連合軍を殺害した軍需物資をテロ組織にも提供したと言われている。

 

アメリカ政府はソレイマニ司令官殺害は自衛や報復のためとしている。

 

 

それに対してイランは報復としてイラクのアメリカ軍基地にミサイルを発射した。

 

戦争が起こると思った。世の中でも「第三次世界大戦が発生するのでは」と懸念する声も増えてきた。日本にも影響があるかもしれない。原油価格の高騰や株価下落などの経済的影響は免れない。

 

2020年は東京オリンピックが行われる。世界情勢が不安定な中で五輪が行われると想像すると、恐怖もある。アメリカの要人も来ると思う。日本とアメリカの関係性は深い。

 

万が一の話ではあるが、日本がテロの標的になる可能性もあるかもしれない。

 

アメリカのソレイマニ司令官殺害から1週間ほど経ち、事態は少しづつ沈静化はしてきている。アメリカとイランが戦争を望んでいるわけではないというニュアンスの発言をしているからだと思う。

 

自分自身のことだけでなく、社会のことにも目を向けるべきではとも思った。それが結果的に自分自身のためでもと思った。1人の意見だけで何かが変わるわけではないかもしれないが、思考を停止させたら駄目だ。

 

思考を停止させる人が増えてしまった時、「戦争にはちょと反対さ」と言いながらギターを弾くこともできない世の中になってしまうかもしれない。

 

 

今の自分が戦争について思うこと

 

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―「生活と音楽の距離が近い感じ」っていうのは、その後のソロのキャリアにおいても活動の基盤になってますよね。“ギター”の<戦争にはちょっと反対さ>という歌詞も、まさにそれを表していたと思いますし。

 

曽我部:あれは当時、物議を醸しましたけどね。でも、今も一緒だな、震災後の話も。「原発にはちょっと反対さ」って感じになる。本当は戦争にも原発にも「絶対」反対なんだけど、「絶対反対!」って歌ってきたロックの歴史を踏まえて、「ちょっと」と歌うことが自分なりのドキュメンタリーだった。今も“ギター”は歌ってて、自分にとって不思議な曲です。

(引用:できないことを、必死にやり続けたい 曽我部恵一インタビュー )

 

曽我部恵一は『ギター』の歌詞について、このように語っている。「戦争にはちょと反対さ」という言葉は、表面だけ受け取ってはならないフレーズだということをインタビュー内容から感じる。曽我部恵一は「戦争には絶対反対」という意思を持った上で、あえて歌った歌詞なのだ。

 

歌詞の本質のことを細かく説明しているわけではない。するつもりもないのだと思う。音楽を聴いて感じて考えろということだと思う。

 

音楽は楽しくさせてくれたり気持ちよくさせてくれたり、娯楽的な要素が強い。自分もそのように聴くことが多い。

 

しかし自分の思想や思考に影響与えてくれたり、自分自身を見つめ直すきっかけをくれる場合もある。

 

曽我部恵一の『ギター』は自分にとって、そのような曲だった。自分を見つめ直し、自分の思想や思考が少しだけ変化した。

 

1月3日にアメリカが行ったことに対し、様々な意見があると思う。賛否両論あると思うし、どの視点から見るかによっても考え方は違うと思う。

 

ソレイマニ司令官を殺害したことについて、自分は否定的だ。

 

今の自分の気持ちとしては、戦争には絶対反対さ。

 

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