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フレデリックのオドループは「ただ踊りたいだけの曲」なのか? ~歌詞解釈~

オドループ

 

 

フレデリックの三原健司のツイート。これを見たとき、そう思う人がいても仕方がないかもしれないと感じた。

 

オドループ

オドループ

  • フレデリック
  • ロック
  • ¥250
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『オドループ』という楽曲。フレデリックの人気と知名度を急上昇させるきっかけになった曲。名曲だと思う。

 

踊ってない夜を知らない

 

サビの歌詞とメロディが特に印象的。一度聞けば忘れられない。サビしか聴いていないとしても、耳に残って離れない。

 

しかし印象に残るということが必ずしもプラスになるわけでもない。批判も増える。だから「ただ踊りたいだけの曲」と批判されることもあるのだろう。

 

ライブでもオドループでフロアは踊り狂っている。フェスでも盛り上がる定番曲。その様子を見て「ただ踊りたいだけの曲」と判断したのかもしれない。

 

しかしだ。それは一部分だけを切り取っての判断で、表面上の一部分だけで判断しているように感じてしまう。

 

 踊ってるだけで退場

それをそっかそっかっていって

 

『オドループ』の最初の歌詞のフレーズ。「ただ踊りたいだけの曲」ならばこのフレーズを使うことはないのではと思う。

 

風営法のダンス規制 

 

かつてダンスホールやクラブやライブハウスで踊ることが法律で規制されていた。

 

クラブは無許可で客にダンスをさせることが禁じられ、許可を得ても午前1時までしか営業出来なかった。

 

クラブ以外でも、アルコールを出す店舗が深夜に酒を出す店が深夜にライブを行うことも全面的に禁止されていた。そこで音楽を聴いて踊ることも規制対象。

 

「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」という昭和20年代に作られた法律。

 

当時はダンスホールやナイトクラブでダンスをするという名目で売春行為を行割れていたため、それを取り締まるために作られた法律だ。

 

戦後間もない頃に作られた時代錯誤の法律。そのため近年は深夜営業やダンスについて「黙認」されていた。

 

それが2011年以降「飲食店を装って客にダンスをさせた」と摘発されるクラブなどが増えたのだ。騒音などで地域住民からの苦情が増えたことも背景にあると言われている。

 

それに対して「ダンスを規制するのではなく他の対応を取るべき」との法改正を求める意見も増え、法改正を求める署名活動も行われた。

 

この法律は2016年に改正され規制が緩和された。「特定遊興飲食店」の許可を取れば深夜でもダンスを踊ることもライブを行うことも可能になった。

 

フレデリックのオドループは2014年に発表された楽曲。まだ風営法が改正される前の作品。

 

それを踏まえると『オドループ』は風営法への批判や皮肉を含んだ楽曲なのではと自分は感じてしまう。

 

つまり「ただ踊りたいだけの曲」ではないと思う。

 

1番の歌詞について

 

踊ってるだけで退場

それをそっかそっかっていって

 

歌の最初のフレーズはダンスを規制していた頃の風営法への皮肉に感じる。

 

規制や摘発によって踊れない現状。それを「法律で決められているから」と受け入れなければならない現状。

 

お幸せについて討論

何が正義なんかって思う

 

法律は国民のためにある。しかし旧風営法のダンス規制は時代錯誤の法律。その事に対して様々な意見や議論があった。

 

それに対しての「何が正義なんか」という意味ではないだろうか。

 

テレスコープごしの感情

ロッカーに全部詰め込んだ

 

テレスコープ(望遠鏡)は物体を大きく拡大して見ることができる。その代わり広い範囲や全体像を捉えることには向いていない。

 

テレスコープごしの感情は、旧風営法への怒りや違和感のことではと思う。

 

それを踊る時はロッカーに詰め込んで忘れて音楽に身を任せて踊ることを表現しているように感じる。

 

ライブハウスやクラブに常設されている事が多い「ロッカー」を歌詞に入れることでも旧風営法のダンス規制についての暗喩しているのではないだろうか。

 

2番の歌詞について

 

タンスでダンスする現状

これはチャンスなんかって思う

 

言葉遊びにも感じるが「タンス」という本来は踊るべきではない場所で踊っていることを示すことで、自由に踊れないことのもどかしさを歌っているように感じる。

 

ダンスホールは本来は踊る場所。そこも「タンス」のように踊るべきではない場所になっている現状。

 

