オトニッチ

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西城秀樹について調べたら凄すぎてビビった

西城秀樹が亡くなった

 

自分は西城秀樹のことはよく知らない。西城秀樹の名前を聞くと、真っ先に頭に思い浮かぶのはちびまる子ちゃんのお姉ちゃんだ。

 

曲も殆ど知らない。昔から有名だった元アイドルの歌手というイメージ。

 

しかし、ファンではなくてもテレビなどで見たことはもちろんあるので訃報はショックではあった。63歳はまだ早い。訃報のニュースでは今までの活動や業績についても報じられた。

 

その活動経歴が凄い。ヒット曲も多数出しているしスタジアムでもコンサートを行っている。病気をしてもリハビリをして復活しステージに立ち続けた。その経歴は映画にできそうなぐらいに凄い。

 

もう少し西城秀樹について調べてみた。すると、西城秀樹は日本の音楽シーンやエンターテイメントに多大なる影響を残した人物と言うことが分かった。

 

大げさかもしれないが、西城秀樹がいなければ日本の音楽シーンやエンターテイメントは今ほど発展していなかったのではと感じるほどの偉大さを感じた。

 

日本の音楽シーンへの影響

 

・コールアンドレスポンスを初めて歌謡曲に持ち込んだ(曲の合間で「ヒデキー」と言う掛け声)

・ソロアーティストとして初めてのスタジアムライブ

・ゴンドラやヘリコプターなどを使用したド派手な演出のライブ

・日本初のレーザー演出を取り入れたコンサート

・ペンライトの発祥は西城秀樹のコンサート

・日本での洋楽カバーの第一人者

 

西城秀樹は日本の音楽シーンやエンタメシーンのパイオニアだったらしい。上記のことは現在の日本の音楽シーンやエンタメシーンでは当たり前になっていることが多い。

 

例えばアイドルのライブやアニソンシンガーのライブではファンがペンライトを使用することは当たり前になっている。曲の合間で名前などのコールを行うことも、ファンの一般的な楽しみ方の1つだ。もしかしたら西城秀樹が「イェッ!タイガー!」の元祖かもしれない。

 

 ライブの演出も西城秀樹がいなければ進歩は遅かったかもしれない。コンサートを音楽を聴かせるだけでなく、派手な演出や凝った演出でエンターテイメントとして楽しませようとした日本で最初の人物が西城秀樹だ。もしかしたら西城秀樹がいなければ桑田佳祐もB'Zもスタジアムで地味なライブを行っていたかもしれない。

 

そして、音楽シーンに大きな影響を与え、日本の音楽を面白くするきっかけも西城秀樹は作っていたのだと思う。それは「洋楽カバーの第一人者」という部分で。

 

洋楽カバーのパイオニア

 

西城秀樹の代表曲でもある「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」。この曲は現在もCMで使用されたりと10代の若い人たちでも知っている曲だと思う。実はこの曲はカバー曲なのだ。

 

アメリカのヴィレッジ・ピープルというバンドの代表曲のカバー。歌詞を日本語詞にしてカバーをしている。

 

Y.M.C.A.

Y.M.C.A.

  • ヴィレッジ・ピープル
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

他にも西城秀樹は多くの洋楽カバーを行っている。デビュー間もない頃の1974年には既に洋楽のカバーアルバムをリリースしている。テレビやラジオで流れることが多いシングル曲では複数の洋楽を日本語詞にしてカバーしリリースしている。

 

愛の園 / スティーヴィー・ワンダー
抱きしめてジルバ / ワム(ジョージ・マイケル)
ナイトゲーム / グラハム・ボネット
腕の中へ -In Search of Love- / バリーマニロウ
Bailamos - Tonight we dance - / エンリケ・イグレシアス

 

西城秀樹はロサンゼルスにも頻繁に行きスティービー・ワンダーなどの海外の有名アーティストとも交流をしていた。そのこともあり、ビュー当初から洋楽のカバーを行っていたらしい。

 

アイドル歌手としてデビューした西城秀樹だが、洋楽のカバーを歌うことで、アイドルとして好きになったファンにも海外の音楽に触れるきっかけを作り音楽の楽しさを伝えていたのかもしれない。そして、歌謡曲とは違うリズムの洋楽曲や難しい洋楽曲も歌いこなしている。

 

もちろん、それまでも洋楽のカバーを歌っていた日本のシンガーはいたと思う。しかし、歌謡曲と言う大衆に聴かれる音楽で洋楽を日本語詞のカバーで歌いこなし、ヒットさせたアーティストは居なかったのではないだろうか。

 

海外の音楽を取り入れてヒットをしたことは、その後の日本の音楽シーンにおいても大きな影響があったのではと感じる。

 

高いクオリティの楽曲

 

西城秀樹はカバー曲だけを歌っていたわけではない。オリジナル曲でもヒット曲や有名曲はある。オリジナル曲でも日本初の快挙があるのだ。

 

「走れ正直者」という曲がある。

 

西城秀樹/走れ正直者 視聴

 

この曲はテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディング曲として使用されていた。この楽曲はスカという音楽を取り入れている楽曲で、「走れ正直者」は日本で初めてヒットしたスカの楽曲と言われている。

 

1991年のリリース当初、スカはほとんど日本に浸透していなかったらしい。ジャマイカ発祥の音楽で日本人には馴染みのない独特なリズムだ。それを日本の歌謡曲的なメロディを乗せ、日本語で日本の代表的な歌手が歌うことで「スカを取り入れたJ-POP」にしたのだと思う。タイアップも理由の一つだが、それもヒットの理由ではないだろうか。

 

今では日本を代表するスカバンドでもある東京スカパラダイスオーケストラも1991年はデビューしたばかり。その後スカパラも人気バンドになるが、もしかしたら西城秀樹がいたから早く世間に受け入れられた部分もあるのかもしれない。

 

凄さに気づくのが遅かった

 

 改めて過去のライブ映像を観てみると、パフォーマンスのクオリティが高い。歌も上手いしステージでの一つ一つの動きに魅せられる。シンガーでありエンターテイナーでもあったのだと思う。

 

それでいて完成度の高い楽曲も多い。数十年前のヒット曲を聴いても今でも聴きごたえがあるし、今リリースされたとしても通用するのではと感じる楽曲も多い。

 

今では叶わないことではあるが、1度ライブも観たかった。もっと早くに西城秀樹の凄さを知れていたらとも思う。

 

自分の好きなアーティストやアイドルもなくなってしまった人もいる。それをきっかけで興味を持って好きになってくれる人も少なくはない。例えばフジファブリックや私立恵比寿中学やリンキンパークなど。

 

今度は自分が逆の立場になった。亡くなったことで興味を持った。その興味の持ち方が健全かどうかはわからないが、西城秀樹の凄さや魅力を感じている。もしかしたら自分のように西城秀樹のメインのファン層とは違う世代も興味を持ち、凄さや魅力を感じている人がたくさんいるのかもしれない。

 

実際に生でステージを観ることも歌声を聴くこともできないが、残した業績や残された作品や録音された歌声はずっと残りつづける。それらが今後も多くの意人を魅了するのだと思う。実際、さっきから自分は「走れ正直者」をヘビーローテーションしている。

 

西城秀樹さんのご冥福をお祈りいたします。