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指原莉乃の卒業ソング「私だってアイドル!」のMVを不快に思う理由

誰も悪くないとは理解できる

 

 

このミュージックビデオに関わった人は誰も悪くはない。監督もスタッフも出演した指原莉乃も。曲自体も悪いとは思わない。可愛らしいアイドルソングで好きだ。

 

このMVを楽しんで観ているファンも誰も悪くない。

 

それでも自分は指原莉乃の卒業ソング「私だってアイドル!」のミュージックビデオを不快に感じる。

 

「私だってアイドル!」のMVは2月に東京都内のスタジオで早朝から深夜まで長時間にわたって撮影された。“笑いすぎて死ぬ”という衝撃的な幕開けから一転し、“魂”になった指原が自分の思い描くアイドル像を全力で表現するというユーモラスな内容で、監督を務めたZUMIは「いつまでも“アイドルさっしー”でいて欲しい。そんな想いで監督させていただきました」とコメントしている。

 

(出典 指原莉乃が笑い死ぬ!AKB48さっしー卒業ソングMV公開-ナタリー)

 

自分が「死」を表現することに敏感になりすぎているのかもしれない。普通の感覚なら気にならない部分かもしれない。

 

「死」を扱っても問題はない

 

音楽でも映像でも小説でも漫画でも落語でも同様だ。芸術やエンターテイメントで「死」については何度も扱われてきた。珍しいことではない。

 

映画やドラマで登場人物が亡くなる話は沢山ある。戦争映画やサスペンスでは、殆どの作品で登場人物は亡くなる。その中にも名作はある。

 

音楽も死をテーマにした楽曲はある。荒井由実の『ひこうき雲』のような名曲や、シューベルトの『魔王』のような歴史的作品など。

 

名探偵コナンではほぼ毎回殺人事件は起こるし、芸人のコントでも人が亡くなることをネタにすることもある。さくらももこは著書で祖父の亡くなった様子をネタにして文章にしていた。

 

しかし、自分はそれらを不快に思ったことや嫌悪感を持ったことは殆どない。『私だってアイドル!』のMVよりも過激な表現をしている作品もあるのに。

 

それらの作品と『私だってアイドル!』のMVでは「死」の扱い方が違うと感じる。そして、自分にとってリアルに感じるかどうかも不快に感じたことに影響している。

 

不快に感じる作品と感じない作品の違い

 

「死」について扱わなければ成立しない作品もある。

 

例えば戦争映画で「死」を扱わなければ戦争の悲惨さも無意味さも伝わらない。病気でヒロインが亡くなる映画も「死」と向き合った表現をすることで命や時間の大切さを伝えたいのだと思う。

 

このように伝えたいメッセージや伝えたい表現のため、扱わざるを得ない作品もある。

 

ホラーやサスペンスも「死」を扱わなければエンターテイメントとして成立しない場合もある。コメディやコントでも「死」を扱うこともあるが、これもその演芸を成立させる要素の1つ。

 

これらは「エンターテイメント」として死を扱っている。受け手もそれを理解できるように、一種のファンタジーとして受け取れるような演出や表現がされている場合がほとんど。

 

『私だってアイドル!』はエンターテイメントとしての表現でMVで「死」を扱ったのだと思う。

 

映像もポップだし、笑い死ぬという現実では有り得ないような死因。ほとんどの人がリアリティを感じないし、エンターテイメントの演出として受け入れられるような作品になってはいるのかもしれない。

 

しかし、自分はリアリティを感じてしまった。悲しくなってしまった。

 

なぜリアリティを感じてしまったのか

 

実際に亡くなってしまったアイドルもいる。ここ数年でも複数人いる。

 

自分が好きなアイドルグループのメンバーも病気で突然亡くなった。『私だってアイドル!』のMVを観ていると、当時を思い出して辛くなってしまう。

 

自分の言いがかりだとは思う。名探偵コナンを観て「身近に殺人事件の被害者が居るから、コナンを観ると辛い」と文句を言っているようなものだから。

 

しかし、エンタメとしての演出と理解できるが、一部分だけリアリティを感じてしまったのだ。

 