しかし「時代錯誤の法律」について様々な意見や議論が発生することで、法的にも問題のない本来の自分たちが求める場所に変われるチャンスにもなると歌っているように思う。

 

カスタネットがほらたんたん

たたたたんたたんたんたたんたん

 

クラブでカスタネットを叩く人はいない。ライブハウスのバンドもカスタネットを叩くメンバーは滅多にいない。

 

カスタネットは幼稚園や保育園のお遊戯の時間や、小学校の音楽の授業で使われることが多い。そのリズムに合わせて体を揺らしたり踊ったり。

 

クラブやライブハウスに行くことのない子どもも心地よい音楽が流れれば踊るのだ。

 

踊ってない夜を知らない人など

この世に一人もございません

 

カスタネットからこのフレーズに繋がる歌詞。踊ることや踊ることの楽しさを知らない人は老若男女誰もいない。

 

風営法で「ダンス」を規制することへの違和感や、規制する対象は他の部分ではというメッセージを皮肉を込めて歌っているように感じる。

 

大サビについて

 

いつも待ってる ダンスホールは待ってる
変わってく 変わってく 傷だらけでも待ってる
ほら踊ってる ダンスホールの未来に
色を塗って生きるのは あなた あなた

 

大サビでは「ダンスホール」というフレーズがある。「傷だらけでも待ってる」というのは規制されて取り締まられてしまったダンスホールや、思うように営業できなくなったダンスホールのことを表しているのだろう。

 

それでも営業を続けて音楽が鳴る場所と踊ることができる場所を守っているダンスホール。「色を塗って生きるのはあなた」というフレーズから、ダンスホールにやってくる客がダンスホールの未来を創っているということを歌っているように思う。

 

「ダンスは笑顔で待ってる」

 

法律も規制もしがらみも関係なく、音楽に身を任せて踊ることは楽しい。気持ちいい。笑顔になる。

 

もしかしたら「ただ踊りたいだけの曲」が存在していても良いと思う。それで笑顔になれる人がいるのならば。

 

しかし、自分はオドループを「ただ踊りたいだけの曲」とは思えない。「ただ踊りたいだけ」という気持ちを歌っている側面はあるとは思うが、それ以上に特別なメッセージを感じてしまうのだ。

 

サビについて

 

踊ってない夜を知らない

踊ってない夜が気に入らない

 

サビ以外の歌詞を踏まえた上で、サビを聴いたとき、そのフレーズを「ただ踊りたいだけの曲」と思えるだろうか。

 

踊ってたい夜に泣いてるなんて

とってもとっても退屈です

踊ってたい夜が大切なんです

とってもとっても大切です

 

自由に踊りたくても踊れない現状を嘆いているようにも感じるサビの最後のフレーズ。「ただ踊りたいだけの曲」があるとして、それで踊れることの大切さや幸せもあるのではとも思えるフレーズ。

 

踊ってない夜がない夜なんて

とってもとっても退屈です

 

 三原健司は自身のtwitterアカウントで「踊ってない夜も肯定してる歌詞にいつ気付くんやろ?」と語っているが、踊ってない夜も肯定しているということ以外の意味もあるのではと感じる。

 

風営法のダンス規制という時代錯誤の無意味な法律のせいで様々な意見が飛び交い、摘発されていた。無意味な法律に「踊らされるように」議論が巻き起こっていた。

 

そんな議論に踊らされる夜ばかりだから退屈だと歌っているようにも聴こえる。

  

 ただ踊りたいだけの曲ではない

 

サビのワンフレーズだけ聴けばノリの良いだけで中身のない曲に聴こえるかもしれない。しかし歌詞を読み解いていくと、そこにはメッセージがあることに気づくはずだ。

 

とはいえ、これは自分の憶測や妄想による解釈だ。フレデリックのメンバーが歌詞を解説したわけでもないし、わざわざ詳細な解説をすることはないと思う。

 

それでも様々な角度から解釈することもできる歌詞だ。様々な意味や想いを感じる歌詞だ。それが曲を聴いた一個人の妄想だったとしても。

 

批判をする場合でもその対象に対して敬意を持つべきだと思う。その作品も魂を込めて作られたはずだし、それを愛している人たちもいる。

 

一部分しか知らなかったり、知ろうともせずに批判することはそれは何も生み出さないし価値がない意見に感じる。目的が批判をすることになっているのではないだろうか。

 

とりあえず、自分はただ批判したい〝だけ〟の人にはならないように気をつけたい。