2018-10-13 パスピエについて書くこの記事が当ブログの最後の更新かもしれない コラム・エッセイ パスピエ 最後かもしれない このブログは元々自分の好きな音楽について感じたことを好き勝手に書いているブログだった。ネット上に投稿しているので、多少は「読んでもらえそうなネタ」を選んだりはする。 それでも基本的に「好きなことを好き勝手に書く」という方針は今も変わらない。自己満足で書いている。だから、書くことを止めることも自由だし、このブログを消してしまうことも自由だとは思っている。 しかし、好き勝手に書いていたこのブログも、1日1万PVほどのアクセス数がある。1日に1万回ブログ記事が表示され読まれているということだ。これは我ながら凄いことだと思うし、有り難いと思っている。 更新すると毎回読んでくださるひとも少なくないようだし、検索で辿り着いて読んでくださる人も多い。SNSでシェアしてくださる人もいる。とても嬉しい。ありがとう。 しかし、このブログは今回の記事が最後になってしまうかもしれない。楽しみに読んでくださっている方々には申し訳ない。でも、自分が好き勝手書いているブログだ。許してほしい。 「危険なこと」を今回の記事では書いている。その「危険なこと」が原因で最後の更新になるかもしれない。本当はブログを終わらせたいとは思っていない。それでも、危険が及ぶとわかっていても書きたいと思った。 パスピエというバンドについて書いてみた。パスピエの魅力を危険を犯してでも伝えたいと思ったのだ。 「パスピエというバンドは実は変態だよね」というテーマ。 パスピエは危険ではない。パスピエを変態扱いしたところで何の問題もない。パスピエをどれだけ変態扱いしてもブログを終える必要もない。 では、なぜ危険なのか。 それはパスピエだけでなく、ディ○ニーも変態扱いする記事だからだ。 ディ○ニーの変態性について ディ○ニーのことは世界中の老若男女誰もが知っていると思う。世界で最も有名なアニメキャラクターはミッ○ーマウスだと思うし、最もファンの多いテーマパークもディ○ニーランドだと思う。 ミッ○ーは「かわいい」と思ってしまうキュートなルックスだ。そして、一度見れば忘れられないルックスでもある。 かわいいだけでなく、個性もあるのだ。 その個性を生み出している理由の1つが、ミッ○ーマウスの変態性が関連していると思う。 ミッ○ーの服装は個性的で変態的だ。上半身が裸。それにも関わらず、なぜか手袋をしている。そんな服装をするのは変態以外はいない。 きちんと服を着ている時もある。TPOに合わせて服を着ている。つまり、ミッ○ーは「上半身裸は変なこと」だと理解しつつ裸でいるのだ。まさに変態だ。狂気すら感じる。 変態はミッ○ーだけではない。ディ○ニーのキャラクターは他にも変態で狂気的なキャラクターがいる。 くまのプ○さんは下半身が裸である。ミッ○ーより変態だ。腰に手を当てるポーズからも変態性が滲み出ている。恐ろしい。 ドナル○ダックも同じく変態だ。こいつも下半身丸出し。プ○さんと同様に腰に手を当てている。下半身を見せびらかすと、変態は自然と腰に手がいくのかもしれない。こんな変態も可愛らしく感じるのはドナルドマジックだろうか。 このようにディ○ニーのキャラクターは可愛らしさに隠れて変態性や狂気を持っている。 一見かわいいだけに見えて、変態で狂気的な危うさがあるキャラクターに深みを感じて気になってしまうのかもしれない。 そして、パスピエもディ○ニーと同じタイプの変態なのだ。 パスピエの変態性について パスピエの曲は歌メロのセンスが抜群だ。ポップでキャッチー。J-pop的なメロディで多くの日本人に馴染みやすいメロディ。歌声も耳障りが良く心地よい。 今年発売されたミニアルバム『ネオンと虎』に収録されている『マッカメッカ』という曲を聴いてもらえばパスピエの魅力もわかると思う。 疾走感があり初聴でも体が自然と動いてしまう気持ち良さ。メロディはキャッチーで口ずさみたくなる。特にサビの歌詞はメロディへの乗せ方が素晴らしい。一度聞けば忘れられないしクセになる。 パスピエは魅力的な良い曲を作っていると感じられると思う。 しかし、パスピエは良い曲を作っているだけではない。変態なのだ。ミッ○ーやプ○さんのように脱いではいないが同じように変態。 演奏をよく聴いてみると、かなり複雑なことを行なっているとわかる。メンバー全員がかなりのテクニシャン。そして、ギターもキーボードもベースも個性が強く印象的なフレーズを弾いている。ドラムも複雑なリズムパターンを叩いている。 しかし、演奏を注意深く聴かなければそれには気がつかない。パスピエはどれだけテクニカルな演奏をしてもそれを見せつけるような演奏をしない。あくまで楽曲の魅力を最大限に引き出すにはテクニックが必要なので、テクニカルな演奏をしているのだ。 