新聞での指原莉乃の急死を伝える場面や、ニュース映像で共演者が語っている場面。

 

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この場面もふざけているのでフェイクだとはわかる。しかし、実際に亡くなった時に報道される時のように、それが人々に伝わる様子はリアルに描かれている。

 

実際に好きなアイドルが亡くなった経験があるので、このような描写に敏感になってしまうのだ。

 

「死」を扱うことの難しさ

 

“笑いすぎて死ぬ”という衝撃的な幕開けから一転し、“魂”になった指原が自分の思い描くアイドル像を全力で表現するというユーモラスな内容

 

MVを紹介する記事にはこのように内容について紹介されている。実際に映像を見ても感じたが「笑いすぎて死ぬ」ことを描写する理由がわからなかった。

 

現在公開されているMVはショートバージョン。完成形ではその必要性や違う結末があるのかもしれない。しかし、現時点では「死」を扱う理由が自分には理解ができない。

 

「指原が自分の思い描くアイドル像を全力で表現する」という内容だけでも成立する内容だ。「笑いすぎて死ぬ」という設定は不毛に感じるのだ。

 

戦争映画で人が死ぬことにも、荒井由実の「ひこうき雲」で死について扱うことにも、理由やメッセージがある。「死」という重いテーマだからこそ慎重に扱っていると思う。

 

『私だってアイドル!』のMVは話題性や悪ノリで「死」を扱っているように自分は感じた。新聞やニュース映像の場面でのふざけ具合も悪ノリにしか思えなかった。

 

「死」を扱うことに理由も必然性も想いも何も感じなかった。

 

だから自分は不快に思った。実際の作り手の想いは違うのもしれないが。

 

自分が敏感になっているだけではある。当たり前にこのMVを受け入れられる方が正常だとは思う。

 

あくまで自分の考えや価値観だが「死」について扱うならばもっと慎重になるべきではと思っている。

 

自分の価値観が正しいとも思わないが、自分はどうしてもこのMVを受け入れられない。

 

指原莉乃は悪くない

 

『音楽と人』という音楽雑誌の関ジャニ∞のインタビューに「アイドルはやっているうちに自分の意思よりも求められていることをやろうという気持ちにもなってくる」というニュアンスのことが書かれていた。

 

『私だってアイドル!』のMVに、指原莉乃が本心ではどのような気持ちで出演したのかはわからない。

 

求められたから受け入れて出演したのかもしれないし、自分の意思で喜んで出演したのかもしれない。それは本人以外はわからない。

 

指原は全く悪くはない。アイドルの仕事としては100点な映りだとは思う。それでも、指原がこのMVに出ていることもショックではあった。

 

エビ中が初めて武道館に立ったのは『指祭り』という指原莉乃が主催のイベントだった。まだ全然知名度も人気がない頃のエビ中を大きなステージに立たせてくれた。

 

昔から注目してインタビューでも紹介してくれたし、今でもたまにエビ中についたTwitterで書いてくれるし、去年は『私立指原中学』というパロディグループを結成していた。

 

自分はエビ中のファンだ。自分がエビ中に興味を持ったのも、氣志團万博や指祭りに出演しているエビ中の映像を観たことがきっかけ。そんなエビ中にも悲しい出来事があった。それを思い出してしまう。

 

自分が勝手にショックを受けているだけ。それでも、エビ中と関わりもあった指原がこのMVに出ていることも悲しい。

 

楽曲も企画も監督も出演者も映像も全て悪いわけではない。視聴者も楽しんでこのMVを観れることが当たり前。自分が勝手にショックを受けているだけ。

 

普段は否定だけする記事は書かないようにしているが、この件だけは自分の気持ちを吐き出したかった。もしかしたらこの文章を読んで不快に感じた人もいるかもしれない。申し訳ない。悪いのは敏感になっている自分だとは思う。

 

それでも、このMVは自分にとっては不快で悲しいもので、受け入れられないものだった。気持ちを吐き出すしかなかった。

 

アイドルはみんなを笑顔にして欲しいんだ。