「くまのプーさん可愛いなあ。あれ?でもよく見たら下半身は裸......?」と思うことと同じように、パスピエの変態な演奏もよく聴かなければ気づかない。 ライブを観ると、よりパスピエの凄さと隠れた変態さに気づく。先日行われた日比谷野外音楽堂でのライブでも変態を感じた。 野音のライブは素晴らしかった。演奏や歌声はもちろん、フロアの盛り上げ方やパフォーマンスの魅せ方も隙がない。ステージを動き周り、観客を楽しませることに徹しているようなエンターテイメントだった。きっと観た人は全員楽しめたと思う。 しかし、そんなライブでも変態は隠れていた。涼しい顔をしてCDと同じようにテクニカルで変態な演奏をしていた。ライブだとそのテクニカルな変態に圧倒される瞬間もあったが、大胡田なつきが歌い出した瞬間変態は隠れてしまう。曲の合間にチラチラと変態が顔を出す程度になる。 それがパスピエの個性でもあり、魅力でもあり、他にはない凄さなのだと思う。 キャッチーさに隠れたパスピエの変態さにリスナーは気づかぬうちに惹きつけられ「パスピエの音」に魅力を感じるのかもしれない。 下半身丸出しのくまのプ○さんやドナル○ダックに魅力を感じるように。 変態性以外の共通点 パスピエは変態で人気バンドだが、音楽好き以外には知名度が低い。どれだけ贔屓目に見てもディ○ニーの100万分の1程度の知名度もない。同じタイプの変態なのに。 テレビ出演も少なく、それほど大きなタイアップもなかったパスピエ。世間の目に触れる機会が増えればもっと売れるのではと思う。もっとこの変態を世間の目に晒したい。とても良いバンドなのだから。 パスピエをあまり知らないという人は是非ともパスピエを聴いて欲しい。意識せずとも魅力的な音楽に感じると思うり意識して聴いてみると変態さを感じて感動するはずだ。 変態であることは素晴らしく、変態であることは重要で魅力的なことなのだと知ってもらいたい。 ちなみに、変態なこと意外にもディ○ニーとパスピエには共通点がある。 それは、どちらも「本当の姿」を隠していたことだ。 パスピエは「永すぎた春」という楽曲をリリースするまでメンバーの顔をメディアでは出していなかった。ライブでは顔を出して演奏をしたいたが、メンバーの顔を知らないファンも多かったと思う。 ディ○ニーもある意味顔を隠しているような ものだ。 ディ○ニーランドにはキャラクターの着ぐるみが歩いている。子どもの夢を壊してしまって申し訳ないが、ミッ○ーマウスも着ぐるみだ。中に人が入っているはずだ。ミッ○ーの中の人が誰なのかは関係者以外は誰も知らない。 その部分でもディ○ニーとパスピエは似ているのかもしれない。 個人的にはパスピエは顔出しをしてから楽曲のクオリティもライブのパフォーマンスもさらに良くなったように感じる。 もしかしたらミッ○ーも中の人が顔出しをすると違う魅力が生まれるのかもしれない。プーさんだって下半身を露出する前に中の人の顔を見せた方が良いのかもしれない。 ディ○ニーに消されるかもしれない 「ディ○ニーのことをディスったり秘密を暴露すると消される」 こんな噂がある。もしこれを侵してしまった場合はどこかからミッ○ーがやってきて、ディスったり秘密を暴露した人物を抹殺するという。 決してディスったつもりはないが、変態という言葉に好印象を持たない人も多いかもしれない。ディ○ニーも変態と言われることは不本意かもしれない。個人的には変態は褒め言葉なのに。たしかに自分も変態扱いされたら嫌だけど。 着ぐるみの中に人がいるというのも暴露と思われるかもしれないが、そんなつもりはない。みんな着ぐるみの中には汗をかきながら頑張ってミッ○ーを演じているおじさんが入っていることも気づいているはずだ。 褒めてるつもりだし、秘密を暴露した気もない。しかし、勘違いされる要素はある。 「最後の更新になるかもしれない」という理由はディ○ニーに勘違いされて自分の存在が消される可能性があったからだ。 しかし、ここまで書いたが自分は生きている。ミッ○ーも現れていない。ディ○ニーの変態たちはこのブログの存在には気づいていないようだ。もしかしたら噂は嘘だったのかもしれない。 つまり、今後もこのブログを続けることができそうだ。安心した。今後も自分の好きな音楽について好き勝手に書いていこうと思う。 というわけで、みなさん、今後も当ブログを読んでいただけたら嬉しいです。これからもよろしくお願いしまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああrudhdhwidbsjdjnnjkkdnvwfwfwvsssshdhdhddhhrhrhrhdhd ネオンと虎【初回限定盤】(CD+グッズ) パスピエ ワーナーミュージック・ジャパン 2018-04-04 Amazonで購入 楽天市場で購入